2014年8月8日金曜日

親不孝しているうちは親がいる

「子供の成長は親の死である」とヘーゲルは書いた。
 なんとなくわかるようなわからないような文句だが、これについて解説すると、ヘーゲルが共同体というものについてどのように考えていたのか、てのを書かにゃならんのでチトしんどい。
 なんでも児童虐待は全国で七万件を越えるんだそうだ。そういう数字だけを聞くと、「なんという人心の荒廃!」という感じがするが、それまで「しつけ」とされてたことが、ちゃんと「虐待」と認知されて来たということなんで、減らすのはまだまだこれからの課題のように思う。
 だいたい欧米だって二十世紀前半くらいまでは「ガキなんざぶん殴って育てるのが当たり前」だった。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』なんかでも児童虐待のエピソードがでてきたりする。



お前はうちの子ではない
橋の下から拾って来た子だ
 しかし、実際に子供を育ててみて思うのは、愛情いっぱいに優しく育ててたら、虐待されるのは親の方だよな、てこと。
 しつけってのは、子供からの虐待に耐える覚悟が、まず第一に必要とされてくる。
 でもみんな、「幼い子供が親を虐待するなんてあり得ない!」て思ってるから、親の逃げ場がなくなっちゃうんだよね。
 それでついつい「お前なんかうちの子じゃない」なんて口走ったりする。

センダック『まどのそとのそのまたむこう 』
 ドイツの伝説には「取り替え子」というのがあって、それは知らない間に子供がそれそっくりの妖怪にすり替えられている、なんて話だ。
 センダックの『まどのそとのそのまたむこう』という絵本もそれが元になっていた。
「取り替え子」というのはとにかく醜くて、欲深で、親に意地悪をする存在だ。それでもなんとか育てていると、そのうち妖怪の方が子育てに飽きて、本当の子供を返してくれる、という寸法になっている。上手いこと考えるもんだね。

 そんなわけで、子供の虐待を云々するのもいいけど、その前に「親ってのは子に虐待されるものだ」ってことを周知しておいた方がいいんじゃないのかな。あ、こんなこと教えたら、また少子化が進んじまうか。


小さき者へ・生れ出づる悩み (新潮文庫)



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