ラベル 読書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 読書 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2018年10月2日火曜日

たまには読書の記録などを

 ふと気づくと映画のことばかり書いているので、ちょっと最近読んだ本のことをメモしておこうと思う。
 仕事(執筆)のために読んだものと漫画をのぞき、九月中に目を通した本を並べてみた。

2018年6月16日土曜日

「読書」が人を殺すことはあるか

    幼い頃、新幹線が大好きだった。そのスタイリッシュなデザイン、当時「世界一」とされたスピードを、子どもながら誇らしく感じていた。それは、日本の将来を、「豊かさ」を約束しているようでもあった。
 その新幹線で、無差別殺人事件が起きた。
 犯人は無職ではあるが、「読書家」であったという。

2016年7月23日土曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…の『存在と時間』はどのくらい訳がわからないか編】


木田元『最終講義』

……………
……しかし、彼が西洋哲学史見なおしの拠点にしている「存在」とか「存在了解」ということが、しばらくはさっぱり分かりませんでした。これは私に限らず、当時のハイデガー研究者(日本だけではなくドイツでも)が皆分かっていなかったようです。いや、いまでも分かっている人はほとんどいないのじゃないか。みんな、そのへんにくると、ハイデガーの言葉をお経のように繰りかえしてるだけのようです。
……………

2016年6月25日土曜日

英国病2.0?

欧州連合
―統治の論理とゆくえ (岩波新書)
    イギリスが国民投票でEU離脱を選択した。
 おーまいごおー!!と叫ぶ前に、ふと思い出したのはロンドンの暴動のことだ。

2016年6月18日土曜日

「全て集めてある」から「全集」なんてことは全然ない

「全集」と銘打つからには細大漏らさず少年時代の落書きまで収録すべきだ、とまで編執じみたことは言いたがる人も多いんですが、割と間違いやミスが多いのもまた「全集」というものなんです。

2016年6月6日月曜日

宮沢賢治『春と修羅』の「春」はどこからくるのか もしくは勅使川原三郎『春と修羅』について

春と修羅 (愛蔵版詩集シリーズ)
    宮沢賢治はダンスしただろうか?
 しなかっただろう。盆踊りくらいはしたかもしれないが。若い頃の賢治を知る人は、賢治は音楽好きだが音痴だったと証言している。これはずいぶん親近感を覚える話である。
『春と修羅』の中に、「原体剣舞連(はらたいけんばいれん)」という詩があって、これは岩手県江刺市の原体というところに伝わる念仏踊りに取材したものだ。踊り手は伝統的に皆少年である。
 勅使川原三郎はずいぶん前に(と言っても、個人的にはほんのこのあいだのことに思えるのだが)『Dah‐dah‐sko‐dah‐dah』という、この賢治の詩を題材にしたダンスを踊ったことがある。
 舞台を見たのはもちろんだが、それから少し経ってNHKの番組でこの剣舞についての番組があり、今は亡き大滝秀治の朗読をバックにどこかの草原で勅使川原三郎が踊っている映像が流れたことがある。今思うとビデオに撮っておけばよかった、と悔やまれてならない。

2016年6月5日日曜日

「かっこいい!」という名の病

自己愛な人たち (講談社現代新書)



 春日武彦氏によると、統合失調症患者というのは格言の類いが大好きなんだそうだ。

2016年6月1日水曜日

獄中での読書はとても良く捗るとは聞くが

 読書の捗る場所として、「獄中」というのは良く耳にするところだ。
 ドストエフスキーとか、ワイルドとか、レーニンとか、ガンジーにネルー、ネルソン・マンデラ……まあ、ヒトラーとかホリエモンなんてのもいるけど、読書くらいしかすることがない環境というのは、読書を好むものにしてみれば非常に好適と言えるだろう。加えて、腹が減らず、エアコンが効いてればもっと良い。それじゃ「獄」中とは言わんか。

2016年5月28日土曜日

ショーペンハウエルとワーグナーについて



 1854年、ワーグナーは作家ゲオルク・ヘルヴェーク(革命詩人でマルクスの友人)からショーペンハウエル『意志と表象としての世界』を読むことを勧められ、即座にハマる。

レヴィナス『固有名』からマルティン・ブーバーに関する部分をメモ

固有名
エマニュエル・レヴィナス『固有名』から、マルチン・ブーバーに関する部分をメモ。

2016年5月25日水曜日

昔はテレビで「出んのう屁えが」なんてギャグもやってたもんだけど

   こんなものが入荷しました。『実話雑誌』昭和二十五年五月号。カストリよりややマシか、そんなレベルの雑誌です。まだ「戦後」は全然終ってなくて、こんな雑誌がおできより簡単に、できてはつぶれ、つぶれてはでき、ってしてました。
 特集の一番下に、角ゴチックで「天皇立候補一覧表」なんて書いてありますね。おお、戦後の混乱で天皇を選挙で選ぶ事になったのだろうか、なんてなことはありません。この時期、「実は我こそ正当な天皇」と称する人間が雨後のタケノコよろしく全国に現れまして、その中の有名どころをリストアップしてるんです。現天皇は北朝の子孫で、「正統である」とされる南朝の方は途切れちゃってるもんだから、こういうときに我もわれもと群がり出てくるんですね。
 戦前でも「芦原将軍」というのがいまして、真の天皇を自称してずーっと精神病院に入ってました。どういう風向きか変な人気がでて、雑誌などにちょくちょくインタビュー記事が載ったそうです。

2016年5月16日月曜日

本を喰らう

巻物を食わされるエゼキエル

「昔のエラい人は辞書をむしゃむしゃ食べて暗記した」なんて話がありますが、腹壊さなかったんですかね。ヤギだって紙を食べると下痢するそうなのに。だから本当は黒ヤギさんも白ヤギさんも、手紙なんか書いてる場合じゃなかったりします。あ、そうそう、ドラえもんに「暗記パン」てのがありましたっけ。パンに書いて食べると暗記できるってやつ。実はこれ、聖書に似たような話があります。

2016年4月21日木曜日

税金ってなんだろう?

 前々回税金についてちょこっと書いた。
 そのときエッセイストとかいうおねえさんの素朴な疑問として、
「お金持ちが納得して税金を払う何かを考えられないでしょうか?」
 というのがあった。
 え、そんなん無理やろ、税金払ってえびす顔とか、どこのユートピアの話やねん、とつい関西弁になってしまうが、実は「喜んで税金を払った」事例は昔の日本にある。

2016年3月30日水曜日

特攻という名の非日本的行動

日本刀と無敵魂
    昨日に続き、また『日本刀と無敵魂』から。
 この本に「片途(かたみち)戦法」という章がある。飛行機で遠距離の爆撃をする際、航続距離の関係で往復できない場合どうするか、という話だ。
 こうしたことは、日本だけでなく米英も行うが、そのやり方が違う、と書いている。
 まず米英については、
…………
「自分共は敵地を攻撃して、爆弾を落とした。之で自分の任務に対する義務は完了した」
 とてんでに解釈をつけて、それから先の行動は自由意志によって決する。そこで敵地の海に着水しようと、敵飛行場に着陸しようと、それは勝手である。そして手を挙げて降参する、之も自由である。
……………
 と書かれている。そんなことがしょっちゅうあったとも思われないが、まあそうかなという感じもしなくはない。
 次に、日本の場合。

2016年3月29日火曜日

日本刀はキレたか?

梅干と日本刀
―日本人の知恵と
独創の歴史 
(1974年)
 (ノン・ブック)
    確かまだ自分が小学生くらいだった頃、『梅干と日本刀』という本が大ベストセラーになった。
 その当時の日本といえば、高度経済成長からオイルショックの時代へと移り、やっと持ち上げた頭をはたかれたような格好になっていた。
 そんな時、「梅干しすごい。日の丸弁当はとってもエネルギー効率が良い料理!」だとか「日本刀すごい。名刀政宗を分析したらモリブデンが含まれていたので、それがタイガー戦車の装甲にも応用された!」とか、まあなんか読むだけでなんとなく気持ちが上向くような、そんなリポビタンDでファイト一発な内容だった。

2016年3月28日月曜日

好きじゃできず嫌いじゃできず中途半端じゃなおできず

『当世大学生気質 』という本が大正十五年に出ている。発行元は未来社で、帝国大学新聞社編となっている。
 その中に、『古本の巻』という一章が立ててあって……

2016年3月27日日曜日

ざ!じゃぱにーず!!!

日本人の英語 (岩波新書)
続・日本人の英語 (岩波新書)



 もう二十年も前のベストセラーだが、今持って少し気になる記述がある。知る限りでは誰も指摘してないようなので、ここでちょっと書いてみようと思う。
 まず引用。続の19ページから。

……………
……それより気になるのは、"The Japanese"という定冠詞の使い方である。定冠詞は、文字通り「決まったもの」を表わすが、この場合、"The Japanese"が、誰に、どういうふうに一つの「決まったもの」にされているのかをよく考えると、このtheの使い方がやや恐ろしく感じられる。

……"The Japanese"という表現には、すべての日本人を、一人残らず、一つのものとして取り上げてかまわない、それぞれ個人の差があると思わなくてよい、という前提がある。これは、日本人もアメリカ人も同じ人間集団という常識があるにもかかわらず、平気で使われる表現であるので、「愚かさによる前提」と言ってもよいであろう。
…………


2016年3月21日月曜日

初版は本当に初版なのかということについてのメモを少し

○奥付を付けるのは江戸時代から。松平定信が出版を管理しやすいように命じた、とされている。(異説有り)

○昔の奥付はいい加減なものがあった。いかにも売れているかのように見せかけるため、初版なのに奥付には再版としたものもあった。

○奥付にも誤植がある。一番有名なのは福武文庫。1996年刊行のものの多くが1999年になっている。今ではどっちやらわからなくなってしまった。今まで見た奥付で一番すごいのは1274年刊、というもの。もちろん1974年が正しい。残念ながらタイトルは忘れた。申し訳ない。

○吉田精一他編『現代詩評釈』の初版は昭和四十三年三月。しかし、昭和四十四年四月初版となっているものも出回っている。五味智英編『萬葉集必携』も初版は昭和四十二年八月のはずが、のにち再版が出た際なぜか初版の日付が四十四年四月十日に変えられた。理由は推測の域を出ないが……

○たとえば昭和三十七年に学士院恩賜賞となった笹淵友一の『文學界とその時代』下巻の奥付は、昭和三十五年三月二十五日初版、三十六年七月一日再版、とされているが、昭和三十五年にこの本は刊行されておらず、この初版は存在しない。
 学士院恩賜賞はある程度年数がたって評価の定まった本にのみ与えられるので、このような苦肉の策をとったらしい。上記二冊も似たような事情かと思われる。

2016年3月10日木曜日

愛読書が思い当たらない

「愛読書はなんですか?」と訊かれると困る。一冊の書物を舐めるように何度も何度も読み返すようなことはしない。人生は短く、書物はあまりに多いのだ。こうしているうちにも本は何冊も何十冊も生み出されている。どーすりゃいーんだー。

2016年3月6日日曜日

原稿を「書く」という行為が先に滅んでゆくのかもしれない

 数年前鬼籍に入った他称「天才」エディター安原顕は、村上春樹と仲違いして、もっていた村上の生原稿を古本屋に売り払ってしまったそうだ。さすがに村上春樹も激怒したそうだが、私は別な感慨を持った。
 (へー、村上春樹って、まだ原稿に書いてたんだ……)
 最近の作家は、特に流行作家である村上春樹などは、パソコンで文章書いてるもんだとばっかり思っていたのだ。
 いまどき、電子データでないと嫌がる編集者も多いしね。データでもらった方が編集作業も早くなるし、なんといってもらくちんだ。