2014年7月10日木曜日

かつてはその人の膝の前に跪いたという記憶 が、今度はその人の頭の上に足を載せさせようとするのです。(夏目漱石『こころ』)

夏目漱石『ころ』復刻版
 春から朝日新聞で夏目漱石の『こころ』が連載されている。ちょうど百年前に連載されたというから、連載中にサラエボ事件が起きたはずだ。今年の六月、ヨーロッパ方面では第一次大戦百周年の記事が多く見られた。
 娘の国語学習に良いと思って毎朝朗読させているのだが、「私」と「先生」との交流の描写に「ほも?」と口を挟むのは、やはり現代っ子(死語?)だなあ、と思わされる。実際、「私」と「先生」の関係をホモ臭く感じる人は多く、海外でもそのような感想が持たれたりしている
 とは言え、作者自身にそのような思惑はなく、漱石は自らの経験に照らして、師と弟子の関係というものはこのようなものだ、とごく自然に考えていたことだろう。

 しかし『こころ』の「私」と「先生」は、「私」は「先生」から何を教わるというでもなく、ただ家に出入りしたり外出についていったり、なんということのないような会話を交わしたり、そんなことで「私」は「先生」を人生の「師」としている。それがまた通常の人間関係とはまた違った、不可思議な濃密さをかもしだしている。
志賀直哉全集 〈第3巻〉 城の崎にて 和解
    こうした師弟の濃密さというものは、今じゃニホンウナギ以上の絶滅危惧種になってしまったので、想像するのはちょっと難しい。

 そういえば志賀直哉里見弴の間にも一種「同性愛的な」(と里見自身が書いている)感情のやり取りがあり、それがこじれたことが志賀直哉の鉄道事故につながっているという。あれは、無意識の自殺に近いものだったのではないか、とのこと。名作『城の崎にての冒頭、「山の手線の電車に跳ね飛ばされて怪我をした」というのがそれで、あの短すぎるほど短い短編の背景にはこうしたことがあったのだ。

 それと思い出されるのが、井上友一郎の『受胎』という短編だ。
井上友一郎『受胎』
 漫才師の思い出話のような態で、語り手は昔浪曲師をこころざしたことがあると言う男だ。
 憧れの師匠の元に弟子入りしたが、どうしても師の域にまでたどりつけず、悶々とするうちに師匠の妻と駆け落ちし、また舞い戻り、すったもんだのあげく今では漫才師として成功している。ところが、今もって浪曲師への憧れが消えない。
 ラジオから聞こえる師匠の声に心震え、時折うなってはみるがまったくだめだと落ち込む。
 夢に破れ、しかし夢から醒めえず、今も煩悶する己を、師匠に「孕まされたようだ」と自嘲する。
 えーと、正直ちょっと不気味な感じがするのだが、昔の師弟関係というのは、ここまで「濃い」ものだった例といえるように思う。

 こういうのは最近、ホモソーシャル(セクシャルではなく、社会的な均質を第一とする態度)をキーワードにして解いたりするようだが、ちょっとお手軽すぎるんじゃなかろうか。エントリーのタイトルに引いたように、弟子というものは成長するに連れ、師匠をないがしろにすることも多い。『こころ』の「先生」は、そのことを理由にして、あるラインからは「私」を近寄せないようにしている。で、その意味有りげな態度がまた、「私」が「先生」に魅きよせられる誘因となっている。

 師弟というのは、親子でも兄弟でもなく、夫婦などではもちろんなく、上司と部下でもなく先輩と後輩でもなく、主人と奴隷でもなく王様と家来でもなく、教師と生徒は似て非なるもので、師匠は弟子を全人格的に指導するわけなんだが、今じゃ落語家だってそんなめんどうなことはしやしない。
 二一世紀の現代、師となるのも弟子となるのも、ずいぶんとしんどい思いをさせられる。
 そのくせ弟子にはなりたがらず、やたらと師になりたがる人間ばかりが目につく。

 孟子曰、人之患、在好為人師
 孟子曰く、人の患いは好んで人の師となるに在り

……うーん、もしかするとこのテーマ続くかもしんない。続かなかったらごめんなさい。

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