中曽根康弘が死んだ。百一歳だったという。一時代を画した政治家でもあるし、せめて「亡くなった」と書いて多少の敬意を表すべきかもしれないが、私はただ「死んだ」としておきたく思う。というのも、どうにも片づかない、もやもやの残る思い出があるからだ。
昔々、まだ大学生だった頃、中曽根康弘を「目撃」した。以下に述べる体験は、やや劇画めいてはいるが、まったくの事実である。
2019年11月29日金曜日
2019年10月24日木曜日
この「つまらなさ」はただ事ではない!!の続き
「つまらない」ものについて語る時、人はただ罵倒するばかりになりがちだ。なぜかというと、「つまらない」ものは人の思考を停止させる働きがあるからだ。
するとどういうことが起きるかというと、「つまらない」物を罵倒するついでに、その「つまらない」ものを面白がっている人を同時に罵倒してしまう。
本当は「つまらない」ものと、それを面白がってる人を分離させなければならないし、それを分離して語るということは、おおよそ「時代」について語ることになってくる。
面白いものはやはり時代に対して垂直に立っているが、「つまらない」ものは時代に寄り添うように寝そべっているものだからだ。
するとどういうことが起きるかというと、「つまらない」物を罵倒するついでに、その「つまらない」ものを面白がっている人を同時に罵倒してしまう。
本当は「つまらない」ものと、それを面白がってる人を分離させなければならないし、それを分離して語るということは、おおよそ「時代」について語ることになってくる。
面白いものはやはり時代に対して垂直に立っているが、「つまらない」ものは時代に寄り添うように寝そべっているものだからだ。
ラベル:
文学
2019年9月30日月曜日
この「つまらなさ」はただ事ではない!!
あした来る人(予告)
この間、川島雄三の『あした来る人』を見た。これまで川島作品は、どんな駄作だろうがそれなりに楽しめたのだが、これだけはどうしてもダメだった。
とにかくつまらない。
2019年6月22日土曜日
天使が遠ざかりながら「過去」をカメラで写したとしたらこんな映画になるのだろう
幼い頃見る夢はどれもモノクロだった。
それは当時当たり前のことで、色付きの夢を見るのは「き○がい」に多い、などと子供向けの学習雑誌(小学館のやつ)に堂々と書かれていたのを憶えている。なので、たまにカラーの夢を見ると、子供心にショックを受けたりもした。
だいたい夢だけではなく、写真も映画もテレビもモノクロだった。
今は、夢を見るとほとんど色がついている。写真も映画もテレビもカラーが普通だ。色付きの夢を見ることが、特殊なことのように言う人もいなくなった。
だが、幼い頃のことが夢に出てくると、それは今でもモノクロのままだ。
遠ざかる記憶は色彩を失うものなのか。
誰もがそうだとは限らないだろうが、過去における「何か」を克明に映そうとするとき、人はそれをモノクロで表すことが多いようだ。
「何か」とは、およそ「罪」に関わる何かである。
ラベル:
映画
2019年5月30日木曜日
座右の銘なんてないけれど折にふれ思い出す言葉のいくつかを書いてみる
昔むかし、店舗開店当時に雑誌の取材などをぱらぱらと受けていた時、なぜかよく「座右の銘は何ですか?」と質問された。
「ない」と正直に答えるのも気恥かしいように思えて、何かしら適当に答えていたが、何と答えたか全く憶えていない。どう答えようと、それが記事に反映されたことは一度もなかったからだ。
この世に生まれ落ちて早半世紀が過ぎたが、墨痕淋漓と色紙に書きつけ額装して寝室に飾っておきたくなるような「座右の銘」、などというものは一つもない。
だが、時折ふと頭に浮かび、なぜか脳内で繰り返されるフレーズならある。
別にその言葉が人生の指針になってたりなんかぜーんぜんしないのだが。
「ない」と正直に答えるのも気恥かしいように思えて、何かしら適当に答えていたが、何と答えたか全く憶えていない。どう答えようと、それが記事に反映されたことは一度もなかったからだ。
この世に生まれ落ちて早半世紀が過ぎたが、墨痕淋漓と色紙に書きつけ額装して寝室に飾っておきたくなるような「座右の銘」、などというものは一つもない。
だが、時折ふと頭に浮かび、なぜか脳内で繰り返されるフレーズならある。
別にその言葉が人生の指針になってたりなんかぜーんぜんしないのだが。
2019年5月25日土曜日
2019年5月17日金曜日
2019年4月27日土曜日
2019年4月19日金曜日
2019年4月4日木曜日
2019年2月18日月曜日
子供たちを殺すものは誰か
ついこの間まで世間は、父親が幼い娘を虐めぬいた末に殺した事件について語ることで、腹をつぶされた蛇のようにのたうっていた。
やや過剰とも思える報道に触れて、思い出したのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』である。その中の有名な「大審問官」の部分で、イワンがとある事件について語っている。
やや過剰とも思える報道に触れて、思い出したのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』である。その中の有名な「大審問官」の部分で、イワンがとある事件について語っている。
2019年1月23日水曜日
ほんまでっか?ハイデッガー!【…と梅原猛はなぜ似ているんだろう編】
中央最上段に梅原猛 |
九三歳という高齢であり、この人の著作についてあまり熱心な読者ではなかったこともあり、「惜しい人を亡くした」とかいう類の感慨はない。
でもちょっと書いておきたくなったのは、「哲学者」というもののあり方について、考えさせられるところがあったからだ。
そう、梅原猛は「哲学者」なのだ。一応。
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