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2019年11月29日金曜日

中曽根康弘という権力者を生で見てしまったということ

 中曽根康弘が死んだ。百一歳だったという。一時代を画した政治家でもあるし、せめて「亡くなった」と書いて多少の敬意を表すべきかもしれないが、私はただ「死んだ」としておきたく思う。というのも、どうにも片づかない、もやもやの残る思い出があるからだ。
 昔々、まだ大学生だった頃、中曽根康弘を「目撃」した。以下に述べる体験は、やや劇画めいてはいるが、まったくの事実である。

2018年12月28日金曜日

クジラクジラ、クジラ苦いか塩っぱいか

美味しんぼ13 激闘鯨合戦
 えー、毎度バカバカしい話でお時間を頂戴いたします。(あ、今回亡き立川談志の口調を思い出しながら書いてますんで)
 みなさん、鯨を食されたことはございますかね?

2018年5月6日日曜日

やってきたのは嵐の言葉♪俺たちのウソを見破るため♪【快楽はいつウソになるのか?編】

『ライク・サムワン・イン・ラブ』予告編

 実は私は、結構な泣き虫である。
 しかし、「男は生涯に三度しか泣かないものだ」と祖母(先年百歳で亡くなった)から躾けられたため、涙を我慢するのだけは上手になった。ちなみに「三度」というのは、「右目から涙を流すのはお父さんが死んだ時、左目はお母さんが死んだ時、両目から流すのはキン●マなくした時」とのことである。

2016年6月25日土曜日

英国病2.0?

欧州連合
―統治の論理とゆくえ (岩波新書)
    イギリスが国民投票でEU離脱を選択した。
 おーまいごおー!!と叫ぶ前に、ふと思い出したのはロンドンの暴動のことだ。

2016年5月20日金曜日

努力と友情で勝利できるとかは漫画だけにしといて欲しい

食を満たせ―
バビロフとルィセンコの
遺伝学論争と植物遺伝資源
 昔々その昔、「ルイセンコ学説」というものがあった。
 どういうものかというと、「寒いとこにずっとタネをさらしとくと寒さに強い品種になる!」という、大変な苦労を重ねて品種改良されている方からしたら「なめとんか」と言いたくなるような話だ。つまりは「獲得形質は遺伝する」というわけで、メンデルもダーウィンも知ったことかな学説である。こんなのが本当だったら、両親がすっごい勉強するとその子供は生まれながらに頭がいいわけで、個人的な経験則からして「んなわけねー」とすぐにわかるような代物だ。

2016年5月11日水曜日

税金ってなんだろう?続き

    パナマ文書が公開された。
 何が問題かというと、「合法的に脱税した」ことが問題なわけで、「問題にならないことが問題だ」というオバマのセリフが的確にその核心を突いている。
 しかし、本当の問題はそれだけじゃない。
 こうしたタックス・ヘイブン(租税回避地)を利用した脱税は、個人のものもあるんだろうけど、企業によるものが圧倒的に多い。
 ここに、企業の本質が国家と対立するものだという、アダム・スミスによる予言──企業の利益は国家の利益と合致しないので、法律の制定は企業家に口を挟ませてはならない──がいかに正しかったか、というのが具体的に現れている。

2016年4月18日月曜日

果たしてゴルゴ13の名前はパナマ文書にあるか?

    ゴルゴ13が税金払っているかというと、そりゃあまず払っちゃいないだろう、と普通に考えてしまう。Not Know Onlyのスイスの銀行に預けてるわけだし。でもこのマンガ、今までに一冊きりしか読んでないんで、確かなところはよく知らない。でも、ゴルゴがいきなり練馬の税務署にアーマライトかついで現れたら面白いだろうな、とは思うけどね。税務署は今度、このネタでポスター作ったらいいのに。ゴルゴも納税!!

2016年4月11日月曜日

リフレもどきはリフレじゃないんだよ

前回の続き。

 再び『金を物に換へる時代が來た 何に換へたら良いか』から引用しよう。

…………
「だからインフレーションなんてものは所謂好景気なんてものじゃない。価格の騰貴に乗じて金持ち連中が富を奪い合う形さ。そこを良く理解して、金持ちでなくっても金をうんと借りて、金持ちみたいに振る舞うことがインフレ景気をもっともよく利用することになるのさ」
…………

2016年3月27日日曜日

ざ!じゃぱにーず!!!

日本人の英語 (岩波新書)
続・日本人の英語 (岩波新書)



 もう二十年も前のベストセラーだが、今持って少し気になる記述がある。知る限りでは誰も指摘してないようなので、ここでちょっと書いてみようと思う。
 まず引用。続の19ページから。

……………
……それより気になるのは、"The Japanese"という定冠詞の使い方である。定冠詞は、文字通り「決まったもの」を表わすが、この場合、"The Japanese"が、誰に、どういうふうに一つの「決まったもの」にされているのかをよく考えると、このtheの使い方がやや恐ろしく感じられる。

……"The Japanese"という表現には、すべての日本人を、一人残らず、一つのものとして取り上げてかまわない、それぞれ個人の差があると思わなくてよい、という前提がある。これは、日本人もアメリカ人も同じ人間集団という常識があるにもかかわらず、平気で使われる表現であるので、「愚かさによる前提」と言ってもよいであろう。
…………


2016年3月16日水曜日

アインシュタインと暗殺者について

Friedrich Adler - Albert Einstein. 
Physik und Revolution: 
Briefwechsel, Dokumente, 
Stellungnahmen
    アインシュタインは、いわゆる「奇跡の年」の後、ようやくチューリヒ大学に助教授のポストを得た。
 しかし、当時アインシュタインの業績はまだまだ知られるところではなく、本来このポストはフリードリヒ・アドラー(念のため断っておくと、精神分析学者ではない)に与えられるはずだった。
 アドラーは、自分とアインシュタインが候補になっているのを知ると、選考委員にこう進言した。
…………
もしわれわれの大学にアインシュタインのような人物を迎えることが可能なのだとしたら、私を指名するなどナンセンスです。
…………

2016年3月5日土曜日

選挙とエコロジーと経済学

 こうみえても投票には毎度毎度行っている。

「劣悪な政治家は、投票しない善良な市民によって支持されている」

…なんてフランクリンさんが脅かすもんで。やーねー。
 しかし一方で、選挙なんてもんにはまーったくぜーんぜんさーっぱり関わろうとしない人もいる。じゃあ、そういう人が社会的によろしくない人かというと、そうでもなかったりする。

 ある日アメリカのとある町の投票所で、二人の経済学者がばったりでくわした。
「よ、よう……」
「お、おう、お前何しにきたの?」
「何って、……いや、なんか、かみさんに無理矢理連れてこられちゃってさあ」
「ああ、そう、そうね。俺も俺も」
「うんやっぱそうだよな」
「そうそう」
「ま、このことはお互いに……」
「そうだね、ないしょってことで……」
「じゃ、そういうことで」
「そういうことで」
 とまあ、こんな具合にぎこちなく別れた。

 なぜ二人はこんなにぎくしゃくしていたのだろううか?

2016年1月25日月曜日

ただそれを「野蛮」であるということにしてしまう視線について

…………
 現今、天下の男色を談ずるものは、ややもすれば、閩(びん、福建省の町)と広(広東・広西)の地方とを語り草にする。しかし、呉・越から燕・雲に至るまで、この好みを知らないものはないのである。陶穀の『清異録』には、「京師(みやこ)の男子は、自分の体を自ら売りに出し、送り迎えして恬然としている」とのべている。とすれば、この風習が唐宋のころから、すでにあったことが知られよう。いま帝都には小唱があって、もっぱら士大夫の酒席の御用を勤めているが、おそらく官妓が禁じられたので、これを用いざるを得なかったのである。その初めはみな浙江の寧波・紹興の人であったが、近頃では半ばは臨清(山東省)のものである。だから南と北の小唱に分かれているが、群に随い隊を逐うという状態で、佳いものは少ないのである。たまに一人でもいると、風流な士大夫たちなら、力を尽くして招き寄せようとしないものはなく、国じゅうが狂ったようになるのである。……
…………

2016年1月23日土曜日

「ティダック・アダ、アルティニャ(意味はない)」とベネディクト・アンダーソンが言ったわけではないが

 その言語の特徴として、
「いくつかの言語が混ざりあって作られている」
「現代世界の技術用語や思想的抽象概念から、おびただしい数の、そしてほとんどあらゆる分野からの借用からなっている」
「公的な場での演説を全くわからないまま、多少とも感動的に聴いてしまう平均的な国民にとって、その輸入の語彙の部分はほとんど理解しがたいものである」
言葉と権力―
インドネシアの政治文化探求
「もったいまわった言い回しのごった煮であり、諸言語の魔法のような混融状態である」
 ベネディクト・アンダーソン『言葉と権力』にある、インドネシア語についての記述である。
 やや書き換えて冒頭に並べたのは、こうしていきなり突きつけられると、まるで日本語のことを言っているように感じられるからだ。
 そしてこれらは、普段日本人が目を背け、忘れようとしている、鏡の中の映し姿でもある。

2016年1月18日月曜日

国家とは忘れ去ることなりとベネディクト・アンダーソンが言ったわけではないが

定本 想像の共同体―
ナショナリズムの起源と流行
 (社会科学の冒険 2-4)
 昨年(二〇一五年)末、ベネディクト・アンダーソンが死去した。
 愛しの「恋人」インドネシアの地において。
 しかしその「恋人」は、ベネディクト・アンダーソンを十八年もの間突き放していたことがある。
 原因は、「恋人」の「不行跡」についての批判である。

2015年11月18日水曜日

裸の王様のおとなりで女王様が裸踊りしているという状況について

「王様は裸だ!」というのはよく政治の場で使われるレトリックである。
 では、女王様の方は裸にならないのだろうか?その方が大衆に受けるし、子供がそれを指摘したなら、周りの人間が必死で子供を黙らせるだろう。
 経済学という学問は、「社会科学の女王」を名乗っている。
「王様(政治)」はよく裸にされるのに、「女王様(経済)」が裸にされないのはなぜか。やっぱ倫理的な問題があるのか。
 つまらんジョークはさておき、人が経済学に対してつっこみづらいのは、やっぱり貧乏より金持ちがいいし、不況より好景気がいいし、そうした大衆の欲望を体現する学問だからだろう。

 が、しかし、その「女王様」が、ストリップをおっぱじめてしまっている。他ならぬ、この日本で。

2015年11月1日日曜日

本当に忘れるためにはまず思い出さなくてはならないが何を思い出せばいいのかわからないということ もしくは『ルック・オブ・サイレンス』についてのつづきのつづき


 上掲はピーター・ウィアー監督の『危険な年 The Year of Living Dangerously』のラストシーンである。主人公のジャーナリストは、共産党の男に助けられ、空港へとたどりついて脱出する。
 この映画は一九九九年までインドネシアでは上映を禁じられていた。現在ではテレビでも放映されたそうだ。ピーター・ウィアー監督の名前は、『ピクニックatハンギング・ロック』での方がよく知られているだろう。ウィアーはオーストラリア人である。そして、オーストラリアとインドネシアは軍事的に互いを仮想敵国としている。

2015年8月30日日曜日

でででででもでもデモデモデモンストレーションでもってデモクラシーでももももも

 今日八月三〇日、午前中に国会前をのぞいてきた。
 アホな法案に反対したいというのもあるが、娘の社会勉強のためでもある。

2015年8月2日日曜日

やっぱり日本はスパイ天国だった!!アメリカの(笑)

 一昨年、以下のような一連のエントリーを書きました。

それはどこらへんで言ってることなの?




 これらのエントリーの中で、「日本がスパイ天国だとかいうのって、自称じゃん。他で言ってるの聞いたことないんだけど」と揶揄しました。
 申し訳ありません。私が間違っておりました。
 日本は確かに「スパイ天国」だったようです。
 ただし、アメリカの(笑)