ラベル 歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 歴史 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

2019年4月27日土曜日

天使は燃え落ちる宿命にあるか


2018年7月7日土曜日

オウム真理教の背景としての「日本」

尊師麻原は我が弟子にあらず―
オウム・サリン事件の深層をえぐる
    なんか、平成の終りが見えてきて、慌てて「大掃除」をしているらしい。「オリンピックちゃんが来る前に、お部屋をキレイにしなきゃ!」ということもあるのかな。
 とにかく、長年下駄箱の影でホコリをかぶってどす黒くしなびた幸福の木のように、オウム真理教の面々は「おかたづけ」されてしまった。

2018年5月22日火曜日

No to mention, unsportsmanlike, HAHAHAHA!! とレプリカントは笑った

7'25"辺りのセリフ

    タイトルは映画『ブレードランナー』のセリフから。日本語字幕は忘れてしまったが、意味としては「まるっきりフェアじゃないな、ハハハハ!」というところか。ベタに直訳すると「言うまでもなく、スポーツマンらしくない。ハハハハ!」といった感じ。
 そう、「スポーツ」は公正であることの代名詞なのだ。

 スポーツにおける「公正」とはなんだろう。
 やはりお互いにルールを守り、全力を尽くして戦い、勝敗について不服を口にせず、敗者は勝者を称え、勝者は敗者をねぎらう、と。
 競技に優勝劣敗はつきものであり、スポーツはそれを明らかにすることが究極の目標である。その目標がない運動は、ただの遊戯とされる。
 しかし、その「公正」がずーっと昔からそのままの「公正」だったかというと、ちょっと違ってくる。

2016年7月10日日曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…はナチスだったんだよの続きの続き編】

ハイデガーの
インタビューが
掲載されたシュピーゲル
    一九七六年、ハイデガーが死んだ。八六歳だった。ちなみに、ヒトラーとハイデガーは同い年である。つまりは、チャップリンともヴィトゲンシュタインともジャン・コクトーともオットー・フランク(アンネ・フランクの父)とも同じだ。
 自分と同年齢の人間が著名になると意識せざるをえないそうだが、果たしてハイデガーにとってはヒトラーがそうだったわけだ。

2016年7月4日月曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…はナチスだったんだよの続き編】

……犬存在Hundenseinとは、これは──それが在るということは──僕にとっては、存在者Seiendeたる犬が現Daのなかに投げられて在るGeworfenseinことを意味する。しかもそれも、彼の世界内存在In-der-Wert- Seinが犬の現Hunde-Daであるような、そんな具合に。……
……………

2016年7月2日土曜日

ほんまでっか?ハイデッガー!【…はナチスだったんだよ編】

 えらい人だとかすごい人だとか、そういう尊敬を集める人が、実はろくでもない間違いをしでかしていたとわかった時、人はどのような行動をとるだろうか?
 多くの人はえらい人、いやえらかった人に向けて石を投げるだろう。
 しかし、少なからぬ人々がこのように言うだろう。
「それでも私は信じる」

2016年6月13日月曜日

ただ今禁酒中

 現在、酒を断っている。
 健康のためではない。願掛けである。
 とりあえず、娘が大学に受かるまでは酒を口にしないことにした。

2016年6月10日金曜日

それを無理に歴史と呼ばなくてもいいんじゃないだろうか。

私は隣人たちから嫌われている。
みんながもう忘れてもいい時期じゃないかと思うことについて語りたがるからだ。

(ハインリヒ・ベル)

経験と歴史から学びうることは、人民も政府も歴史から学んだりしないこと、そして歴史から得た教訓を生かしたことなど全然無い、ということだ。(ヘーゲル『歴史哲学講義』)

2016年5月12日木曜日

神すらも恥じ入ることだろう

 昔々、貧しい村に貧しい一人の男がいた。
 男は口をきかなかった。
 口がきけないのではなく、ただおのれの意志でひと言も喋らなかったのだ。
 男は鍛冶屋して暮らしていたが、そんな風だから日々の食い扶持も事欠く有様だった。
 両親は男が成人する前に亡くなり、男はそれからずっと独りだった。
 喋らない男に親切にする者はおらず、男は村中から蔑まれていた。面と向かってひどい言葉を投げつけられたり、つまらないいたずらをしかけられて笑い者にされたりした。
 それでも男はひと言も話さなかった。
 やがて男は老い、仕事ができなくなると自然に痩せ衰え、そのまましぼむように死んだ。男のことを顧みる者は一人としておらず、十日とたたずに忘れられた。

2016年4月21日木曜日

税金ってなんだろう?

 前々回税金についてちょこっと書いた。
 そのときエッセイストとかいうおねえさんの素朴な疑問として、
「お金持ちが納得して税金を払う何かを考えられないでしょうか?」
 というのがあった。
 え、そんなん無理やろ、税金払ってえびす顔とか、どこのユートピアの話やねん、とつい関西弁になってしまうが、実は「喜んで税金を払った」事例は昔の日本にある。

2016年4月11日月曜日

リフレもどきはリフレじゃないんだよ

前回の続き。

 再び『金を物に換へる時代が來た 何に換へたら良いか』から引用しよう。

…………
「だからインフレーションなんてものは所謂好景気なんてものじゃない。価格の騰貴に乗じて金持ち連中が富を奪い合う形さ。そこを良く理解して、金持ちでなくっても金をうんと借りて、金持ちみたいに振る舞うことがインフレ景気をもっともよく利用することになるのさ」
…………

2016年4月9日土曜日

アベノミクスというリフレもどき





安倍長期政権で株価3万円へ http://ironna.jp/article/723
【独占インタビュー】投資の神様ジム・ロジャーズ「日経平均は3万円まで上がる。

 いやあ、すごい。アベノミクスで日本経済大発展だなあ、と皮肉を言うために貼ったわけでは、ちょっぴりあるけど、本来の目的はそうじゃない。
 だいたい総理自身が最近あまり口にしないからね、アベノミクス。
 そんな可哀想なアベノノミクスが置かれている状況について、もう少し整理してみよう。

2016年3月30日水曜日

特攻という名の非日本的行動

日本刀と無敵魂
    昨日に続き、また『日本刀と無敵魂』から。
 この本に「片途(かたみち)戦法」という章がある。飛行機で遠距離の爆撃をする際、航続距離の関係で往復できない場合どうするか、という話だ。
 こうしたことは、日本だけでなく米英も行うが、そのやり方が違う、と書いている。
 まず米英については、
…………
「自分共は敵地を攻撃して、爆弾を落とした。之で自分の任務に対する義務は完了した」
 とてんでに解釈をつけて、それから先の行動は自由意志によって決する。そこで敵地の海に着水しようと、敵飛行場に着陸しようと、それは勝手である。そして手を挙げて降参する、之も自由である。
……………
 と書かれている。そんなことがしょっちゅうあったとも思われないが、まあそうかなという感じもしなくはない。
 次に、日本の場合。

2016年3月29日火曜日

日本刀はキレたか?

梅干と日本刀
―日本人の知恵と
独創の歴史 
(1974年)
 (ノン・ブック)
    確かまだ自分が小学生くらいだった頃、『梅干と日本刀』という本が大ベストセラーになった。
 その当時の日本といえば、高度経済成長からオイルショックの時代へと移り、やっと持ち上げた頭をはたかれたような格好になっていた。
 そんな時、「梅干しすごい。日の丸弁当はとってもエネルギー効率が良い料理!」だとか「日本刀すごい。名刀政宗を分析したらモリブデンが含まれていたので、それがタイガー戦車の装甲にも応用された!」とか、まあなんか読むだけでなんとなく気持ちが上向くような、そんなリポビタンDでファイト一発な内容だった。

2016年3月17日木曜日

小沢昭一が亡くなってまたひとつ昭和が遠くなったけど「それでいいんだよ」と小沢昭一的こころで言いそうに思う

ドキュメント 綾さん
―小沢昭一が敬愛する
接客のプロ 
(新潮文庫)
    昔々その昔、ソープランドはトルコ風呂と呼ばれていた。トルコ政府から文句が来て改名することになったわけだが、「ソープランド」と名付けた人は大したいもんだ。トルコ風呂よりしっくりくるネーミングだったので、たちまちのうちに定着した。今じゃ「トルコ風呂」なんて、解説付きじゃないとわかんないくらいになっている。

2016年2月15日月曜日

とりあえず芝居じみた話ってのは疑った方がいいのかもしれない

千本釈迦堂 大報恩寺の美術と歴史
    中学のときの修学旅行は、おさだまりの奈良京都だった。辛気くさい寺社仏閣を生意気盛りの中学生が練り歩くのだから退屈しないわけがないのだが、そこは観光で百年食ってる土地だけあってぬかりなく、ガキはガキで充分に楽しめるネタがあれやこれやと用意されていた。
 ベテランのバスガイドさんの話はなかなかに面白く、その中で印象に残っているのに次のようなものがあった。

ある大工がお寺を建てるとき、うっかり柱を一本短く切ってしまった。さてどうしたものかと頭を抱えていると、女房が「他の柱も全部短くすれば良い」とアドバイス。なるほど、とその通りにしてみると、今までのものよりずっと姿良くできた。この怪我の功名で、大工の名は一層上がったのだった。ちゃんちゃん。みなさん、発想の転換って大事ですね……

2016年2月13日土曜日

応仁元年九月十八日桃華坊文庫焼亡ス

応仁の乱 (岩波新書 青版 873)



 応仁元年九月十八日(1467年10月25日)、一条兼良邸が赤松勢等の襲撃を受け全焼。和漢数多の書を蔵した桃華坊文庫焼亡す。質・量ともに金沢文庫に数倍すると言われた書籍群、そのほとんどが喪われた。
 とはいえ、ごくごく一部ではあるが、枢要なものは光明峯寺に疎開させてあった。

2016年1月25日月曜日

ただそれを「野蛮」であるということにしてしまう視線について

…………
 現今、天下の男色を談ずるものは、ややもすれば、閩(びん、福建省の町)と広(広東・広西)の地方とを語り草にする。しかし、呉・越から燕・雲に至るまで、この好みを知らないものはないのである。陶穀の『清異録』には、「京師(みやこ)の男子は、自分の体を自ら売りに出し、送り迎えして恬然としている」とのべている。とすれば、この風習が唐宋のころから、すでにあったことが知られよう。いま帝都には小唱があって、もっぱら士大夫の酒席の御用を勤めているが、おそらく官妓が禁じられたので、これを用いざるを得なかったのである。その初めはみな浙江の寧波・紹興の人であったが、近頃では半ばは臨清(山東省)のものである。だから南と北の小唱に分かれているが、群に随い隊を逐うという状態で、佳いものは少ないのである。たまに一人でもいると、風流な士大夫たちなら、力を尽くして招き寄せようとしないものはなく、国じゅうが狂ったようになるのである。……
…………

2016年1月18日月曜日

国家とは忘れ去ることなりとベネディクト・アンダーソンが言ったわけではないが

定本 想像の共同体―
ナショナリズムの起源と流行
 (社会科学の冒険 2-4)
 昨年(二〇一五年)末、ベネディクト・アンダーソンが死去した。
 愛しの「恋人」インドネシアの地において。
 しかしその「恋人」は、ベネディクト・アンダーソンを十八年もの間突き放していたことがある。
 原因は、「恋人」の「不行跡」についての批判である。

2016年1月15日金曜日

とりあえず『ベルサイユのばら』を読んでおけば良かったのかだろうか?

ベルサイユのばら 全5巻セット
 (集英社文庫(コミック版))
 日本の男女を比較すると、基礎教養という点において、女性の平均は男性の平均を大きく凌駕する。
 なぜかと言うと、男どもがジャンプで『北斗の拳』や『こちら葛飾区亀有公園前派出所 』を読んでいた時、女性達は『あさきゆめみし』で源氏物語に触れ、『ベルサイユのばら』でフランス革命についての知識を仕入れていたからだ。
 こうした「教養」の差が、のちにゴーマニズムなんぞにひっかかるかどうかという品性の差につながった、と考えるのはうがちすぎかもしれないけれど。