2020年2月4日火曜日

来たぞ我らの超人思想♫

メナード化粧品CM

 いきなり化粧品のCMから始めてしまったが、これからしばらくはニーチェについて書き連ねてみたいと思う。どういう風にするかというと、白水社から出てるニーチェ全集に沿って読み解いていく、というやり方で。愚直に。お行儀よく。あきるまで。
 で、なんでいきなり化粧品かというと、ニーチェの思想にほんのちょっぴり関わってくるからだ。ちょっぴりだけね。でも重要な部分で。
 てなわけで、まず第一巻目の『悲劇の誕生』をとり上げる。
悲劇の誕生

『悲劇の誕生』はニーチェが初めて世に出した著作である。時にニーチェ、二七歳。若い。しかしニーチェはもっと若い頃、二四歳にしてバーゼル大学で古典文献学教授の地位を得ている。古典文献とは、古代ギリシアの文献である。そして、この本のタイトルである「悲劇」も、とりあえずは、ギリシア悲劇を指している。
 ギリシア古典の研究で高い評価を受けていたニーチェの著作だから、当然ギリシア悲劇についての画期的な研究であろう、と周囲は期待した。だがその内容は甚だ哲学的で、文献学的な考察は、刺身のツマの上の小さな菊程度の存在に留まっていた。
 囂々の非難を受ける中、その向かい風に乗って舞い上がるようにして、ニーチェの「哲学」は誕生した。
 とはいえ、ここではまだ「神は死んだ!」と宣言していないし、超人の登場を期待してもいないし、大いなる正午も力への意志もない。
 だが、ディオニュソスは登場する。
 後にニーチェが自らをなぞらえた、狂気を振りまく神である。別名酒の神バッコス(英語でバッカス)。他にも、エウ・ホイの神、ブロミオス、イアッコスなどの呼び名もある。
バッカイ――バッコスに憑かれた女たち (岩波文庫)
 
 
 ディオニュソスの父は、例によってゼウスである。このギリシア神話の主神にして「種まく人」が、テーバイの王女セメレーを見初めて種をつけた。それを知ったゼウスの妻へーラーは一計を案じ、セメレーをそそのかして「本当のお姿を見せて下さい」とゼウスにおねだりさせた。ゼウスの真の姿は雷霆(激しい雷)であり落雷である。ゼウスが真の姿を現すや、神ならぬ身のセメレーは雷に打たれて死んだ。慌てたゼウスはセメレーの腹から月足らずのディオニュソスを救い出し、己の太腿の中に隠して育てた。へーラーの悋気から息子を守るためである。
 神話というのは無茶な話が多いが、その無茶な話から生み出されるのが「ギリシア悲劇」というやつだ。
 エウリピデスはこのディオニュソスを中心にすえ、『バッカイ――バッコスに憑かれた女たち 』という悲劇を作り上げた。
 ニーチェの哲学について語る上で、この悲劇について知っておいた方が良いと考えるので、以下この悲劇の筋を追ってみたいと思う。
 
 ディオニュソスはゼウスを父として、テーバイの王女セメレーから生まれた。が、セメレーの姉妹であるアガウエー、イーノー、アウトノエーらはそのことを認めようとしなかった。
………………
……「ディオニューソスはゼウスの子ではない。セメレーは、誰か人間と床を共にしたのにもかかわらず、
その過ちをゼウスに押しつけた」……
「カドモスの入知恵だ。セメレーはそれに乗せられてゼウスと結婚したと嘘をついたから、ゼウスに殺されたのだ」
………………
 と、このように謗った。
(翻訳ではディオニューソスとあるが、当ブログではディオニュソスと表記します。その方が読みやすいと考えるからです。以下、ブロガーの判断で長音は排除されたりされなかったりします)
「カドモスの入知恵」とあるが、カドモスとは姉妹の父であり、テーバイの王である。ディオニュソスの母方の祖父にもあたる。
 そこでディオニュソスはこの姉妹に狂気を与え、さらにはテーバイ中の女たちを狂わせた。
 女たちは家庭を捨てて顧みず、肌に小鹿の皮をまとい、髪の周りに生きた蛇を巻き付け、手には木蔦を巻いたテュルソスという槍を持ち、神への感謝を表す「オルロー」の声を挙げ、躍り狂い、出会った生き物の肉を素手で引き裂き(この行為をスパラグモスと呼ぶ)、その肉を生のまま食らい(この行為をオーモファギアーと呼ぶ)、酒をがぶ飲みした。そして、男たちと誰彼かまわず行為に及んだ。
 ディオニュソスに捧げるエウ・ハイの叫びと共に、信者のリーダーが吼える。
………………
 「それ行け バッカイ、行け バッカイ、
 流れに砂金をきらめかす トモーロス山の誇る者たちよ
 太鼓の太い音に合わせて
 ディオニューソスを歌え。
………………
 悲劇のタイトルにもなっている「バッカイ」とは、ディオニュソスを熱狂的に信じる女たちのことである。(バッカイは複数形で、単数はバッケーとなる)その別名はマイナデスである。
「マイナデス」とは狂女たちの意であり、語源を「マニア」と同じくする。単数形はマイナス、英訳ではMaenad またはMenad と表記される。そう、冒頭に掲げた動画の「メナード化粧品」のMenad はここに由来するのである。化粧品の名前として、すごくとんがってる気がするが、いいのか、これ。わざとならびっくりだ。

 さて、テーバイがこのような有様になったことを受け、王カドモスは退位し、孫のペンテウスに譲位した。
 ペンテウスの母アガウエーは、バッカイの群れを率いるディオニュソス信者となっている。アガウエーとディオニュソスの母セメレーは姉妹であり、ペンテウスとディオニュソスは母方の従兄弟でもある。
 ディオニュソスはペンテウスを誘い出すため、人間の姿となってわざと捕らえられる。人の姿をとるディオニュソスは、「女のような風態の外国人」で、巻き髪を長く垂らした優男である。対称的にペンテウスはかなりマッチョのようだ。
 ディオニュソスは己の正体を隠したままペンテウスの尋問を受け、言葉巧みにペンテウスの好奇心をくすぐり、女装してバッカイの様子を探ることにさせる。(ここで、そういえばメナード化粧品の広告に、長いことピーターが起用されてたことがあったなあ、などと思い出す)
 女の服を身につけたペンテウスが樅の木に登ると、ディオニュソスが大声でそれを知らせた。
………………
 「娘たちよ、おまえたちと、私と、我が祭とを
 嘲笑している男を連れて来た。よし、復讐にかかれ」
………………
 たちまちバッカイが押し寄せてペンテウスを引き摺り下ろした。
 その先頭に立っていたのは、ペンテウスの母であるアガウエーだった。
 ペンテウスは母を認めて必死で叫んだ。
………………
……「母さん、私です。あなたの子供、
 ペンテウスです。
………………
 ああ、母さん、あわれんで下さい。私の失策のせいで、
 自分の息子を殺さないで下さい。」
………………
 しかし、ペンテウスの哀願も虚しく、アガウエーは息子の左腕をつかむと、脇腹を踏みつけて引きちぎった。そして叔母のイーノーやアウトノエー、彼女らに率いられたバッカイによって、ペンテウスは生きたまま「スパラグモス」された。
 彼女らは女装したペンテウスを若々しいライオンと錯覚しており、息子の生首を抱えた血塗れのアガウエーは意気揚々と故郷に凱旋する。そしてカドモスに諭されて己の所業に気付き、悲しみのあまり自ら国を後にする。

 ……とまあ、悲劇というかとんでもなくスプラッタな話だが、ニーチェが講義でこの話を取り上げた時、とても生徒のウケが良かったそうだ。
 ちょっと長くなったので、続きは次回に。

 ちなみに、言うまでもなくタイトルの元ネタはこれ↓である。