2019年11月29日金曜日

中曽根康弘という権力者を生で見てしまったということ

 中曽根康弘が死んだ。百一歳だったという。一時代を画した政治家でもあるし、せめて「亡くなった」と書いて多少の敬意を表すべきかもしれないが、私はただ「死んだ」としておきたく思う。
 昔々、まだ大学生だった頃、中曽根康弘を「目撃」した。以下に述べる体験は、やや劇画めいてはいるが、まったくの事実である。

 それは初台駅でのことだった。現在の初台は立派な駅ビルが立っているが、当時そのようなものはまったくなく、京王新線の新宿に一番近い駅でしかなかった。
 昼を少し回った頃合いだった。初台駅入口の階段を降りていくと、妙な違和感を覚えた。
 階段の途中で足を止め、改札近辺の様子を見渡してみたが、なんということはない、いつもの駅の風景である。改札の駅員は切符切りをかちゃつかせてるし(まだ自動改札はなかった)、まばらな乗客たちの足取りも常とは変わらぬようだった。
 だが、よく目を凝らしてみると、切符売り場の脇に立っている背広姿の男がおかしい。なんというか、「殺気」が出ているように思える。
 当時私は大学の少林寺拳法部に入り、すでに段位を得てはいたが、「殺気」など感じられるほどの達人ではないはずだ。馬鹿馬鹿しい、何かの錯覚だろう、やれやれ、と自分を納得させて改札を通ったが、「殺気のような何か」はずっと背後からまとわりついてくるように感じられた。
 改札を出ると、ホームへとさらに降る階段がある。そこへ足を踏み入れると、また同じ感覚に襲われた。
 今度は、階段の踊り場に立っているもう一人の背広の男だ。改札の外にいた男と、まったく同じ「殺気」を放っている。
 さすがにぎょっとしたが、やはりまだ自分が感じているものが本当とは思えなかった。いやいやいや、なんか疲れてんのかなー、帰ったらちゃんと寝ないとなー、などと頭の中で独り言を呟きながら、踊り場の男からなるべく離れるようにして通り過ぎた。
 そうして、ホームに降りて驚いた。
 先の二人とまったく同じ空気をまとった背広の男たちが、七、八人ばかり立っていたのだ。
 彼らは一人一人バラバラの方角を見ながら、てんでに場を占めているようだったが、なんとなしに中央の誰かを守っているのが見て取れた。
 その中央に、中曽根康弘がいた。当時はまだ総理になる前だった。
 やはり背広を身につけ、直立不動の態で屹立していた。
 私はホームの端へと場を移し、ちょうどやってきた電車にさっさと乗り込んだ。
 窓から覗くと、中曽根はその電車には乗らず、やはり不動のまま電車を見送っていた。
 
 中曽根が初台で何を待っていたのか、それとも待たせていたのかはわからない。
 ただ、学生だった私には、生理的に嫌な感触だけが残った。落ち葉の積もる道を歩いていてネズミの死体を踏んだような、そんな感触である。
 素で突っ立っている権力というものが、理屈や論理ではなく、生理的嫌悪感を伴うものだ、ということがその時実感できた。

 
 以上、天地神明に誓って実話である。

 出刃の血を舐めて死んだか冬の蠅(拙句)


国士・中曽根康弘先生―昭和維新の志士・戦後初の右翼宰相 (1984年)

 もう一つ思い出したので、追記。
 バイト先の社長の親父さんが、元中曽根の上官だったという人で、「あんな腐った奴が総理だなんて、世も末だ」と嘆いていた。
 軍の中でもかなり評判悪かったそうな。

2019年10月24日木曜日

この「つまらなさ」はただ事ではない!!の続き

 「つまらない」ものについて語る時、人はただ罵倒するばかりになりがちだ。なぜかというと、「つまらない」ものは人の思考を停止させる働きがあるからだ。
 するとどういうことが起きるかというと、「つまらない」物を罵倒するついでに、その「つまらない」ものを面白がっている人を同時に罵倒してしまう。
 本当は「つまらない」ものと、それを面白がってる人を分離させなければならないし、それを分離して語るということは、おおよそ「時代」について語ることになってくる。
 面白いものはやはり時代に対して垂直に立っているが、「つまらない」ものは時代に寄り添うように寝そべっているものだからだ。


2019年9月30日月曜日

この「つまらなさ」はただ事ではない!!

あした来る人(予告)

 この間、川島雄三の『あした来る人』を見た。これまで川島作品は、どんな駄作だろうがそれなりに楽しめたのだが、これだけはどうしてもダメだった。
 とにかくつまらない。

2019年6月22日土曜日

天使が遠ざかりながら「過去」をカメラで写したとしたらこんな映画になるのだろう

 幼い頃見る夢はどれもモノクロだった。
 それは当時当たり前のことで、色付きの夢を見るのは「き○がい」に多い、などと子供向けの学習雑誌(小学館のやつ)に堂々と書かれていたのを憶えている。なので、たまにカラーの夢を見ると、子供心にショックを受けたりもした。
 だいたい夢だけではなく、写真も映画もテレビもモノクロだった。
 今は、夢を見るとほとんど色がついている。写真も映画もテレビもカラーが普通だ。色付きの夢を見ることが、特殊なことのように言う人もいなくなった。
 だが、幼い頃のことが夢に出てくると、それは今でもモノクロのままだ。
 遠ざかる記憶は色彩を失うものなのか。
 誰もがそうだとは限らないだろうが、過去における「何か」を克明に映そうとするとき、人はそれをモノクロで表すことが多いようだ。
「何か」とは、およそ「罪」に関わる何かである。

2019年5月30日木曜日

座右の銘なんてないけれど折にふれ思い出す言葉のいくつかを書いてみる

    昔むかし、店舗開店当時に雑誌の取材などをぱらぱらと受けていた時、なぜかよく「座右の銘は何ですか?」と質問された。
「ない」と正直に答えるのも気恥かしいように思えて、何かしら適当に答えていたが、何と答えたか全く憶えていない。どう答えようと、それが記事に反映されたことは一度もなかったからだ。

 この世に生まれ落ちて早半世紀が過ぎたが、墨痕淋漓と色紙に書きつけ額装して寝室に飾っておきたくなるような「座右の銘」、などというものは一つもない。
 だが、時折ふと頭に浮かび、なぜか脳内で繰り返されるフレーズならある。
 別にその言葉が人生の指針になってたりなんかぜーんぜんしないのだが。

2019年5月25日土曜日

2019年4月19日金曜日

2019年2月18日月曜日

子供たちを殺すものは誰か

   ついこの間まで世間は、父親が幼い娘を虐めぬいた末に殺した事件について語ることで、腹をつぶされた蛇のようにのたうっていた。
 やや過剰とも思える報道に触れて、思い出したのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』である。その中の有名な「大審問官」の部分で、イワンがとある事件について語っている。

2019年1月23日水曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…と梅原猛はなぜ似ているんだろう編】

中央最上段に梅原猛
  梅原猛が死んだ。
 九三歳という高齢であり、この人の著作についてあまり熱心な読者ではなかったこともあり、「惜しい人を亡くした」とかいう類の感慨はない。
 でもちょっと書いておきたくなったのは、「哲学者」というもののあり方について、考えさせられるところがあったからだ。
 そう、梅原猛は「哲学者」なのだ。一応。