碧巌録上中下 |
『碧巌録』の注釈なんかは、開祖達磨のことまでぼろくそに言ってる。
禅てのは差別どころか区別もしない、それどころか自他も分けない(自他不二)だったりするんで、「師弟」の別なんぞは悟りの障りになるだけなんだろうけど、それでも罵倒するこたないじゃん、と凡俗の私なんかは思ってしまう。だけど、師匠は師匠で弟子に、水ぶっかけたり殴ったり蹴飛ばしたり棒でたたきのめして骨折させたりネコを殺したり、いろいろしてるからね。これ、普通の人間関係だったら、悟るどころかとっくに破綻してるわな。というか、訴えられるよな、今なら。
「釈迦といふいたづら者が世に出て多くのものを迷わするかな」
一休道歌―三十一文字(みそひともじ)の法(のり)の歌 |
一休さんはものにとらわれない風狂の徒として有名だけど、自らの師に対してはけっこう真面目だった。最初の師匠(謙翁宗為)が死んだときに後追い自殺しかけたりしてる。
そんなにごたごたするんなら、「師弟」なんてハナからやめときゃいいのに、絶対になくならない。
どうしても「モノを教える」こと、またそれ以上に「モノを教わる」ということには、特殊な人間関係が必要になってくるのだろう。
それが「愛」に似た様相を呈することもあれば、「仇敵」になることもある、と。
たかだか知識を伝えるだけなら、学校で授業を受けるようなのでも十分だし、なんなら本読んでるだけでもかまわない。それ以外の何かを授けたり受け取ったりするのに、師弟関係てものが社会の中に芽吹いてくるわけだ。
なんでそういうものがあるかというと、知識を身体化する近道としてあるんだと思う。ショートカットってわけやね。
「知識を身体化する」なんて変な物言いになってるけど、要するに自家薬籠中のものとして自由自在に扱えるようになる、てこと。それは書物を読むだけや、学校で教わるだけなら、何年or何十年かかってしまう。それがちゃんとした師匠につけば半年で完了させてくれたりする。ただし、上手くいけばの話。
さて、またネコの話に戻ってしまうけど、先日のエントリーでふれた高橋義孝は内田百閒の弟子でもある。その弟子が酔っぱらってどんな電話をかけたのか、『ノラや』から少し写してみよう。
…………
四月二十日土曜日
薄日曇。暖風吹く。通り雨。
…………
夜半を過ぎ、平山が帰ってから間もなく、十二時四十分に某氏から深夜の電話が掛かって来た。
家内が電話を受けた。
向うの云った事は後で家内から聞いたのだが、家内の返事はその儘聞こえる。
「先生は御機嫌はいかがですか」
「いけませんので」
「猫は戻りましたか」
「いいえ、まだです」
「もう帰って来ませんよ」
「そうですか」
「殺されて三味線の皮に張られていますよ」
「そうですか」
「百鬼園じじい、くたばってしまえ」
暫くしてから、
「尤もそう云えば僕だってそうですけれどね」
家内が返事をしないので、大分経ってから、「それでは」と云って向うから電話を切ったと云う。
酔余の電話だろうと思う。しかし酔った上の口からでまかせくらい本当の事はない。彼に取って、家でこんなに心配している猫が帰るか、帰らぬかはどうでもいい。
…………
ここでの「某氏」が高橋義孝という、ゲーテやトーマス・マンの翻訳で名高い独文学教授てわけである。この人、授業がすごい厳しいんで有名だったそうだが、師匠相手には親兄弟知己恋人にも云わぬ幼稚な悪口を投げつけてしまう、そんな弟子だったようだ。
これもまた、「師弟」のなせることかもしれない。
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