2014年8月15日金曜日

なんだか『いやな感じ』

いやな感じ (1963年)
『いやな感じ』という本が入荷してしまった。
「してしまった」と書いたのには理由がある。Facebookで友達になった遠藤氏が、つい先日この本を探しに店へ来た、ということがあったのだ。その時は在庫がなかったので別な手段を示し、無事入手されたとのことでほっとしたところだった。
 もう少し入荷が早ければ…とは思うが、それがままならないのが古本屋というもの。
 そして、こういうことがちょくちょくあるのが、古本屋という商売なのだ。

2014年8月14日木曜日

どうするサマーズ!なんて言ってもしょうがないか

 タイトルのサマーズってのは漫才師のじゃなくて、ローレンス・サマーズ元財務長官のことだ。
 以前本宅で触れた(ここここ)のだが、この人は一つの信念として「女って基本的に科学者に向いてねーよな」みたいなことをおっしゃったのだ。
 日本では最近リケジョの星だとかいう割烹着姿のねーちゃんが大コケしたので、そっち側はすっかり意気消沈してしまっていたんだけど、そこへびっくりなニュースが飛び込んで来た。

フィールズ賞:初の女性受賞者にイラン出身ミルザハニ教授

例によって、こっち↓のが詳しい。

2014年8月13日水曜日

それは家事が労働である証拠みたいなもん

 テレビを見ないので世間の話題について遅れがちなのだが、今頃になってヘーベルハウスの「妻の家事ハラ白書」を取り上げてみたい。
 ちょっと注釈を入れておくと、この「家事ハラ」といういやつ、本来の意味とはぜーんぜん違うニュアンスで流通しているようで、名付け親が怒り心頭なのだそうだが。
家事労働ハラスメント
―生きづらさの根にあるもの (岩波新書)
 でもまあ、しかたないといえばしかたない。元々のやや重たい意味だと、居酒屋でオダあげるときのネタにならない。巷間口の端に上らねば、効果的な広告とはならないのだ。その点今も昔も、妻についての愚痴は、野郎どもにとって居酒屋のナンコツ唐揚げ同様定番のサカナなのだ。私のような愛妻家は肩身が狭いのである。マジで。ほんとマジで。
 ヘーベルハウスの「白書」がどのようなアンケートを元に構成されたか知らないが、作った人は「これはウケるぞー」くらいにしか考えていなかったことは確かだ。そうやって異様に低い目線からのものいいが、現状のおかしな部分を意図せず明らかにしてしまう、というのも、まあ、よくあることと言えるかもしれない。

2014年8月10日日曜日

その文章がおかしいのは読者に理解より共感を求めるからか/もしくはとんと流行らなくなった「小説家病」というもののつづき

ウナギと山芋 (中公文庫)
昨日からのつづき。
 丸谷才一がなんで「小説家病」などということを言い出したかというと、自分も政治的なことについてくっちゃべってみたくなったからだ。
「今日の話は(中略)第二期と第三期の中間、といふところです」と断りつつ始めたのは、憲法の話。丸谷氏の言うところでは、「現行憲法の文章は悪文であり、それに比べて明治憲法の文章は立派なものであるーーといふのがその定説」なんだそうだ。言い出しっぺは誰だか知らないが、その説を広めたのは三島由紀夫文章読本であるという。孫引きすると「実に奇怪な、醜悪な文章であり、これが日本の憲法になったというところに、占領の悲哀を画いた人は少なくなかったはずです。もし明治時代に日本が占領されていたとしたら、同じ翻訳であっても、もっと流麗な美文で綴られたことでありましょう」てな具合に三島は語る。現行憲法が悪文であることには丸谷氏も同意しているが、じゃあ翻って明治憲法が美文であるかというと、とてもそのようなことはない、と押し戻す。

2014年8月9日土曜日

とんと流行らなくなった「小説家病」というもの

ウナギと山芋 (中公文庫)
    丸谷才一が「小説家病」というものについて書いている。
    これは罹患の程度に段階があって、まず第一期は他人の男女関係にむやみに好奇心を持つようになる、という。さらに第二期になると、他人の文章が気にかかって仕方なくなり、ちょっとでもおかしな文章を見ると添削したくなる、という。
 えー、ここまでは、たぶん、おそらく、ご自分のことをおっしゃってるんだろうなあ、と思う。
 そして第三期となり末期症状を起こすと、「この腐れきった日本をただすのは自分しかいない」などと興奮して国事を憂えるようになるんだそうだ。
 そういやいたな、末期の人。まだ元気なんだっけ。

2014年8月8日金曜日

親不孝しているうちは親がいる

「子供の成長は親の死である」とヘーゲルは書いた。
 なんとなくわかるようなわからないような文句だが、これについて解説すると、ヘーゲルが共同体というものについてどのように考えていたのか、てのを書かにゃならんのでチトしんどい。
 なんでも児童虐待は全国で七万件を越えるんだそうだ。そういう数字だけを聞くと、「なんという人心の荒廃!」という感じがするが、それまで「しつけ」とされてたことが、ちゃんと「虐待」と認知されて来たということなんで、減らすのはまだまだこれからの課題のように思う。
 だいたい欧米だって二十世紀前半くらいまでは「ガキなんざぶん殴って育てるのが当たり前」だった。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』なんかでも児童虐待のエピソードがでてきたりする。

2014年8月7日木曜日

なろうなろうあすなろう明日はサイコパスになろう

⑴とにかくおしゃべりになろう。
深い考えなんか必要ない。
その場を盛り上げて自分の魅力を打ち出そう。

2014年8月4日月曜日

夏虫や書を採りていざ露天風呂/もしくはもしも本の無い世界に行ったらPart.2

  じりじりとあぶられるような日が続く。部屋のどこかで鉄板焼きのスイッチが入れっぱなしになってやしまいか、などと眠れぬ夜に不安がよぎったりもする。
 夏場は本が売れない。こんなに暑くちゃ、なかなか本を読む気になれないのは、当たり前のことといえる。
 さて、フランス人が夏に長期のバカンスをとるのはつとに知られたことだが、バカンス中にすることの定番は、一夏のアバンチュールなどではなく、読書だそうだ。

欧州の旅行者、休暇中の楽しみは今も「読書」


2014年8月3日日曜日

夏目漱石について常々残念に思っていること

   相変わらず朝日新聞で連載中の『こころ』を娘に朗読させている。先生の手紙にKがでてきて、そろそろクライマックスである。
  音で聞いているとわかるのだが、漱石の文章は本当にリズムがいい。なんというか、耳で聞いていると、上等の縫い物が目の前で出来上がっていくような感覚がある。縫い目が細かく、それでいて窮屈でなく、運指が完璧で縫う目を過たない。
   そうした文章の妙が娘にどの程度伝わっているのか、いないのか、少々おぼつかなくはあれど、内容くらいはわかっているようだ。

2014年7月31日木曜日

女性をすべて公務員にすればいいよね?

 なんか、Googleがこんなことをやってる
 政府がやってるSHINE!(断っとくけどシャインだからね。ローマ字読みしちゃだめだよ)なんかより、よっぽどオシャレで完成度が高い。


2014年7月30日水曜日

無しともいへぬ花かげの鬼/もしくは応仁元年九月十八日桃華坊文庫焼亡スのつづきというか

『修羅』収録

…………
「みなみな、かねて申しつけたとほり、この桃華房の討入に古市ものの血筋を賭けよ。この庫、よのつねの庫ではないぞ。つねならば、金帛をこそねらはう。金帛、しひてここにもとめるな。庫にみちた世世の舊記は、もつてこの國の史を編むに足るといひつたへる。舊記、なにものぞ。代代の公卿どもが書きちらした文反故の山よ。暗愚時には知らずして、老獪ときには知りながら、曲をもつて直としたもの、あやまりを掏りかへてまこととしたもの、さだめて多きに居るであらう。このほしいままの筆の跡をさかのぼつて、みだりに國のみなもとをさぐり、家の來歴を決めつけて、枉げて正史の杭を打たうとする。いつはり、ここにはじまつたぞ。いつはりの毒のながれるところ、つひに古市ものの血筋を犯して、これをばけがした。京と古市と、へだたる濠の深さを見よ。げに、文反故の山にこそ惡鬼は棲む。今この惡鬼を討て。舊記祕卷、みなほろぼすべし。いふところの史書はことごとく投げ捨てよ。史を書かば、まさに今より書け。かの庫、公卿の手にとどめるな。また足輕の手にもわたすな。こころあつて、これをほろぼすものは、わが一黨のほかにはないぞ。今こそ、よきをりぢや。このをりをのがすな。」
 …………

2014年7月29日火曜日

再録『今さらながら「なぜ人を殺してはいけないの?」という青臭い質問にいい歳した大人たちがまともに答えられなかったことについてのメモ』

 以前のエントリーの再録。
 昔本宅の方で書いたときはまったく時期外れというか、夏場に汁粉を出すような感じだったが、最近また妙な事件が起きて、またぞろ同じことを言い出す連中を見かけたので、もう一度そのまんま載せておく。
 今ならもうちょっと違った書き方をするかな、と思うけど、それはまた別な機会に。

2014年7月28日月曜日

えー毎度ばかばかしいエントリーはウナギの話ってことで

    えー、明日は「土用丑の日」てやつだそうでございまして、なんでもその日にウナギを食しますってえと、病除けになる、暑い夏も乗り切れる、なぜか夫婦仲も円満になって、「やったねパパ」とかなんとか大いに重宝するんだとか。
 これ、江戸時代に平賀源内っておかしな人が広めたんだそうです。ウナギにしてみりゃ迷惑な話で、さぞ源内先生はウナギに恨まれたことでしょうな。もしかするとウナギに生まれ変わって、明日あたりお宅の食卓にあがるかもしれない。
 元々この「土用丑の日」ってのは、「う」のつく食べ物なら何でも良かったそうで、ウシでもウサギでもウーパールーパーでもいいんです。ウーパールーパーはちょっと勘弁して欲しいですがね。

2014年7月27日日曜日

【メモランダムほぼ自分用編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 えー、すいません。まだ読み切ってないんですが、ちょっと印象が冷めないうちにメモしとこうと思いまして、ほんとすいません。
 ほぼ自分用メモなんで、けっこう適当にかっとばします。興味のある人は拾い読みしてください。

2014年7月25日金曜日

戦争において最初に犠牲なるのは「真実」だそうだが

 現在、ガザにおいて、またも、ろくでもないことが起きている。
 その件についてここで論評するのは、ちと荷が重い。
 がしかし、それにからんでネットで妙な画像を拾ったのでご紹介。

 

 わ、なんだこれ。左はイスラエル軍(IDF)が支援を募るポスター。右はナチスが支援を募るポスター。そっくり。どっちも三つ編みにっこり少女。イスラエル軍の方がやや援交っぽい感じ。
 一瞬「げげっ」と思ったが、こういうセンセーショナルな代物にはよく注意した方がいい。

2014年7月23日水曜日

【とりあえず途中経過編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本主義』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

Capital in the Twenty-First Century
そろそろ一章が読み終わるんだけど……我ながら遅いなあ。このくらい素直な英語なら、もっと早く読んでしかるべきなんだが。てか、イントロに比べて本編が結構退屈なんだよね。しょーがないっちゃしょーがないんだけど。
 しっかし、こんなけっこう専門的な本がベストセラーになるなんて、やっぱアメリカってすごいな、と評価を改めていたら、ウォール・ストリート・ジャーナルにこんなエッセイが載った。

The Summer's Most Unread Book Is…http://online.wsj.com/articles/the-summers-most-unread-book-is-1404417569


2014年7月21日月曜日

なつやすみ

 子どもの頃、七月二十一日という日付は特別な輝きを持っていた。
 その日から夏休みが始まったからだ。今は「海の日」?あれは第三月曜日だっけ。今年はたまたま二十一日に重なった。

 ふと夏休みの記憶というものをたぐろうとしてみたが、大したものがない。
 毎日毎日扇風機の前に陣取って、ブタの蚊取り線香よろしくぽかんと口を開けていたような思い出しかない。

2014年7月19日土曜日

自由が好きな人は銃も大好き/もしくは「自由ってなんて不自由なんだろう」の基礎知識みたいなもの

銃・病原菌・鉄
 会議というものはおおよそ思う通りにはならないもので、その対策として役に立たないノウハウ本がいろいろと出ていたりする。
 だが、たった一つだけ、とても分かりやすく有効な手段がある。
 会議の席で意見を述べた後、上着の内側からやおら銃を取り出し、こう言うのだ。
「さーて、反対する命知らずはいるか?」

2014年7月17日木曜日

今日は娘を連れてmousméを観に行ったと書いてみたかったんだけどなあ

La Japonaise,1876
   娘が試験休みなので、世田谷美術館の『ボストン美術館華麗なるジャポニスム展』というやつに連れて行った。タダ券もらってたもんで。
 目玉は左画像の「ラ・ジャポネーズ
 印象派の巨匠モネの作で、今回大規模修復後、初の公開とのこと。モデルは奥さんのカミーユ。ちなみに奥さんは金髪ではなかったので、この絵ではカツラをかぶっているんだそうだ。さすがモネ、はずさないなツボを、て感じ。
 なんとなくイメージしてたよりでっかい絵で、たたみ一畳くらいあった。これ以外は、「まあこれもジャポニスムと言えなくもないんじゃないかなと思えるような気がしないでもないような」レベルの作品も多く、えーと、その、当時の西欧美術へのジャポニスムの浸透ぶりがよく窺われるってことなわけだ。(やや棒読み)

2014年7月16日水曜日

なんでもいいからなんとかしてよというのは何をされても文句がある

「腹すかない?なんか食べたいもんある?」
「なんでもいい」
「んー、じゃ、パスタとかどう?」
「え〜〜、パスタぁ?」
「あ、じゃあ、がっつりトンカツとか」
「ダイエット中なんですけどぉ」
「えーと、じゃさじゃさ、あっさりとソバいってみるとか」
「ソバ……汁が服にはねるし……」
「あ、そうだ、もうファミレスにしよ。メニュー豊富だし」
「はあああ……、何それ……。結局それなのね」
「え、だめ?」
「いいけどぉ」

 さて、ここで問題です。
 この二人はファミレスが好きでしょうか?

2014年7月14日月曜日

笑訳「 『国の存立を全うし、国民を守るための切れ目のない安全保障法制の整備について』の一問一答」

「あなたのベッドにいるその女は何?」
「なんでもないよ。君が疑うような事は何もしてないよ」
「だからどういう女なのか答えて」
「持病の発作が起こったんだよ。だからお医者さんに介抱してもらってるんだ」
「はあ?要するに浮気でしょ」
「いや、浮気だなんてとんでもない」
「あたしと別れたいのね」
「まさか。別れるなんてまったく考えてないよ」
「その女があなたと同じベッドにいること自体耐えられないんだけど」
「いや、君ならわかってくれると思ったんだ」
「はああ?何をどうわかれっていうの??!」
「ほら、僕が病弱だってことは前々からはなしてたじゃないか。だからこういうことも起こりうるんだよ」
「何勝手なこと言ってくれちゃってんの?」
「いやだから、君には話したじゃないか」
「もうおしまいね、私たち」
「ちょちょ、ちょっと待って。もう少し話し合おうよ」
「話し合う以前にその女をどうにかして」
「だから君が疑うようなことはいっさいしてないよ」
「いいから、とにかくその女をどうにかして」
「だから君が疑うようなことはいっさいしてないよ」
「じゃあ、もう離婚したいのね」
「僕は離婚なんかしないよ」
「まさか、浮気しても許せって言いたいの?」
「まったくの誤解だよ。そんなことは言わないよ」
「浮気は男の甲斐性とか、そう考えてるんじゃないの?」
「全然そんなことはないよ。これまで以上に、僕は君ひとすじさ」
「そんなこといって、今度は外でやらかすんじゃないの?」
「僕が君を守ること以外に何をするって言うんだい?」
「だから、そんな口約束をどうやったら信じられるってのよ」
「僕の愛を信じて」
「信じたりしたらまた別の女に手を出すんでしょ」
「僕の愛を信じて」
「あんたの愛なんか信じられない。愛がなければ一緒に暮らせない」
「僕の愛を信じて」
「信じてってねえ、じゃあそのベッドの女は何だってのよ」
「僕の愛を信じて」
「三角関係のゴタゴタなんかごめんだからね」
「僕の愛を信じて」
「だ〜か〜ら!!、その女は何なの」
「僕の愛を信じて」
「信じて信じてって、そればっかで信じられるわけないでしょ」
「僕の愛を信じて」
「はあー……」
「僕の愛を信じて」
「結局その女が好きなのね」
「好き嫌いとかじゃなくて、僕の持病を治すには彼女にこうしてもらうのが一番なんだよ」

2014年7月13日日曜日

人の患いは好んで人の師となるに在るのかもしれないけどそれだけでもない話

「三尺下がって師の影を踏まず」などとことわざにはあるが、弟子が優秀だったりすると、下がらず前に出て師の影を踏むばかりか、蹴倒して頭を踏みつけにしたりする。
碧巌録
    禅宗では「師匠と弟子の仲は仇敵(あだかたき)」(by古川堯道 なのだそうだ。それほどまでに厳しい関係なのだ、ということなわけだけど、禅坊主って悟る(印可を受ける)と師匠の悪口をばんばん言うんだよね。もう禅の真髄って悪口にあるのかと思うくらい。
碧巌録』の注釈なんかは、開祖達磨のことまでぼろくそに言ってる。 

2014年7月10日木曜日

かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶 が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。(夏目漱石『こころ』)

夏目漱石『ころ』復刻版
 春から朝日新聞で夏目漱石の『こころ』が連載されている。ちょうど百年前に連載されたというから、連載中にサラエボ事件が起きたはずだ。今年の六月、ヨーロッパ方面では第一次大戦百周年の記事が多く見られた。
 娘の国語学習に良いと思って毎朝朗読させているのだが、「私」と「先生」との交流の描写に「ほも?」と口を挟むのは、やはり現代っ子(死語?)だなあ、と思わされる。実際、「私」と「先生」の関係をホモ臭く感じる人は多く、海外でもそのような感想が持たれたりしている
 とは言え、作者自身にそのような思惑はなく、漱石は自らの経験に照らして、師と弟子の関係というものはこのようなものだ、とごく自然に考えていたことだろう。

2014年7月5日土曜日

吾輩は無名であることを忘れないでいたいと思うのつづき

つづきと言いつつ、まずは特定ヒミツの画像。なんというか、「他人事」や「表す」にルビとか、水を飲む間合いの指定とか、なんも考えずにただ読めばいいようになってる。これが総理の読み上げ原稿のスタンダードなのだろうか。最近ほっぺの下がり具合がいっこく堂の人形っぽくなってきた総理だが、後にくっついてこの原稿書いてんのはどこのどちら様だろうか。

2014年7月4日金曜日

吾輩は無名であることを忘れないでいたいと思う

    夜、ネコが消えた。
 もう数年飼っている黒猫である。
 ふとドアから出たまま、帰ってこなかった。
 それはごくありふれた日常の出来事が、まるで違うビデオテープにいきなりつながってしまったかのように、ノーカットでまったく別な物語が始まったかのように思われた。 
 
 次の朝は梅雨の晴れ間で暑くもなく寒くもなく、玄関から出るとここ数日の雨で洗われた空気は冷えて肌に気持ちよく、まるで、子供の頃にかき氷機の側で氷のしぶきを浴びたときのような心地さえした。
 でも、ネコは消えたままだ。
 朝刊では集団的自衛権が閣議決定されたことが、大きな活字で騒がれていた。きっとテレビをつければ、ニュースでも硬軟賛否とりまぜた報道に触れることができるだろう。
 とはいえ、ネコはまだ消えたままだった。