2014年8月31日日曜日

なぜフランスはいつまでも「おフランス」たりうるのかのつづきのようなそうでなくないようなPart.2


 フランス映画の「刑事モノ」が好きだ。フレンチ・フィルムノワール と呼ぶ人もいるみたいだけど、そんな「本家はこちら」みたいな呼び名は使いたくない。いいじゃん、「刑事モノ」で。
 どういう所が好きかというと、たとえば冒頭でレストランでの食事シーンが映る。ややくたびれた男が奥さんから離婚話を切り出される。男はレストランでテーブルをひっくり返して暴れだす。次の日、留置場の中で目ざめた男は、ポケットから鍵を取り出すと自分で檻を開けて出てゆく。そう、実はこの男は刑事なのだった……

2014年8月27日水曜日

【途中だけど格差が広がると何が悪いのか編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

piketty
「命の次に大事なのがお金」というのは、子供でも知ってる通俗的な価値観だ。つまり、命こそは一番大事なもののトップ、というのが現代人が共有するモノサシになっている。「命より大事なものがある」というのは時にロマンでありドラマであり、あまりリアルではないように語られる。そういう前近代的心性は、どこか気恥ずかしいものがあるからね。
 前回、近代以前においては財産とそこから分離した「名」が、「命より大事なもの」としてあったということを書いた。近代になって資本主義が全盛になると、財産は金銭に置き換え可能なものとなり、それに代わって「愛国心」というものが登場した。でも、財産が「命より大事」とする価値観の底流は失われておらず、それは「愛国心」にとって邪魔なものになった。
 こういう前近代的な心性の隠された流れは普段意識されることが少なく、表面的には「命こそが一番大事」ということになっている。そして、「お金はその次に大事」
 そう、これこそが常識なのだが。

2014年8月25日月曜日

【まだ途中なんだけど愛国心はどこからくるか編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

「一所懸命」という言葉がある。今ではほとんど「一生懸命」に言い換えられてしまうが、本来の言い方はこっちの方だった。意味は文字通り「一つの所に命を懸ける」ということである。昔の武士が自分の所領を命がけで守ったことからきている。
 昔の日本人にとって、財産とは「土地」とイコールだった。別にこれは日本だけのことではなく、英語でもproperty(財産)は、土地の意味も持っている。
 財産propertyとは何か。それは本来、金銭などには替えがたいもののことである。その昔、武士や百姓にとって、土地というものは命懸けでやりとりするものであって、金銭で売買などできないものだった。よく知られた「徳政令」などは、「土地を本来あるべき持ち主に返す」のが目的だった。それが借金帳消しを伴ったというだけのことである。

2014年8月23日土曜日

【まだ途中なんだけど感想を少し編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

Capital in the Twenty-First Century
はい、まだ全部読めてません。すいません。でもちょっと書きたくなったので、少しばかり感想を書きます。
 こういう勝手なことができるのがブログの醍醐味だよね。

 ともかく、ピケティはこの本が評判になるにつれ、「ピケティはアカだ!」「社会主義者だ!」「かくれマルキストのピケティ!!」てなことを散々に言われている。マンキューとかにね。え、言ってない?ニュアンスってやつっスよ。
 しかしまあ、こういう批判は本を書く前から予期していたらしく、マルクスについては触れこそすれど距離を置く感じで書いている。「マルキスト」というレッテル貼りに対しても「え、そんなマルクスとか、あんまり読んだことないし」と応えている。まあ、それは本当だろうな、と思う。もしマルクス主義者が同じことに気づいていたら、この三十倍はめんどくさい理論が構築されていただろうし。ベストセラーなんか夢のまた夢だ。

2014年8月20日水曜日

2014年8月16日土曜日

古本屋については「あるある」よりも「ないない」の方が多い

 前回のエントリーにちなんで、「古本屋あるある」の提案をいただいたのだけど、どうも「あるある」より、「ないない」「それはない」の方が多いように思う。なので、古本屋「ないない」の話。
 
木曽名所図会 揃い
 「どんな本でもたちどころに見つけ出す。その技、神域に入る」
 ……なわきゃーない。
 そりゃ一般のお客様に比べりゃ数万倍(当社比)の知識はあるけれど、古本屋の扱う書籍は現在出ているものだけでなく、何十年、ヘタすりゃ何百年も前のものも含まれる。(当店ですら江戸時代の書籍が在庫していたりする)海外のものだってある。
Yellow Book その他
大げさでなく、何兆冊あるかもわからないんだから、「子供のときに読んだ茶色っぽい表紙で、かわいい女の子の出てくる話を探してる」とか言われても困るのだ。困るけれども、そういうことを訊いてくれた方が話のきっかけになるので、困るけれども訊いて欲しい。だから困っていてもわからなくても(ち、使えねーな)とか思わないで欲しい。真摯なお願い。

2014年8月15日金曜日

なんだか『いやな感じ』

いやな感じ (1963年)
『いやな感じ』という本が入荷してしまった。
「してしまった」と書いたのには理由がある。Facebookで友達になった遠藤氏が、つい先日この本を探しに店へ来た、ということがあったのだ。その時は在庫がなかったので別な手段を示し、無事入手されたとのことでほっとしたところだった。
 もう少し入荷が早ければ…とは思うが、それがままならないのが古本屋というもの。
 そして、こういうことがちょくちょくあるのが、古本屋という商売なのだ。

2014年8月14日木曜日

どうするサマーズ!なんて言ってもしょうがないか

 タイトルのサマーズってのは漫才師のじゃなくて、ローレンス・サマーズ元財務長官のことだ。
 以前本宅で触れた(ここここ)のだが、この人は一つの信念として「女って基本的に科学者に向いてねーよな」みたいなことをおっしゃったのだ。
 日本では最近リケジョの星だとかいう割烹着姿のねーちゃんが大コケしたので、そっち側はすっかり意気消沈してしまっていたんだけど、そこへびっくりなニュースが飛び込んで来た。

フィールズ賞:初の女性受賞者にイラン出身ミルザハニ教授

例によって、こっち↓のが詳しい。

2014年8月13日水曜日

それは家事が労働である証拠みたいなもん

 テレビを見ないので世間の話題について遅れがちなのだが、今頃になってヘーベルハウスの「妻の家事ハラ白書」を取り上げてみたい。
 ちょっと注釈を入れておくと、この「家事ハラ」といういやつ、本来の意味とはぜーんぜん違うニュアンスで流通しているようで、名付け親が怒り心頭なのだそうだが。
家事労働ハラスメント
―生きづらさの根にあるもの (岩波新書)
 でもまあ、しかたないといえばしかたない。元々のやや重たい意味だと、居酒屋でオダあげるときのネタにならない。巷間口の端に上らねば、効果的な広告とはならないのだ。その点今も昔も、妻についての愚痴は、野郎どもにとって居酒屋のナンコツ唐揚げ同様定番のサカナなのだ。私のような愛妻家は肩身が狭いのである。マジで。ほんとマジで。
 ヘーベルハウスの「白書」がどのようなアンケートを元に構成されたか知らないが、作った人は「これはウケるぞー」くらいにしか考えていなかったことは確かだ。そうやって異様に低い目線からのものいいが、現状のおかしな部分を意図せず明らかにしてしまう、というのも、まあ、よくあることと言えるかもしれない。

2014年8月10日日曜日

その文章がおかしいのは読者に理解より共感を求めるからか/もしくはとんと流行らなくなった「小説家病」というもののつづき

ウナギと山芋 (中公文庫)
昨日からのつづき。
 丸谷才一がなんで「小説家病」などということを言い出したかというと、自分も政治的なことについてくっちゃべってみたくなったからだ。
「今日の話は(中略)第二期と第三期の中間、といふところです」と断りつつ始めたのは、憲法の話。丸谷氏の言うところでは、「現行憲法の文章は悪文であり、それに比べて明治憲法の文章は立派なものであるーーといふのがその定説」なんだそうだ。言い出しっぺは誰だか知らないが、その説を広めたのは三島由紀夫文章読本であるという。孫引きすると「実に奇怪な、醜悪な文章であり、これが日本の憲法になったというところに、占領の悲哀を画いた人は少なくなかったはずです。もし明治時代に日本が占領されていたとしたら、同じ翻訳であっても、もっと流麗な美文で綴られたことでありましょう」てな具合に三島は語る。現行憲法が悪文であることには丸谷氏も同意しているが、じゃあ翻って明治憲法が美文であるかというと、とてもそのようなことはない、と押し戻す。

2014年8月9日土曜日

とんと流行らなくなった「小説家病」というもの

ウナギと山芋 (中公文庫)
    丸谷才一が「小説家病」というものについて書いている。
    これは罹患の程度に段階があって、まず第一期は他人の男女関係にむやみに好奇心を持つようになる、という。さらに第二期になると、他人の文章が気にかかって仕方なくなり、ちょっとでもおかしな文章を見ると添削したくなる、という。
 えー、ここまでは、たぶん、おそらく、ご自分のことをおっしゃってるんだろうなあ、と思う。
 そして第三期となり末期症状を起こすと、「この腐れきった日本をただすのは自分しかいない」などと興奮して国事を憂えるようになるんだそうだ。
 そういやいたな、末期の人。まだ元気なんだっけ。

2014年8月8日金曜日

親不孝しているうちは親がいる

「子供の成長は親の死である」とヘーゲルは書いた。
 なんとなくわかるようなわからないような文句だが、これについて解説すると、ヘーゲルが共同体というものについてどのように考えていたのか、てのを書かにゃならんのでチトしんどい。
 なんでも児童虐待は全国で七万件を越えるんだそうだ。そういう数字だけを聞くと、「なんという人心の荒廃!」という感じがするが、それまで「しつけ」とされてたことが、ちゃんと「虐待」と認知されて来たということなんで、減らすのはまだまだこれからの課題のように思う。
 だいたい欧米だって二十世紀前半くらいまでは「ガキなんざぶん殴って育てるのが当たり前」だった。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』なんかでも児童虐待のエピソードがでてきたりする。

2014年8月7日木曜日

なろうなろうあすなろう明日はサイコパスになろう

⑴とにかくおしゃべりになろう。
深い考えなんか必要ない。
その場を盛り上げて自分の魅力を打ち出そう。

2014年8月4日月曜日

夏虫や書を採りていざ露天風呂/もしくはもしも本の無い世界に行ったらPart.2

  じりじりとあぶられるような日が続く。部屋のどこかで鉄板焼きのスイッチが入れっぱなしになってやしまいか、などと眠れぬ夜に不安がよぎったりもする。
 夏場は本が売れない。こんなに暑くちゃ、なかなか本を読む気になれないのは、当たり前のことといえる。
 さて、フランス人が夏に長期のバカンスをとるのはつとに知られたことだが、バカンス中にすることの定番は、一夏のアバンチュールなどではなく、読書だそうだ。

欧州の旅行者、休暇中の楽しみは今も「読書」


2014年8月3日日曜日

夏目漱石について常々残念に思っていること

   相変わらず朝日新聞で連載中の『こころ』を娘に朗読させている。先生の手紙にKがでてきて、そろそろクライマックスである。
  音で聞いているとわかるのだが、漱石の文章は本当にリズムがいい。なんというか、耳で聞いていると、上等の縫い物が目の前で出来上がっていくような感覚がある。縫い目が細かく、それでいて窮屈でなく、運指が完璧で縫う目を過たない。
   そうした文章の妙が娘にどの程度伝わっているのか、いないのか、少々おぼつかなくはあれど、内容くらいはわかっているようだ。