銃・病原菌・鉄 |
だが、たった一つだけ、とても分かりやすく有効な手段がある。
会議の席で意見を述べた後、上着の内側からやおら銃を取り出し、こう言うのだ。
「さーて、反対する命知らずはいるか?」
今時どこの西部劇だよ、ってお話だが、アメリカ人の多くの人はこういうのが「自由」だと、今でも臆面なく口にするそうだ。
誰も銃を持っていない場所で、銃を持っていること。これこそが「自由」というものである。『自由を我等に』ならぬ「銃を我らに」やね。大友克洋じゃあるまいし。銃を持ちたがるのは、これこそ「自由」の根源であると信じているが故。乱射事件が絶えないわけだ。
ところで、件の会議で銃を取り出したやつに続いて、「オーケーオーケー、ま、お前の糞みたいな提案はハムスターの餌にでもしとけ」とマシンガンを持ったやつが立ち上がったらどうなるんだろう?お次ぎはバズーカ砲を抱えたやつが乱入し、そこでもう一人が地対空ミサイルを机の下からどっこいしょと……
切りがないからやめとくけど、こんなバカバカしいことと似たような状況が、「経済」と呼ばれる状況下においては起きている。しかも、それを問題視する人はほとんどいない。
貧乏な大学生時代、「よっしゃー今日は俺がおごるぜ」と言えばそいつはヒーローだった。店の選択も女の子の席の配置も、全部そいつの思う通りになった。なんという「自由」!
とかく貧しい地域に於いて、お金持ちの発言力は強い。だから貧しいものたちに対して「自由」であろうとするなら、とにかく金を持ってるに限る。
では、お金持ちだらけの集まりならどうか。金持ちかどうかってのは比較級でしかないから、超お金持ちになればいい。他に超お金持ちがいるなら超々お金持ちに。超々お金持ちが現れたら、されに超々々お金持ちに……
とまあいった感じで、「銃」と「金」は似たような構図で人類に「自由」をもたらしてくれるわけだ。
だから新自由主義者と呼ばれる自由絶対主義者は、おおむね「軍隊」というものが大好きだ。だけど自分が軍隊に入りたいとかは、蚊の目玉ほどにも考えいない。だって、あんんな規律ばっかりの「不自由」な組織に入るくらいなら、ポマードをひとビン飲まされる方がマシじゃないか。そのくらいのことは思っている。
これは自由競争だろうか。違うね。違うのはわかっちゃいるが、なかなかこの状況から降りることはできない。だってそのとたん「不自由」になっちゃうから。
この世界で「自由」であろうとするなら、「銃」と「金」を持つに限る。
それも、他の連中より出来るだけ多く。
だから、国の指導者が国際的な発言力を増したい、と考えたたなら、とりあえず軍事力を増強するし、経済を一部の大金持ちに資産が集中する方向へ持って行くようにする。
ごくごく一部の人たちの「自由」なパフォーマンスが、そのまま国家の存在価値につながるかのように宣伝すれば、下々の者たちは喜んで自分たちの「自由」、すなわち「銃」と「金」、それらを構成する要因である自らの「財産」(有形無形を問わず)を投げ渡してくれるって寸法だ。
つまり、上つ方の人々が「自由」に振る舞うためには、下々の人たちは不自由でいてくれた方がいいってわけ。
だから「自由」が好きな人たちは、下々の人が自由に振る舞うのが大嫌いなのだ。
このようにして、「自由ってなんて不自由なんだろう」な状況が立ちあがってきてしまうのだった。
わかってる人には「何を今更」なことだけど、どうやらわかってないというか、なんとかごまかそうとする人が最近目につくもんで……
0 件のコメント:
コメントを投稿