エセー 6 |
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結婚というのは、《人間は、人間にとって》、《神である》か、さもなくば《オオカミだ》という諺にぴったりと当てはまるような契約なのである。
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なんでこれが知られていないかというと、100%モンテーニュのオリジナルではなくて、よく知られたローマ喜劇の台詞を合成したものだからだ。
Homo homini deus, si suum officium sciar
(なすべきことを知るなら、人は人にとって神である)
ローマ喜劇集 (1) (西洋古典叢書) |
Lupus est homo homini
(人間は人間にとって狼である)
を合わせたものである。両方ともエラスムスの『格言集』に入っており、この組み合わせはルネサンスの知識人にとっては常識だったようだ。
ホッブズも『市民論』の中で、「人は人にとって神であり、また人は人にとって狼である」と書いている。「神」となるのは「国民」同士の場合で、「狼」となるのは「国家」同士の場合である、とホッブズは説く。
では「結婚」の場合、人間はいつ「神」となり「狼」となるのか?
(えー、そこの君、「おかみさんは?」とかベタなまぜっかえしはやめて)
さて、その前に前回の宿題だ。
ヘーゲルは労働によって外世界と関わり、人間は自らの内なる「主人」を越える、とする。じゃ、仕事って何だ。
「仕事」というものは、家庭の中でその「見え方」を変える。レンチキュラーの絵のように、見る角度によってそのあり方を変化させるのだ。
「男は仕事、女は家庭」と、つい数十年前まではそれが常識とされていた。いや、今だってその残滓はそこら中にいっぱいある。
この場合、「男は労働」とは言わない。
男性が家庭の外部で行っているものは、それが何であれ常に「仕事」なのだ。
アーレントの定義によれば、「仕事」というものは実生活に直結せず、人を自由にする。
男は家庭の外では「自由」でなくてはならず、女は「不自由」な家事を家の中でしている、というのが表向きの構図である。
すなわち、男と「自由」は何重もの等号で結ばれており、たとえ家事をするときでも男は「自由」なので、餃子を三時間かけて作ってしまったりするわけである。
「自由」なものは「狼」であり、「不自由」なものは「神」である。
逆のように思う人もいるかもしれないが、ヨーロッパの民話の中で、狼は強く獰猛で「自由」にふるまう。それに対して、「神」は常に人に「不自由」をもたらす。それは「試練」と呼ばれたりもする。だいたい聖書において「労働」とは、エデンの園を追ん出されたアダムとイヴに与えられた「罰」なのだ。
「神」によって下された罰としての「労働」のなかに、本来ありえなかった「自由」が持ち込まれる時、そこに「仕事」が生まれたのだ。そのありえない「自由」はどのようにありえたのか?
ヘーシオドス 仕事と日 (岩波文庫) |
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そもそも、エリスはひとりにはあらず、この世には
二種のエリスがおいでなさった—— 一は、その本性を知るものは、誰しも善しとするであろうが、
他の一は咎むべきもの、二つのエリスは全く異なる心情を持つ——
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Eris on an Attic plate, ca. 575–525 BC |
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すなわち一は忌まわしき戦いと抗争をはびこらす
残忍なエリスであり、人としてこの神を好むものは一人だにないが、
神々の計らいとあればやむことを得ず、この過酷なるエリスを崇め尊ぶ。
…………
そしてエリスにはもう一つの顔がある。
…………
このエリスは、根性なき男をも目覚めさせて仕事に向わせる。
仕事を怠けるなまけ者も、他人が孜孜として耕し、植え、
見事に家をととのえるのを見れば、
働く気を起こす。……
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ここにおいて、「争いの女神」(不和の女神ともいわれる)エリスは、男を「仕事」へ駆り立てる神として登場する。
つまり、「争い」と「仕事」は神を同じくするのだ。
そう、「仕事」とは「争い」、「戦い」なのである。
「二十四時間戦えますか?」は、まったく根源として正しいのだ。
その昔、自由とは戦って勝ち取るもので、戦うものこそは自由であった。戦うものが男である以上、男が働くことは自由をもたらす「仕事」であり、それは外部世界(人間同士以外の「自然」)に対して背を向け、自由に振る舞うことがもとめられたのである。
そして、戦うものは常に獰猛でなくてはならない。
そう、「狼」のように。
さて、「労働」は神から与えられる。
神Domine deusとは主人Dominantである。それらはともに、人間に
「労働」することを命ずる。
労働によって外世界と関わり、ヘーゲルの言うように内なる「主人」を越えるものは、さらに神を越え、自らが「神」となるだろう。
まさしく、
Homo homini deus, si suum officium sciar
(なすべきことを知るなら、人は人にとって神である)
というわけである。
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