2015年11月28日土曜日

高尾山の知られざる過去

    高尾山には何度も何度も何度も登った。
 きっかけは妻の出産予定日がやや遅れたことで、助産院から「高尾山に登りなさい」とご下命いただいたことである。まだミシュランの星なんかついてなかったし、道は暗いし手すりはないし、蛸杉は柵なんかなくてさわり放題で、道中案内の看板すらもなかった。
 今じゃうっかり連休に行ったりすると、昔の原宿ホコ天なみの混みっぷりで、今年はふもとに温泉まで掘ったとのこと。どこまで客を集めるつもりなのやら。
 さて、そんな高尾山の知られざる一面をここにご紹介しようと思う。

2015年11月26日木曜日

「死なない子供」荒川修作はどのように死んだか

 二〇一〇年、荒川修作という芸術家が死んだ。
 世の中にはいろいろな芸術家がいて、芸術家でありながら派閥のボスだったり、芸術家でありながら太鼓持ちだったり、芸術家でありながらドサまわりの芸人だったりするものだが、この人は芸術家という以外の呼び名が当てはまらないような芸術家であった。
三鷹天命反転住宅
    その作品についてあれこれ述べるよりも、東八道路を走っていると道路脇に見えてくる奇妙な住宅を作った人、と言った方が通りがいいかもしれない。三鷹天命反転住宅は、作者が死んでもなお、そこに在りつづけている。
 その元でもある養老天命反転地の方も、一度は訪れてみたいと思いつつ、まだその機会にめぐまれない。自分の故郷(岐阜)にあるというのに、どうにも足を伸ばすことができないでいる。
養老天命反転地
    荒川修作は「死なない子供」だった。「死」という宿命を拒絶することが、彼の生涯のテーマとなっていた。
 しかし、「死」は思いもよらぬ方向からやってくる。
 にこやかに微笑みながら、最大の理解者のような顔をして。

2015年11月18日水曜日

裸の王様のおとなりで女王様が裸踊りしているという状況について

「王様は裸だ!」というのはよく政治の場で使われるレトリックである。
 では、女王様の方は裸にならないのだろうか?その方が大衆に受けるし、子供がそれを指摘したなら、周りの人間が必死で子供を黙らせるだろう。
 経済学という学問は、「社会科学の女王」を名乗っている。
「王様(政治)」はよく裸にされるのに、「女王様(経済)」が裸にされないのはなぜか。やっぱ倫理的な問題があるのか。
 つまらんジョークはさておき、人が経済学に対してつっこみづらいのは、やっぱり貧乏より金持ちがいいし、不況より好景気がいいし、そうした大衆の欲望を体現する学問だからだろう。

 が、しかし、その「女王様」が、ストリップをおっぱじめてしまっている。他ならぬ、この日本で。

2015年11月16日月曜日

『正法眼藏』は百歳未満の講読を禁ず

永平正法眼藏蒐書大成 19
(注解・研究篇 9)
    果たして人間は、ものが見えるままに見ているだろうか。ということは誰もが一度は疑問を抱く。それはおよそ幼い頃のことで、成長するにつれて疑問を抱いたことすら忘れてしまう。しかし、まれにその疑問を死ぬまでずっと抱いたままの人もいる。さらにまれなるは、その疑問を解いてしまう人もいるということだ。
 そうした人は、「悟りを得た」と呼ばれる。

2015年11月15日日曜日

『正法眼藏』は十八歳未満の講読を禁ず



   禅寺と言えば女人禁制、修行中の僧侶は女人の香りをかぐことすらない、なんて言われたりするのだが……

2015年11月14日土曜日

『正法眼藏』は五十歳未満の講読を禁ず

「禅は一万人に一人の天才のための宗教だ」と司馬遼太郎は言っていた。
 じゃあ、日本にはそうした天才がざっと一万人いるわけで、集まったなら信者数一万人の宗教団体になる。そう考えると、わりと普通な感じだね。
 まあ、つまらん揚げ足取りはともかく、「禅問答」といえばわけのわからんことの例えになってるくらいで、「禅」というやつがとんでもなく難しい宗教であることは確かだ。それはいったいどのように難解であるのか? 曹洞宗を開いた道元による『正法眼藏』から引用してみよう。

2015年11月12日木曜日

「みんなビンボが悪いんや」という身近かすぎてわからない身近かな真理についてわからせるにはどうすればいいかということ



「貧乏」というものがよくわからなくなって久しい。
 いや、私自身は身に沁みているのだが、社会全体によく通じないように思える。そして、どのようにすれば多くの人々に理解されるのか、というのはより一層わからない。と、このように書いても「俺はわかってる!」と言いつつわかってない人は多いわけで、「わかってる」人にさらにわからせるのはどうすればいいのかもわからない。

「貧乏」というものは、未来が剥奪されることによって起こる。
 自分の未来が描けないので、目の前のことしか考えられなくなる。
 だから、「貧乏が嫌だったら、死に物狂いでがんばればいいだろ」というのは、わかってない人の言い草である。「がんばる」というのがどういうことなのか、わからなくなるのが「貧乏」というものだからだ。

2015年11月11日水曜日

科学という名の非人間的な「何か」もしくはららら科学の子

 今世界に、マッドサイエンティストと呼ぶに値する人間はどれくらいいるだろう。たとえいたとしても、その人間は陽のあたるところにはでてきていないはずだ。
 マッドサイエンティストは人体実験が大好きだ。
 ナチスや七三一部隊のようなものでなくとも、人間の「精神」に対する実験はちょくちょく行われている。それは病原菌や薬剤や解剖を強いることはないが、もしかするともっと残酷といえるかもしれないような、そんな結果をもたらしたりもする。

2015年11月6日金曜日

科学という名の非科学的な「何か」もしくはららら科学の子

「知」の欺瞞――
ポストモダン思想に
おける科学の濫用 
(岩波現代文庫)
    一九九四年、「ポストモダン」てやつがまだ世間をぶいぶい言わせていた頃、その足元のカーペットがひっぺがされてみんながずっこける、トムとジェリーのような事件が起きた。
 アラン・ソーカルという名の物理学教授が、適当な論文に適当な数式をばらまいただけの、永谷園松茸の味お吸い物みたいなパチもん論文を「ソーシャル・テキスト」という哲学雑誌に投稿したところ、それがバッチリ掲載されてしまったのだ。
 この「偉業」により、ソーシャル・テキストの編集長は、その年のイグ・ノーベル賞に輝いた。
 これに勢いを得たソーカルは、同僚とともに『「知」の欺瞞――ポストモダン思想における科学の濫用』という本を出版し、ポストモダンと呼ばれる思想においていかに「科学」がでたらめに援用されているか、について暴き立てたのだった。
 現在においてもこの事件の影響は少なからず残っており、ポストモダンな思想家を揶揄するための定番ネタとなっている。

 どうやらけっこう複雑難解な哲学を操る人でさえ、科学というものに対しては、ただ「科学っぽい」というだけで信用してしまう傾向があるようだ。
 では科学者自身はどうだろう?
 やっぱりモチは餅屋なんだから、「科学っぽい」ものに騙されたりすることはないのだろうか?

2015年11月1日日曜日

本当に忘れるためにはまず思い出さなくてはならないが何を思い出せばいいのかわからないということ もしくは『ルック・オブ・サイレンス』についてのつづきのつづき


 上掲はピーター・ウィアー監督の『危険な年 The Year of Living Dangerously』のラストシーンである。主人公のジャーナリストは、共産党の男に助けられ、空港へとたどりついて脱出する。
 この映画は一九九九年までインドネシアでは上映を禁じられていた。現在ではテレビでも放映されたそうだ。ピーター・ウィアー監督の名前は、『ピクニックatハンギング・ロック』での方がよく知られているだろう。ウィアーはオーストラリア人である。そして、オーストラリアとインドネシアは軍事的に互いを仮想敵国としている。

2015年10月28日水曜日

本当に忘れるためにはまず思い出さなくてはならないが何を思い出せばいいのかわからないということ もしくは『ルック・オブ・サイレンス』について


『ルック・オブ・サイレンス』を見たのはしばらく前のことだが、なかなかエントリーにできなかった。これの前編にあたる『アクト・オブ・キリング』については去年エントリーを書いていたので、やはりこれについても書かなくては、とやや義務的なものを感じていたにもかかわらず書けずにいた。(以下ネタバレあり)

2015年10月27日火曜日

ピピピピピピピピピクニック!!

 下高井戸シネマに『ピクニック』を観に行った。
 動くバタイユを見るためである。(以下、ややネタバレ)
 といっても主演のシルヴィア・バタイユではなく、その夫(当時)であるジョルジュ・バタイユ の方だ。

2015年10月26日月曜日

背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試みのつづき

アルゼンチン経済史 (1974年)
 (ラテン・アメリカ経済選書〈2〉)
 前回からの続き。

 アルゼンチンは一八九〇年の恐慌から一八九四年に回復基調に乗る。
 日本は一八九九年に第一次恐慌にみまわれる。「第一次」とは後になって名づけられたもので、もちろんその次がある。続く一九〇〇年には第二次恐慌が起こる。
 日本政府は増税し、大蔵省・日銀はともに緊縮財政をとる。その年さらに北清事変(義和団事件)へと出兵。戦費調達のために三度目の増税をする。
 一九〇三年からアルゼンチンは繁栄の時代へと入るが、日本は一九〇四年に日露戰争、かろうじて勝ちはしたが経済は安定感を欠き、一九〇七年にはまたぞろ恐慌となる。

2015年10月25日日曜日

背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試み

 クズネッツの有名なジョーク。「世界経済は四つのパターンにわけられる。ヨーロッパとアメリカと日本とアルゼンチンだ」
 ヨーロッパとアメリカはわかるが、なぜそれに日本とアルゼンチンがくっつくのか。それは日本が途上国から先進国にのしあがり、アルゼンチンは逆に先進国から後退してしまったからだ。そうした「境目」を越えた例は、今のところこの二国しかないという。
アルゼンチン経済史 (1974年) 
(ラテン・アメリカ経済選書〈2〉)

 そういえば『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』とかいう本があった。アルゼンチン政府が財政破綻したのになぞらえ、日本もそのうちそうなると脅した本だ。
 そんな風に比較される割には、アルゼンチン経済について知らないな、と思ったのでなんとなく経済史を比較しつつ、メモってみたいと思う。


ウーゴ・ディアスのハーモニカによるタンゴ

2015年10月24日土曜日

バック・トゥ・ザ・フューチャー!!未来に尻を向けてやれ


 二〇一五年十月二十一日は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもって、過去からタイムマシンがやってくるはずの日だったそうだ。こういうお遊びで盛り上がるというのは、割と嫌いじゃない。

2015年10月22日木曜日

家事は「仕事」か「労働」かもしくは人間にとって人間は「神」か「狼」か

エセー 6
    モンテーニュが結婚について述べた格言はいくつかあるが、その中で検索してもあまり引っかからないのに次のようなものがある。
…………
結婚というのは、《人間は、人間にとって》、《神である》か、さもなくば《オオカミだ》という諺にぴったりと当てはまるような契約なのである。
…………

2015年10月18日日曜日

家事は「仕事」か「労働」かもしくはヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」と料理について

    昔々、私が詰め襟学生服を身につけていた頃、ハウスのCMで「わたし作る人、ぼく食べる人」とやってたのが問題になり、放送中止となった。
 男女差別云々と解説されたが、正直当時の私には全く理解できなかった。ガキだったからねえ。
 しかし今思うに、「男女差別」というのは当時まだそういう言葉を当てはめるしかなかった、というだけのことで、本当は瞬間的に「かちーん」ときた、というのが理由だったんじゃないかと思う。
 じゃあ、何がどこに「かちーん」ときたのか?

2015年10月15日木曜日

家事は「仕事」か「労働」かのつづき

 先日のAERAの特集だが、例によって妻と夫の認識のズレが、「ほんまかいな」といいたくなるエピソードによって例示されていた。
 たとえば、夫が三時間かけて餃子を作り、それをFacebookにあげて“いいね”をもらってご満悦。それを見て妻がムカムカ、という話。
 いやー、三時間もかかる餃子って何が入ってるんだとか興味は尽きないが(皮から作ったって普通そこまでかからんと思うが)、それに対してムカつく妻にも「ほっといたれや」と思わなくもない。

2015年10月8日木曜日

にっぽんの病い(グロ注意)

 ノーベル賞で日本人の受賞が続き、さぞかしテレビではわいていることだろうが(テレビ見てないので知らんけど)、中国人で初めて科学分野で受賞した屠呦呦氏の功績がマラリアの治療薬だと聞いて、二、三思い出したことを書きとめておきたい。

2015年10月7日水曜日

勉強しなはれ勉強しなはれ勉強しなはれ♪

 マルクスとエンゲルスとレーニンの三人がインタビューを受けた。
 質問は「妻と愛人、どちらがお望みですか?」というもの。
 まずマルクスは「妻だ」と答えた。
 エンゲルスは「愛人」
 レーニンは意外にも「両方とも」と言う。
 驚いたインタビュアーが「なぜ両方?」ときくと、レーニンは笑いながらこう答えた。
「妻には『愛人の所にいる』と言い、愛人には『妻の所にいる』と言えばいいからね」
「で、独りになってどうするんです?」
「一に勉強、二に勉強だ」 

 これ、一応ジョークらしい。元ネタは、社会主義政権下で若者が何をすべきかと問われた時、レーニンの答えが「一に勉強、二に勉強だ」というものだったことからきてるとか。なんか元ネタがわかっても、どこら辺が笑いどころなのかさっぱりわからん。

2015年10月5日月曜日

本を盗むのはノーベル賞のなせる技?

《竊書(せっしょ)は盗みとは申せん……竊書はな……読書人のわざ、盗みと申せるか》(竹内好訳)
…………
 これは以前とりあげた魯迅の『孔乙己(コン・イーチー)』の一節である。繰り返しになるが、「竊書」とは本を盗むことである。ハンムラビ法典に照らすなら、即座に死刑だ。
 魯迅による当時の中国社会の描写は適確であり、少なくとも、この程度のこそ泥の存在は許されてあったようだ。もちろん現行犯で捕まればひどい目に遭うが、それでも殺されるというようなことはない。そうしたことは、代表作『阿Q正伝』を見てもわかる。少なくとも江戸時代の日本よりは寛容なようだ。
 これは論語の影響だろうか?
「季康子患盗、問於孔子、孔子対曰、苟子之不欲、雖賞之不窃(季康子が盗賊を患(うれ)いて孔子に問したところ、孔子対(こた)えて曰うには、苟(いや)しくもわたしには欲などないのだから、賞(ほ)められても盗むことはないぞ、とのことであった)」など、孔子は盗みについて、ただ財産を奪う以外の意味を沿わせて語ることが多い。

2015年10月4日日曜日

目にわ目を!歯にわハニワ!!

    「目には目を、歯には歯を」という「同害刑法talio」で知られるハンムラビ法典なのだが、その実態は同害でも何でもなかったりする。
 時々半端にかじった人が、「ハンムラビ法典というのは、そんな乱暴な法律ではなくて、目をつぶされたら相手の目をつぶす以上のことはしてはいけないと、暴力に歯止めをかける法律なのだよ。ふっふっふ」とおっしゃってくれたりするが、読んでみると全然そんな大人しいもんじゃない。

2015年9月25日金曜日

【神を乗り越えることは可能だということか編】それからエデンの東へ行ったのだった

East of Eden
「アメリカ文学なんてものはね、スタインベックとヘミングウェイだけ読んどきゃいいんです」
と、その時教授は言い捨てたのだった。
 それは大学の一般教養の「英文学」の授業でのことで、その教授の顔も名前も授業内容も憶えていないが、この忌々しげな一言だけは、はっきりと耳に残っている。英文学をこよなく愛する教授にしてみれば、本当はアメリカに「文学」が存在することなんざ認めたくもないのだが、この二人だけはどうしても無視できない、というわけだ。
 そして、それは今も似たような状況が続いている。なんせ、アメリカはトニ・モリスンが受賞して以後、もう二〇年以上ノーベル文学賞が出ていないのだ(二〇一五年現在)
 ちなみに、ヘミングウェイもスタインベックもノーベル文学賞を受けている。