2018年9月21日金曜日

やってきたのは嵐の言葉♪俺たちのウソを見破るため♪【ららら科学の子の続き編】

Researcher at the center of
an epic fraud remains an enigma
to those who exposed him
    先月のことになるが、日本の医学分野における論文が、目に余るほど捏造が多い、ということについて「サイエンス」誌で取り上げられた。
 日本から発表される論文は全体の5%しかないのに、捏造がバレて撤回した件数の上位十人のうち、五人が日本人だ、とのことである。
 ダントツの一位は藤井善隆という麻酔学者で、183本という撤回本数は二位の倍近く、件数において世界新記録だという。やな新記録だな。
記事中で詳しく触れられている佐藤能啓(六位)は、「科学史に残る」汚点なんだそうな。

 で、記事では「なんで日本は捏造が多いの?」という話になっているんだが、前々から言っているように「科学はウソを見抜けない」ので、性善説で運営されているといともたやすくウソがまかり通ってしまうのだ。
 日本にそれが多い、というのは、一時的な現象でなければ、日本人がやたら科学者というものを崇め奉りまくっていることの副作用だろう。
「理系」と「文系」などという区別がくっきりしていて、文系が数学苦手なら、理系は文系的な「倫理」への意識に欠けている、というわけだ。
 科学は「正誤」の見分けはつくが、「善悪」についてはまったくわからない。この宇宙で唯一非科学的なのが、人間の精神だからだ。
 日本ではよく科学の進歩は倫理を乗り越えていくものである、かのように語られているため、科学者もいつの間にか「科学のためならウソをついてもいい」ような態度が身についてしまうのだろう。「健康のためなら死ねる」みたいなもんである。
 
 ところで、話はちょっと変わるのだが、この件少し引っかかるところがある。この佐藤能啓という人の捏造論文は、主に「リセドロン」に関するものなんだが、リセドロンのWikipe(Resedoronic acid)を見ると、P&G社その他が、ライバルのロシュとグラクソ・スミスクライン相手に訴訟を起こしている。P&Gの主張は、ライバル社の薬品が実験結果を詐称しており「健康を害する恐れがある」とのことで、薬品の製造中止を求めた。
 争いが起きたのは2006年。上掲の記事によればアリソン・アヴェネルが佐藤の実験に疑いを抱いて調査を始めた年と同じである。
 訴えはその年のうちに却下された。「P&Gは相手を侮辱するのが目的だった」とのお叱り付きである。
 ただしこれ、P&Gのホームページでは、またちょっと違った事情が書かれていたりする。
 私は医薬品業界についてそれほど詳しくはないが、魑魅魍魎が跋扈しているのは漏れ聞いている。
 論文捏造でも、ノバルティスのディオバン不正事件があった。 

「科学史に残る」という捏造をした佐藤能啓は自殺した。
捏造がバレたのを恥じて、とされている。
 サイエンスの記者は、死んでも論文が残るのだから無責任だ、と死者を鞭打つ。しかし、医薬品業界の動きについては触れていない。
 ひねくれ者の私はついつい疑ってしまうのだ。
 それ、本当に自殺だったの?(陰謀脳)

佐藤能啓 他、髄液細胞アトラス


2018年9月13日木曜日

なんでそんなにゾンビが愛されるのか

    今日、巷で評判の『カメラを止めるな!』を観ました。
 感想としては、「ゾンビがくるりと輪をかいた」というか、「子鹿のゾンビはかわいいな」というか、そんな感じでした。珍しく一家三人で観たんですが、家族で鑑賞するには最適の映画ですね。ぽん!(←せっかくなんでネタバレ)

2018年8月11日土曜日

小津安二郎は本当にラーメンが好きだったか

    若い頃観たものを歳経てから観直すと新たな発見がある。
 それは別な色彩の感動という形をとって現れることもあるが、昔は気にならなかったものが今になってみるとどうも気になる、ということもある。親父になって了見が狭くなり、小姑のような嗅覚が身についた、というだけのことかもしれないが。

2018年8月3日金曜日

子供を作るのってぜんぜん「生産」じゃないんだけどな

 あまりの暑さに脳みそが茹で上がりそうな今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
 うだうだと日々を送るうちに、世間では「生産性」とやらが話題のようで。
 LGBTについては以前触れたので、今回は「生産」について少々。

 えー、まず「生産」とは何かというと、自然にあるものを作り変えて人間の欲望に沿ったものにしてしまうことですね。
 ここで勘のいい人は「おいおいおい、こらちょと待てや、『欲望』は自然なもんとちゃうんかい」と突っ込むと思います。
 この場合の欲望ってのは、三大欲望とされる食欲・性欲・睡眠欲ではなくて、「自由」への欲望です。
森の生活 (ウォールデン)
    ええ、人間の「自由」ってのは、自然から離れれば離れるほどそれを感じるものです。ソローの『ウォールデン』でも読んでもらえりゃわかりますが、自然に「還る」なんてのはむしろ「不自由」を楽しむものです。自然界を離れていく「自由」よりも、自然の中の「不自由」にこそ真の豊かさがある、とソローは考えました。
 人間が「生産」する根拠としての「欲望」は、より自然から離れて自由になること他なりません。
 じゃあ、子供を作ることは、さて「生産」と言えるのかどうか?

 ここで、みなさん思い出してください。
 子供ができた時、子供はあなたを「自由」にしてくれましたか?
 子供がいない人は自分が幼い頃を思い返してください。あなたは両親を「自由」にしたいと考えていましたか?自分が自由に振る舞うために、両親に無理をいうのが当たり前だったのではないでしょうか。
 考えてみりゃ、子供を作るのは人間が行う一番「自然」な行いですから、それが「自由」をもたらすことなんかありえないし、「自由」がなければそれが「生産」につながることもありえません。
 功利主義のJ.S.ミルは、結婚して子供を作らないのが一番効率的だと唱えました。
 
 子供を作ることを「生産」の手段として考えることは、実は古代ギリシアの頃からある誤謬です。
    
プラトン 『国家』
―逆説のユートピア 
(書物誕生 あたらしい古典入門) 
    有名なのはプラトンの『国家』ですね。いかに優秀な国民を生み出し、理想的な国家を作り上げるか、プラトンは哲学的に考えました。端的に言って、優生思想とそんなに変わりません。で、実際にシュラクサイで実験して失敗しました。
 子供を作ることを「生産」として語ることに無理があることに気づいた人たちは、そこで「再生産」という言葉をあてはめました。
 上手いネーミングですね。私も一時期そのように考えていました。
 でも「再」がつこうがつくまいが、「生産」は「生産」なんです。
 子供がやがて生産活動をすることを期待しての子作りとか、実際は無理があるものです。
 そうした「自然」に反する行いは、むしろ多くの不幸を呼び寄せました。「貧乏人の子沢山」てやつですね。
 子供を作ることは、「生産」でも「再生産」でもなく、自然から離れて自由になる生産に反するものとしての「反生産」なんです。
 
 「人間と動物を隔てるのは『生産』である」とマルクスは言いました。
 人間はどうしたって「自由」を求めるものだし、それは「自然」を作りかえて「生産」していくことで得られるものです。
 ならば逆説的に、「反生産」である子作りをしない人間こそが「生産的」であり、それこそが人間社会の求めるもの、といえるのではないでしょうか。
 つまり、LGBTという子供を作らない人たち(必ずしも全員ではないでしょうけど)がある程度存在するのは、「自由」を求め「生産」することが宿命である、人間社会の無意識(集合的無意識とか?)が生み出したものと言えるのかもしれません。
 実際、世界史に残る偉人には、同性愛者が少なくないですし。

 ま、だからといって、「いわば、しっかりと、国難の、中において、あらゆる政策を総動員した、中にあって、いずれに致しましても、大切なことは、私の祖父、なのであります」とか舌ったらずにくっちゃべる男が「生産的」だなどとは、まったく思いませんけどね。

資本論第一部草稿 直接的生産過程の諸結果 (光文社古典新訳文庫)

2018年7月11日水曜日

どうせわたしをだますなら?

お年玉ぽち袋

 初めてもらったお年玉ってどうしたか憶えていますか?
 私は母親に「ママが預かっておいてあげるからね〜」と巻き上げられてしまいました。でもまあ、これはほとんどの人がそうでしょう。ちなみにウチの娘もそうですが、妻がちゃんと口座作って貯金してますな。うむ、えらいぞ。
 お年玉に限らず、親ってのは子供にウソをつくもんです。というか、ウソをつかないと育ててらんない。ウソが家族を作るんですね。
「おー、よしよし」
 良くないし。
「そんなとこでいじけてると、置いてっちゃうよ!」
 置いてかないし。
「痛いの痛いの〜飛んでけ〜〜!」
 飛んでかないし。

2018年7月10日火曜日

高学歴でもオウムにひっかかるのは全然不思議でもなんでもないということについて

 オウム逃亡犯最後の一人が捕まりました。逮捕された写真を見てまず思ったのは、(あ、こいつ、なんか俺に似てる……)
 昔、オウムが騒がしかった頃、新実智光を見てやっぱり(坊主だった頃の俺に似てる)と思ったものでした。大学時代、少林寺拳法部なんぞに入っていたので、学ランに坊主頭だったんです。
 それから行きつけの飲み屋でも、よく「緊急対策本部長」なんて呼ばれました。上祐ですね。なんか「教祖顔」があるんなら、「信者顔」ってのもあるのかもしれません。誤認逮捕されなくて良かった。

2018年7月7日土曜日

オウム真理教の背景としての「日本」

尊師麻原は我が弟子にあらず―
オウム・サリン事件の深層をえぐる
    なんか、平成の終りが見えてきて、慌てて「大掃除」をしているらしい。「オリンピックちゃんが来る前に、お部屋をキレイにしなきゃ!」ということもあるかもしれない。
 とにかく、長年下駄箱の影でホコリをかぶってどす黒くしなびた幸福の木のように、オウム真理教の面々は「おかたづけ」されてしまった。