2015年1月31日土曜日

「無」のダンスもしくは勅使川原三郎の『平均律、バッハよりⅡ』

    昨晩は踊る勅使川原三郎を見ることが出来た。
 やはり、昔とは違っている。衰えているということはもちろん無く、成長しているということでもなく、「近づいている」というのがしっくりくる。
 何に近づいているかということもなく、ただただ「近く」なっている、ということだ。

【経済の問題がどのくらい重要かというと経済学者に任せておけないくらい重要なので続き編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

Le capital au XXIème siècle

   前回の続き。
「お金持ちが納得して、たくさん税金を払ってくれる」という、KENJIの身代わりにアンパンマンがISISの人質になって「新しい顔があるからへーきだよ」と言ってる、なんてのと同じくらい幼稚でファンタスティックで場の空気を読まない質問には、一体何が含まれているのか?
 だいたい、税金なんて、喜んで払ってるのは皇室くらいじゃないかと思うんだが、なんで税金を払いたくないかというと、まず「せっかく稼いだ金がもったいない」それから「国が何に使っているのか信用できない」からだ、とみなさんのたまうだろう。
 それは金持ちに限らず、サラリーマンだってパートのおばちゃんだって街場の古本屋だって大臣だって経済学者だって同じことだ。そういや、元大臣で経済学者で企業重役の人が、住民税を逃れるために一年の半分は住所を海外に移してた、なんてな話もあったっけ。

2015年1月30日金曜日

【経済の問題がどのくらい重要かというと経済学者に任せておけないくらい重要なのだ編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 昨晩、ピケティの講演の中継をパソコンで見た。便利な時代になったもんだ。テレビいらんなー。
 ピケティが話したことはだいたい本読んだら書いてあることばっかで、パネルディスカッションもたいしてもりあがらず、遅刻してきた政治家のボクちゃんがアベノなんちゃらの宣伝しかしなかったりとか、抽選に外れてちぇーっっと思ってたけど、この程度ならわざわざ足を運ばなくて正解だったなー、と思ったりした。
 それともライブならではのサムスィングとかあったのかな?会場で本を買うとサインがもらえるとか?いっそういらんし。

2015年1月26日月曜日

【HAHAHAHA!!やっぱり問題は土地だったじゃないか!!編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら


 久しぶりに続き。
 今月ピケティが初来日ということなんだけど、講演会は大人気のようで、抽選ではずれになってしまった。
 邦訳は順調に版を重ねているようだけど、別段うちのブログのアクセス数が上がったりはしてない。まあ、いきなり「財産」について考察し出して、「土地」の「所有」とはなにか、その「世襲」とはどのような影響を社会にもたらすか、なんてことを語り出しちゃってるから、しょうがないといえばしょうがない。
 経済学だけじゃ語りきれない部分、「なんで富の偏在とその世襲が良くないのか」を書こうとして、日本の「財産」の歴史を斜めからスライスしてたらこうなってしまった。
 じゃ、ピケティが「土地」について語っているかというと、ゼロではないんだけどそれほどでもない。というか、なんかちょっとあいまいになってる。そしたら最近、そこんとこを突いた「批判」があがってきた。

Is Piketty's "Second Law of Capitalism" Fundamental?
http://aida.wss.yale.edu/smith/piketty1.pdf

A note on Piketty and diminishing returns to capital

2015年1月25日日曜日

死刑と自己責任そして安楽死さらにはカント

 その国を「他者」と呼ぶならば、レヴィナスが怒るだろうか?
 北朝鮮ですら有している「同時代性」というもの、それすらも共有しない国家において、二人の日本人が「処刑」されようとしている。一人はすでに処刑されたとの報道があったが、まだ確定的ではない。北朝鮮の拉致被害者の死については疑う日本政府が、この国についてどのような態度をもって接すべきなのか、まごついてばかりいるように見える。
 さて、今「処刑」と書いた。マスコミもそのような表現で報道している。
 しかし、これは、はっきりとした「死刑」である。
 彼らは「スパイ」として疑われており、日本にだってそういう「スパイ」を極刑にする法律が存在するのだ。

2015年1月21日水曜日

鏡が映し出すものは何か?もしくは勅使川原三郎『道化』について

朝、鏡を見ると必ずやってしまうことがある。
 それは、わざと顔を大きく歪めること。
 眼や鼻の穴や口をこれでもかと大きく拡げたり、逆にシワシワにすぼめたりする。あごを左右に揺らす、眉をくっつくほどよせる、ほおをフグのように膨らます、などなど。
 これ、外でたまたま鏡を見たときもやりたくなるので困る。

 鏡の中には、実体がそのまま写し出されているわけではない。
 左右が逆とかいうことだけではなく、そこに移されているものは遠近が圧縮されており、たとえば人体は、どこに重心があるのかわからなくなる。
 どんなに磨き込まれた鏡でも、それは同じだ。そこにあるものは、どこまでいっても虚像でしかない。だから本当にそれが自分なのかどうか、ついつい確かめたくなって顔を歪めるのだ。

2015年1月19日月曜日

Mea Culpa! Mea Culpa!

 とっくに誰かやってるんじゃないかと思うけど、ローマ教皇をネタにしたカリカチュアを拾ってみた。
 けっこうどぎついのもあるんで、また閲覧は自己責任でお願いしやす。

2015年1月18日日曜日

カバさんとワニさんの謎


ビヒモス (岩波文庫)
ビヒモス』という、ホッブズの主著でありながらなかなか邦訳が出なかった本が、この度めでたく岩波文庫で出版されたので、ちょこちょこ読んでいる。なんで今まで翻訳がなかった(大学のテキストなどで部分的にされたことはあったようだが)かというと、『リヴァイアサン』のように普遍的なテーマを含んでいないからだ。中身はイギリス王室ばんざーい、クロムウェルの野郎は地獄に堕ちやがれ、ぺっぺっぺっ、という感じ。無神論者とか反王政だとか、そういう批判をかわすのが目的で書かれたようだ。


 ところでこの、「リヴァイアサン」と「ビヒモス」という書名は、旧約聖書のヨブ記などに登場する怪物、レヴィアタンとベヘモーテ(ベヒモス)からとった、とされている。
 レヴィアタンは海の怪物、ベヘモーテは陸の怪物。そのイメージの元となった動物は、レヴィアタンはクジラとかウミヘビとかワニ、ベヘモーテはゾウかカバである。
 で、ある絵が思い出されて来るのだが……

2015年1月15日木曜日

十八歳未満に見せるための十八禁

 スウェーデン、というと、半世紀近く前は「ふりーせっくす」の国という、鼻毛の伸びたおっさんたちが憧れるドリームランドだった。
 今では税金の高い先進的な高福祉国家、という顔の方が知られている。
 がしかし、ディズニーがいつまでも夢の国であるように、スウェーデンもその「夢」を捨てたわけではなかった。
(以下、人によっては、開いた口からピロリ菌が逆流してくる恐れがあります。閲覧は自己責任でお願い致します)

2015年1月14日水曜日

二つの帝国と二つの融和

 現在、フランスにおいてムスリムの存在が大きく取り上げられている。すでに人口の七%はムスリムであるという。
 それを多いととるか少ないととるかはともかく、古代において人口の七〜八%が「異教徒」であった、超有名な「帝国」が存在する。

2015年1月12日月曜日

おとなになるってどんなこと?

 言葉が暴力になるのなら、それに暴力でお返しして何が悪いだろう?
 と考える人たちは意外と沢山いて、だいたいの場合口下手だ。そして、真面目で、正直であったりもする。そうした人たちは、言葉の代わりに暴力を使う。それを押しとどめられるのは、神様だけだ。神様はおっしゃる「復讐するは我にあり」(ロマ書 )と。俺がやるからお前はするな。仕返しなんぞ、不信心もののすることだ。
 どうやら神様というものは、信じれば信じるほど、その教えに背きたくなるらしい。ムハンマドだって多神教徒たちへの復讐をさせなかったんだけどね。

2015年1月10日土曜日

だるまさんはいつころぶ?

…………
「インフレでもリフレでもとにかく貿易上から見た日本は今世界で一番好状態にある、そうじゃ、輸出入とも膨張しているし数字的に見ても世界一じゃ」
「こんな事は初めてじゃないですか」
「うん、然(しか)し日本許(ばか)りが景気いいというよりも他国が萎縮しているんじゃな」
「この調子で果たしていいものでしょうか?」
「人類の幸福から見たら、それあ、よくないよ、然し日本人は偉いな、支那方面の輸出先が駄目になったら南洋方面に新たに販路を開拓したじゃないか」
…………

2015年1月7日水曜日

「無」のダンスもしくはフェルディナント・ホドラーとたまごサンド


 冬休み最期の日、娘が「たまごサンドを食べたい!」と言い出した。図書館でたまたま手に取った『謎のあの店』という本に載っていたのだ。
 調べてみると谷中の方にある結構有名な店のメニューで、上野の公園から歩いて十分ほどの距離にある。なので、ついでと言っちゃあ何だが、国立西洋美術館へ『フェルディナント・ホドラー展』を観に行くことにした。
 
 ホドラーという画家については、今まであまりよく知らなかった。画集などで目にしたことはあったが、だいたい「象徴派」というくくりで、自分の脳内では「セガンティーニその他」の引き出しにつっこんでそのまんまになっていた。
 しかし、今回たまたま展覧会に足を運び、己の不明を恥じることとなった。

2015年1月5日月曜日

初春のめでためでたのめでたさで「少子化問題」とやらが問題にならなくなる方法を書いてみる

道徳感情論 (講談社学術文庫)
「アリストテレスは人口を調節するため、幼児の虐殺を肯定した」と、アダム・スミスは『道徳感情論』で詰っている。
 まあ確かにアリストテレスは『政治学』の中で子供の数を減らすことを述べてはいるが、アダム・スミスが言うように「殺せ」とまでは言っていない。ちょっと微妙なラインなんで、以前の「アリストテレスの言うことにゃ『わしゃそんなこと言うちょらん』」というエントリーでは触れなかったんだけど、人口の調整ってのは古代ギリシャからずっとずっとずずずずいっと問題だったわけだ。
 アテネでは夫婦間のちぎりも「義務」とされていて、義務を果たさない夫は妻から訴えられて、法廷で裁かれたのだそうな。
 アリストテレスの師、プラトンに至っては、女も子供も国家で管理して、優秀な人間だけを増やそうなんて考えてた。なんというディストピア。

2015年1月4日日曜日

今日は国立近代美術館が無料だった

仏文 ikko narahara photographies
 1954-2000 奈良原一高
 ぶーたれる娘を引きずって、奈良原一高の「王国」を観に行ったら、本日は無料観覧日であった。ラッキー!!太っ腹だな、MOMAT!
  なので、常設展も全部ぶらぶら見て回ることにした。月の最初の日曜日は無料とのこと。正月あけのせいか、館内はすいていた。おやつ時のファミレス程度の入り具合。