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2016年5月13日金曜日

『陶庵夢憶』の焚書


…………
隋の嘉則殿では書籍を三類にわかち、紅瑠璃、紺瑠璃、漆の軸で見分けをつけるようになっており、殿には綿入れの幕を垂らし、ぐるりに飛仙を彫刻してあった。帝が書庫においでになって、隠されたばね仕掛けをお踏みになると、飛仙が幕をまくり上げ、本箱の扉が自然に開く。帝が出てゆかれるとまたもとの通りに閉じる仕掛けになっていたそうだ。隋の蔵書はおよそ三十七万巻であった。

2016年3月19日土曜日

誰がアレキサンドリア図書館を燃やしたのか

古代アレクサンドリア図書館
―よみがえる知の宝庫
 (中公新書)

    A.D.641年、当時ビザンチンの支配下にあったエジプトは、イスラムの侵攻を受ける。皇帝へラクリウスが死んだ隙をつかれたのだ。
 その時、かの有名なアレキサンドリア図書館が焼かれ、多くの貴重な文献が喪われた。
 四千の騎兵を従えたアムル・イブン・アル=アスは、「コーランと同じことが書かれている書物はコーランがあれば良いから焼け。コーランに書かれていない書物は邪悪な教えであるから焼け」とすべてを焼くように命令した、とされる。
 この話はシリアの年代記作家バール・ヘブレーウスによって書かれ、永らく事実であると信じられていた。
 しかし、今ではまったくのでっちあげであることがわかっている。

2016年2月13日土曜日

応仁元年九月十八日桃華坊文庫焼亡ス

応仁の乱 (岩波新書 青版 873)



 応仁元年九月十八日(1467年10月25日)、一条兼良邸が赤松勢等の襲撃を受け全焼。和漢数多の書を蔵した桃華坊文庫焼亡す。質・量ともに金沢文庫に数倍すると言われた書籍群、そのほとんどが喪われた。
 とはいえ、ごくごく一部ではあるが、枢要なものは光明峯寺に疎開させてあった。

2015年7月9日木曜日

花泥棒は罪にならずとも本泥棒は……

孔乙己・風波 (表音・注釈魯迅作品選)
 魯迅に『孔乙己(コン・イーチー)』というとても短い短編がある。
 内容は、孔乙己という落ちぶれたインテリの話だ。孔乙己とはあだ名で、手習いで書く決まり文句「上大人孔乙己」から来ている。孔という姓だけは本名らしい、とされている。
 科挙をすべって日々だらだらと暮らし、代書を生業としたこともあったが、酒癖の悪さから筆も紙もなくしてしまい、今はこそ泥をしては酒を飲む日々だ。
 何を盗むかというと、本である。

2015年4月16日木曜日

自由ってなんて不自由なんだろう【エドゥアルド・ガレアーノ訃報編】

エドゥアルド・ガレアーノ、
収奪された大地―ラテンアメリカ500年
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本書に対するもっとも好意的な論評は、権威ある批評家からではなく、本書を発禁することで結果的に本書を賞賛することになった軍事独裁政権からなされた。
…………
ブラス・デ・オテーロが述べているように、「彼らはわたしの書いたものを人々に見せようとしないが、それはわたしがわたしの目で見たものを書くからである」
…………

 先の四月十三日にエドゥアルド・ガレアーノが亡くなった。七四歳だった。もうずっと肺がんでふせっていたのだ。
 今までこの人に触れることはなかったけれど、以前本宅で書いたエントリー『ピノチェトと愉快な仲間たち』に重なる部分を『収奪された大地』から抜き出しておこう。

2015年2月1日日曜日

本を焚くものは、いずれその炎で己自身をも焚くであろう(トーマス・マン)


イスラム国は図書館の本を焼いた【焚書】

 なんか盛大にやらかしてくれたようだ。
 この連中は欧米のキリスト教徒が胸に抱いているチープなムスリム像を、現実にデフォルメして描き出すことにばかり熱心なようだ。
 多くのムスリムが「そんなのは本当のムスリムではない」と言っても、その発言にしょんべんかけるようなことを次々とやらかす。
 そこに現れるのは、「かつて巨大な帝国を維持したムスリム」ではなく、西欧人の心の中で何百年にも渡ってデフォルメされてきた、チープなムスリムのイメージ、暴力的で嘘つきで淫猥で野蛮で知性が無いという、クレヨンで描きなぐられた悪役像の具現化でしかない。
 で、今回は図書館の本を焚いてくれたとか。おまけに

>これらの本は不信心で、アラーに背いている。だから焼くのだ」

 だとか。

2014年11月23日日曜日

もしも発禁商法なんてものがあったらとっても迷惑だ

やしきたかじんさんの長女、出版差し止め求め提訴 晩年を百田尚樹氏が描いた「殉愛」

 また何が起こったのかと思えば、こないだ亡くなったやしきたかじんの遺産(?)をめぐって骨肉の争いがあり、百田尚樹というベストセラー作家が、一方にあからさまに肩入れした本を書いてもう一方を罵倒しまくり、罵倒された方が起こって訴えた、とのこと。
 どういう成り行きなのか、他人様の家庭の事情に首を突っ込む趣味は無いんで勝手にやってりゃいいんだけど、もし出版差し止め即ち「発禁」になったら、すごく迷惑だなあとげんなりする。
 これで裁判所への申し立てが通った日にゃ、店頭から『殉愛』とかいう本が消え失せ、これから先何年も古本屋に持ち込まれることになるだろうからだ。そういや、ひゃくたなおきって、百タタキに似てるよね。
 あらかじめ断っとくと、親族からのクレームで出版差し止めってくらいで、古書価にプレミアがついたりしないから。

2014年9月17日水曜日

昔の本を読んでてなんとなくわかること

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……シオン議定書というものがあったとしても、その内容がそれほど悪徳の議定書であるということが、すでに常識から観て怪しいのである。
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……こうして考えてくると、ユダヤ人の陰謀は、ありもしないことを捏造した一編の怪奇物語、あるいは探偵小説でしかあり得ないということが判るし、万一それが真実であったにしてもさらに驚くほどのことではないということが判るだろう。総てこれらはユダヤ人嫌いのキリスト教狂信者が作り上げた誣言であり、虚妄の物語である。
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2014年7月30日水曜日

無しともいへぬ花かげの鬼/もしくは応仁元年九月十八日桃華坊文庫焼亡スのつづきというか

『修羅』収録

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「みなみな、かねて申しつけたとほり、この桃華房の討入に古市ものの血筋を賭けよ。この庫、よのつねの庫ではないぞ。つねならば、金帛をこそねらはう。金帛、しひてここにもとめるな。庫にみちた世世の舊記は、もつてこの國の史を編むに足るといひつたへる。舊記、なにものぞ。代代の公卿どもが書きちらした文反故の山よ。暗愚時には知らずして、老獪ときには知りながら、曲をもつて直としたもの、あやまりを掏りかへてまこととしたもの、さだめて多きに居るであらう。このほしいままの筆の跡をさかのぼつて、みだりに國のみなもとをさぐり、家の來歴を決めつけて、枉げて正史の杭を打たうとする。いつはり、ここにはじまつたぞ。いつはりの毒のながれるところ、つひに古市ものの血筋を犯して、これをばけがした。京と古市と、へだたる濠の深さを見よ。げに、文反故の山にこそ惡鬼は棲む。今この惡鬼を討て。舊記祕卷、みなほろぼすべし。いふところの史書はことごとく投げ捨てよ。史を書かば、まさに今より書け。かの庫、公卿の手にとどめるな。また足輕の手にもわたすな。こころあつて、これをほろぼすものは、わが一黨のほかにはないぞ。今こそ、よきをりぢや。このをりをのがすな。」
 …………

2014年5月29日木曜日

ああっというまに焚書完了Part.2

 いちおーPart.1は本宅ここ

 さて、ヤマダ電機がやらかしてくれたようだ。

ヤマダ電機の電子書店が閉鎖 購入書籍は閲覧不能に
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/1405/29/news089.html

 本宅で何度か書いたけど、電子書籍てのは、要するに本来タダのものである「立ち読みする権利」に値段を付けて売っているものだ。
 
「立ち読みする権利」を有料化するという発想は出版の在り方を変えざるを得ないだろう
http://www.koshohirakiya.jp/2012/10/29/立ち読みする権利-を有料化するという発想は出版の在り方を変えざるを得ないだろう/

 「立ち読みする権利」てのは勝手な造語なので、別に「自由」としてもらってもかまわない。まあとにかく、人間には「知る権利」ってのがあって、権利ってのはタダで手に入るのが近代国家だ、てことになっているのだ。そいつに値段をつけて商売できるってのは一種の特権なわけで、出版てのはアッシリアの神様みたいに大勢の強力な魔神によって守られている。著作権とかね。
 ところが、図書館というものがあって、こいつは出版社や本屋どころか、資本主義よりも古くから存在している。なんというか、山奥の湖のヌシみたいなもんだ。古代においては、そこに入れる人間は選別されたし、有料だったこともあるけれど、とにかく「本を読む」という行為は、あまり金銭的にあーだこーだ言っちゃいけないものになっていった。まあ、字を読める人間自体少なかったけどね。ゲーテが生きてた頃のドイツ(神聖ローマ帝国)ですら、七割が文盲だったって話もある。
 そんな、本来ならタダのものに値段を付けてんだから、そりゃーもう儲かって儲かって笑いが止まらない、となるはずなんだが、タダほど高いものはないというか、とにかく宣伝しまくらないと、0円どころかこっちからポイントの一つや二つくれてやんないとクリックなんかしてくれない、そんな世知辛いご時世なのだ。
 そのくせ著作権は、ある意味リアルの書籍以上にめんどくさいとくる。そりゃーやめたくもなるわな。もしかしたら、これも南米のジャングルの一人勝ちかなー。

 電子書籍が飽くまで「書籍」の代用品であるうちは、当分こんな状況が続くだろう。
 誰かが新しい発想でブレイクスルーしちゃうことが必要なんだが、きっと日本じゃ誰もやんないだろうな。そのうちアップルあたりがやっちゃいそうな、そんな気がする春の宵なのであるのであった。


ヤマダ電機の暴走

2014年4月7日月曜日

アリストテレスの言うことにゃ「わしゃキリスト教なんぞ知らんのだが」


 時は14世紀はじめ、北イタリアのとある修道院で、連続殺人事件が起きた━━というのが映画『薔薇の名前』のシチュエーションだ。主人公の修道士を演ずるのは元007ショーン・コネリー。この演技で一皮むけた、と淀川センセイが仰ってた。
 主人公の名前は「バスカーヴィルのウィリアム」で、もろにシャーロック・ホームズを思い出させるネーミング。もちろん殺人事件の謎を解く役回り。ワトソン役は若い助手の修道士見習い。
 これはウンベルト・エーコのベストセラー小説『薔薇の名前』が原作で、できればまあ、原作にふれて欲しいと思う。とっつきづらいけど映画より何倍も面白いんで。

薔薇の名前〈上〉 薔薇の名前〈下〉
(以下、ネタバレが含まれます)

2014年4月4日金曜日

アリストテレスの言うことにゃ「わしゃそんな本書いちょらん」

 えー、ずいぶん間が空いちゃったけど、これの続き。 なんでアリストテレスは言ってもいないことが言ったことにされやすいのか、なんで王様の愛人に馬乗りされてお尻ペンペンされなきゃならんのか、それはアリストテレスの書物がたどった運命に由来する。