2014年8月3日日曜日

夏目漱石について常々残念に思っていること

   相変わらず朝日新聞で連載中の『こころ』を娘に朗読させている。先生の手紙にKがでてきて、そろそろクライマックスである。
  音で聞いているとわかるのだが、漱石の文章は本当にリズムがいい。なんというか、耳で聞いていると、上等の縫い物が目の前で出来上がっていくような感覚がある。縫い目が細かく、それでいて窮屈でなく、運指が完璧で縫う目を過たない。
   そうした文章の妙が娘にどの程度伝わっているのか、いないのか、少々おぼつかなくはあれど、内容くらいはわかっているようだ。

   こうして漱石の文章の魅力に改めて浸ってみると、やはりついつい残念な想いもわいてくる。
残念、というのはジェイン・オースティンのことだ。
   漱石はオースティンを「天才」と評し、自ら教鞭をとる大学の授業でもとり上げていた。漱石と言えば「則天去私」だが、漱石はオースティンの小説こそが「則天去私」だとしていた。江藤淳は出世作『夏目漱石』において、漱石を「ジェイン・オースティンを師とあおいだ、未完成の作家に過ぎない」とひねくれたことを書いている。
   そこで残念に感じるのは、漱石はなぜオースティンを翻訳しておいてくれなかったんだろう、ということだ。当時翻訳物はけっこうな需要があったのだから、出していても不思議ではない、というか出してない方が不思議に思えるのだが。
   くああ、漱石訳『高慢と偏見』とか読みてえなああ。
   誰か「漱石風」でいいから訳してくんないかしらん。
…………
 It is a truth universally acknowledged, that a single man in possession of a good fortune, must be in want of a wife.
 However little known the feelings of views of such a man may be on his first entering a neighborhood, this truth is so well fixed in the minds of the surrounding families, that he is considered the rightful property of someone or other of their daughters.

…………

   あまねく知られたこととて、嘱望されたる男子こそは、妻を娶らねばならぬとされる。
   人となりも見てくれもかまやしない、かの男がご近所さんを訪れたなら、娘の誰かのものとなってくれと、家中が願ってやまぬようになる。

…………

   で、ちょっぴり冒頭を自分でやってみたけど、どうだろう。……あ、言わないでいいからね。

   ところで、漱石の翻訳と言えば、I love youを「月がきれいですね」と訳した、という「都市伝説」がある。テレビで取り上げられてすっかり有名になったが、出典がどこの誰やらさっぱりわからん、というなぞの翻訳だ。
   これ、遥か昔(多分中高生くらいのころ)に別な人の話として聞いた憶えがあるのだが……、それが誰だったのか思い出せない。考えだすと、隔靴掻痒感で悶え死にそうになる。誰か助けて。


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