2018年5月25日金曜日

セクハラという悪夢を封印する「システム」としての「恋愛」と「結婚」

 なんか知らんアメフトの人気が出ているような昨今ではあるが(白々しいなあ)、アメフトといえば数年前に話題になったこんな動画が思い出される。

2018年5月22日火曜日

No to mention, unsportsmanlike, HAHAHAHA!! とレプリカントは笑った

7'25"辺りのセリフ

    タイトルは映画『ブレードランナー』のセリフから。日本語字幕は忘れてしまったが、意味としては「まるっきりフェアじゃないな、ハハハハ!」というところか。ベタに直訳すると「言うまでもなく、スポーツマンらしくない。ハハハハ!」といった感じ。
 そう、「スポーツ」は公正であることの代名詞なのだ。

 スポーツにおける「公正」とはなんだろう。
 やはりお互いにルールを守り、全力を尽くして戦い、勝敗について不服を口にせず、敗者は勝者を称え、勝者は敗者をねぎらう、と。
 競技に優勝劣敗はつきものであり、スポーツはそれを明らかにすることが究極の目標である。その目標がない運動は、ただの遊戯とされる。
 しかし、その「公正」がずーっと昔からそのままの「公正」だったかというと、ちょっと違ってくる。

2018年5月8日火曜日

「それの何が悪いの?」という人には「悪いのはお前の頭だ」と応えたくはあるのだけれど

    人はいつ、自らの「悪」を認識するのだろうか。
 やはりおいたをした時、例えばチャンバラ遊びが過ぎて棚から七宝焼の花瓶を落とし、母親からこれ以上ない不快な金切り声にのせてあらん限りの罵倒を投げつけられた時だろうか。
 その時人は、自分が「悪い」とは思っていなくても、「悪」とは自らの想いを超えた所に基準があるのだと知る。
 しかし、その叱り方があまりにも感情的で論理的で理不尽であった時、人は思考を停止させて、「他人」に見つからなければ何をやっても「悪」とはならない、というニヒリズムを身につける。
 そうした「ガキ」がそのまま大人になって何かやらかすと、平気でこう言い放つのである。
「それの何が悪いの?」

2018年5月6日日曜日

やってきたのは嵐の言葉♪俺たちのウソを見破るため♪【快楽はいつウソになるのか?編】

『ライク・サムワン・イン・ラブ』予告編

 実は私は、結構な泣き虫である。
 しかし、「男は生涯に三度しか泣かないものだ」と祖母(先年百歳で亡くなった)から躾けられたため、涙を我慢するのだけは上手になった。ちなみに「三度」というのは、「右目から涙を流すのはお父さんが死んだ時、左目はお母さんが死んだ時、両目から流すのはキン●マなくした時」とのことである。