2019年5月30日木曜日

座右の銘なんてないけれど折にふれ思い出す言葉のいくつかを書いてみる

    昔むかし、店舗開店当時に雑誌の取材などをぱらぱらと受けていた時、なぜかよく「座右の銘は何ですか?」と質問された。
「ない」と正直に答えるのも気恥かしいように思えて、何かしら適当に答えていたが、何と答えたか全く憶えていない。どう答えようと、それが記事に反映されたことは一度もなかったからだ。

 この世に生まれ落ちて早半世紀が過ぎたが、墨痕淋漓と色紙に書きつけ額装して寝室に飾っておきたくなるような「座右の銘」、などというものは一つもない。
 だが、時折ふと頭に浮かび、なぜか脳内で繰り返されるフレーズならある。
 別にその言葉が人生の指針になってたりなんかぜーんぜんしないのだが。



一度やって失敗したことは
もう一度最初から
今度はもっと上手くやれ

 なんか映画のセリフみたいだが、出典は忘れた。現代思想サルマン・ラシュディについてのコラムを読んでいた時、頭に飛び込んできた文章だったと思うが、はっきりと憶えてはいない。
 何かしら失敗するたびに思い出すのだが、実際に「もう一度最初から上手くやった」ことなど一度もない。


身を隠してもそれは無駄
ついには愛がやってくる

 これも出典不明。何かの本に引用されていたフレーズだったと思う。
 妻と付き合っていた頃、うるさいくらい頭の中に飛び交っていた。


今よりは
なるにまかせて行末の
春を数えよ
人の心に

 この歌は確か、今川氏真が詠んだというもの。氏真は桶狭間で敗れた今川義元の息子で、父の仇であるはずの信長に呼ばれて蹴鞠の技を披露してみせた、というエピソードが残っている。


膨大な書庫は危険な兵器廠だ
王も 皇帝も
その存在を軍隊や弾薬庫よりも
恐れている

謎の蔵書票
   以前、エントリーのタイトルに使ったことがある。ロス・キングのミステリー "Ex Libris" からの引用。『謎の蔵書票』というタイトルで翻訳が出ているが、訳が気に入らないのでこの文は自分で訳している。
 古本屋の心意気みたいなもんか。


てめえだけがわかっていて他はめくらだなんてことは世の中そうたんとはねえ。でなきゃ、穴ぼこに落ちるぜ。

麻雀放浪記
   これは阿佐田哲也『麻雀放浪記』の中のドサ健のセリフ。
 何か考え事をしている時、それからこのブログのエントリーを書いている時、頭に浮かべてはいるのだが、しょっちゅう「穴ぼこ」に落ちてるような気がしないでもない。


     押すと
     すぐ死ぬ虫のように
     彼は生きた

 作者不詳。確か『虫』という題の詩の一部。
 生きるのがしんどい時、繰り返し脳内に流れる。


     十本の巨大な柱が
                 横倒しに空から落ちてきて
     目をふさぎ
     口をつめ
     あなたたちが見事に
     滅び去ったことは
     ないか

松下育男詩集
 これの出典はわかっている。松下育男の『集中』という詩のラスト。
 ただ、今手元に本がないため、細部が違っているかもしれない。

 
     戦火の中を河下る夫婦と羊の舟は
     まだ色青き河口に届かぬということだ

犬塚堯全詩集
    犬塚堯『涯しない共存』の中の一節。
 犬塚堯は大大大大大好きな詩人で、彼が亡くなってからというもの、いわゆる現代詩を読まなくなってしまった。



いいか、どんなに身を固く武装しても、
未来はそれをバラバラに解除する!

 チェコのシュールなアニメ作家ヤン・シュヴァンクマイエルの言葉。
 もし「この中から一番座右の銘に近いものを選べ」と言われたら、これを選ぶだろう。
 Poslouchejte.  At' se jakkoliv tvrde ozbrojítě, budoucnost je nemilosrdná!
 


ヤン・シュヴァンクマイエル 短篇集 [DVD]

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