2014年8月10日日曜日

その文章がおかしいのは読者に理解より共感を求めるからか/もしくはとんと流行らなくなった「小説家病」というもののつづき

ウナギと山芋 (中公文庫)
昨日からのつづき。
 丸谷才一がなんで「小説家病」などということを言い出したかというと、自分も政治的なことについてくっちゃべってみたくなったからだ。
「今日の話は(中略)第二期と第三期の中間、といふところです」と断りつつ始めたのは、憲法の話。丸谷氏の言うところでは、「現行憲法の文章は悪文であり、それに比べて明治憲法の文章は立派なものであるーーといふのがその定説」なんだそうだ。言い出しっぺは誰だか知らないが、その説を広めたのは三島由紀夫文章読本であるという。孫引きすると「実に奇怪な、醜悪な文章であり、これが日本の憲法になったというところに、占領の悲哀を画いた人は少なくなかったはずです。もし明治時代に日本が占領されていたとしたら、同じ翻訳であっても、もっと流麗な美文で綴られたことでありましょう」てな具合に三島は語る。現行憲法が悪文であることには丸谷氏も同意しているが、じゃあ翻って明治憲法が美文であるかというと、とてもそのようなことはない、と押し戻す。

…………
……つまり明治憲法といふのは、意味を伝達することを顧慮しないで文章で書かれ、従つて意味を伝達する機能を持つてゐない。だからいけないのだ、と私はそのとき感じたのです。
…………
 ある種の粗野な感覚の持主から見れば、明治憲法の文章はたしかに名調子なのかもしれません。それは何かすごくドスが利いてゐて、口調が良くて、颯爽としてゐて、景気がいいやうな感じがするかもしれない。しかし、調子はいいけれど、何を言はうとしてゐるかは明らかでない。つまり散文としての機能を果たしてゐないのです。
…………
 
 あれだ、軍隊の変な美文調の文語の命令てのと同じだ。言われた相手がそれを了解しようがしまいが関係なく、こちらの思惑をそちらで忖度して動け、というやつ。「なんかわかんだろ、な?な?わかるって言えよ!」ての。
 言いたいことは普段の行いから推察できるけど、その文章だけを取り出すと何が何やらさっぱり、というような文章は「な?な?」という共感だけを求めているので、論理的には反駁しづらい。
 で、ふと思い出したのがこれ。

…………
政府の最も重要な責務は、我が国の平和と安全を維持し、その存立を全うするとともに、国民の命を守ることである。我が国を取り巻く安全保障環境の変化に対応し、政府としての責務を果たすためには、まず、十分な体制をもって力強い外交を推進することにより、安定しかつ見通しがつきやすい国際環境を創出し、脅威の出現を未然に防ぐとともに、国際法にのっとって行動し、法の支配を重視することにより、紛争の平和的な解決を図らなければならない。
さらに、我が国自身の防衛力を適切に整備、維持、運用し、同盟国である米国との相互協力を強化するとともに、域内外のパートナーとの信頼及び協力関係を深めることが重要である。特に、我が国の安全及びアジア太平洋地域の平和と安定のために、日米安全保障体制の実効性を一層高め、日米同盟の抑止力を向上させることにより、武力紛争を未然に回避し、我が国に脅威が及ぶことを防止することが必要不可欠である。その上で、いかなる事態においても国民の命と平和な暮らしを断固として守り抜くとともに、国際協調主義に基づく「積極的平和主義」の下、国際社会の平和と安定にこれまで以上に積極的に貢献するためには、切れ目のない対応を可能とする国内法制を整備しなければならない。
…………

 集団的自衛権の閣議決定とかいうしろもの。全文はこちら
 読んでるうちに頭がぐるぐるしてくるのは、「な?な?」という気分にあふれているからだね。
 丸谷才一が生きていたら、さぞぶつくさ言ったにちがいない。
 そういえば、現行憲法の前文などは、この「な?な?」が少ない。だからそういうのが好きな人には、決定的に食い足りない感じがするのだろう。


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