2019年9月30日月曜日

この「つまらなさ」はただ事ではない!!

あした来る人(予告)

 この間、川島雄三の『あした来る人』を見た。これまで川島作品は、どんな駄作だろうがそれなりに楽しめたのだが、これだけはどうしてもダメだった。
 とにかくつまらない。
 義務感から無理矢理に視聴したが、つまらない映画を延々と見ることがあれほど辛いとは思わなかった。心の中で『時計じかけのオレンジ』のアレックスのように、やめろーやめてくれーもうゆるしてくれー、と叫びながら映画を観ていた。
 この「つまらなさ」はただ事ではない。
 なので、普段つまらないものは無視するだけなのだが、改めて「つまらない」とは何か、考えてみたくなった。

 とはいえ、川島雄三が悪いわけではないと思う。
 最大の要因は、この映画の原作が「井上靖」だ、ということにある。
 井上靖といえば、昭和の国民的作家であり、村上春樹が現れる以前は、毎年のようにノーベル賞候補に擬せられていたお方だ。
 私ですら自分の名前の「敦」を説明する時、「『敦煌』のとんです」と言ってたくらいで、とにかくよく知られた人である。
 だが、私はこの人の小説を読んで「面白い」と思ったことがない。
 自分の名前と重なる『敦煌』ですら、読んでいてひどく退屈してしまい、あの薄い本を読み切るのに必要以上に難儀した憶えがある。
 そしてさらに、映画化された『敦煌』に至っては、とても我慢できず三〇分で映画館から出てきてしまった。こんなことは、後にも先にもこの映画だけである。
 しかし、ここで大きな問題が立ち上がってくる。
 井上靖は超のつくベストセラー作家であり、多くの人が高く評価している。
 ただ私が「つまらない」というだけで、それを評して良いものか、どうか。

 私はドラマを見ない。トレンディ・ドラマはもちろん、朝ドラを見ない、二時間ドラマを見ない、多くの人が知識を共有する『太陽にほえろ』も『俺たちの旅』も、一度も見たことがない。
 時代劇はかろうじて見ることがあるので、大河ドラマは見ることは見る。ただし、最初から最後まで見たのは『花神』くらいである。
 ビデオゲームの類は、ほとんどしたことがない。
『ドラクエ』も『ファイナルファンタジー』も、タイトルは知っているが、文字通り一秒もプレイしたことがない。
 漫画は好きだが、いわゆる「ジャンプ系」はまったく読まない。
『ドラゴンボール』も『ワンピース』も、やはりタイトルのみ知るばかりで、一ページも読んだことがない。
 こんな人間が、あまねく日本人に好まれる井上靖を「つまらない」と書くとか、偏食家が精進料理に文句をつけるようなことにならないだろうか?

 ならない、と断言できる。
 なぜなら、井上靖の「つまらなさ」の向こうには、昭和という時代の抱える「つまらない」有様が垣間見えるからだ。
 人は「つまらない」と口にする時、そこで思考を停止させてしまう。
 私も多くの局面でそうしてきたが、井上靖の持つ時代を背景とした「つまらなさ」には、思考を停止させたままではいられなかった。
 そんなわけで、井上靖を通して「つまらないとは何か」考えてみたくなったのだ。

 すいません、続きはまた今度に。


以下余談

「ジャンプ系は読まない」と書いたが、実は最近例外的に読んでいる漫画がある。
ゴールデンカムイ』というタイトルで、アイヌの隠し財産である大量の金を探す話である。
 とにかく、アイヌや当時の北海道について情報が詰め込まれているのが良い。全然つまらなくない。
 主人公たちは金塊を探しつつ、同じく金塊を求める第七師団と、敵対したり協力したり逃げ出したりする。
 さて、この第七師団だが、井上靖が生まれたのも、旭川第七師団官舎だった。父親は第七師団第二七聯隊の二等軍医、井上隼雄である。漫画でも、この二七聯隊が中心となって活動しているのだ。時代もばっちり合っている。
 この先、漫画の中に「井上」か「二等軍医」が出てきたら、それは井上靖の父親だと思っておくことにしたい。

2019年6月22日土曜日

天使が遠ざかりながら「過去」をカメラで写したとしたらこんな映画になるのだろう

 幼い頃見る夢はどれもモノクロだった。
 それは当時当たり前のことで、色付きの夢を見るのは「き○がい」に多い、などと子供向けの学習雑誌(小学館のやつ)に堂々と書かれていたのを憶えている。なので、たまにカラーの夢を見ると、子供心にショックを受けたりもした。
 だいたい夢だけではなく、写真も映画もテレビもモノクロだった。
 今は、夢を見るとほとんど色がついている。写真も映画もテレビもカラーが普通だ。色付きの夢を見ることが、特殊なことのように言う人もいなくなった。
 だが、幼い頃のことが夢に出てくると、それは今でもモノクロのままだ。
 遠ざかる記憶は色彩を失うものなのか。
 誰もがそうだとは限らないだろうが、過去における「何か」を克明に映そうとするとき、人はそれをモノクロで表すことが多いようだ。
「何か」とは、およそ「罪」に関わる何かである。

2019年5月30日木曜日

座右の銘なんてないけれど折にふれ思い出す言葉のいくつかを書いてみる

    昔むかし、店舗開店当時に雑誌の取材などをぱらぱらと受けていた時、なぜかよく「座右の銘は何ですか?」と質問された。
「ない」と正直に答えるのも気恥かしいように思えて、何かしら適当に答えていたが、何と答えたか全く憶えていない。どう答えようと、それが記事に反映されたことは一度もなかったからだ。

 この世に生まれ落ちて早半世紀が過ぎたが、墨痕淋漓と色紙に書きつけ額装して寝室に飾っておきたくなるような「座右の銘」、などというものは一つもない。
 だが、時折ふと頭に浮かび、なぜか脳内で繰り返されるフレーズならある。
 別にその言葉が人生の指針になってたりなんかぜーんぜんしないのだが。

2019年5月25日土曜日

2019年4月19日金曜日