時々半端にかじった人が、「ハンムラビ法典というのは、そんな乱暴な法律ではなくて、目をつぶされたら相手の目をつぶす以上のことはしてはいけないと、暴力に歯止めをかける法律なのだよ。ふっふっふ」とおっしゃってくれたりするが、読んでみると全然そんな大人しいもんじゃない。
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6. もし人が神または宮殿の財産を盗むならば、その人は殺される。また、盗品を彼の手から受けた所の者も殺される。
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10. もし買い手が売った売主と彼らの買った所の前で証人を伴わず、紛失品の主が彼の証人のみ知った紛失を伴うならば、買い手は盗人として殺される。
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15. もし人が宮殿の奴隷であれ宮殿の下女であれ、ムシュケーヌ(平民)の奴隷であれムシュケーヌの下女であれ、城門を去るならば殺される。
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とにかく、泥棒は殺す、と。
盗人の手を切り落とすコーランの法律が、なまぬるく見えてくるくらいだ。
ちなみに、日本だって江戸時代は「十両盗めば首がとぶ」のは本当だったし、室町時代にいたっては「一銭切り」といって、一銭だろうと盗んだやつは殺していいことになっていた。あ、いや、殺していいと考えるのは地域の慣習などで、明文化された法律ではちゃんととっつかまえて裁きを受けろ、みたいになってるけどね。その辺ややこしい。
ハンムラビ法典 |
とにかくこの最古の法律(最近二番目になったそうだけど)を見ると、九割方は「財産」に関する決まりである。
結婚なんかでも、女性を「財産」とする考え方を背景にした上で、法が定められている。
そして、財産を毀損することついての罰は、「目には目を」どころか、とてつもなく厳しく、果てしなく暴力的で、しかも不平等だ。
確かにその時代としてはよく考えられた法律なのだろうが、これそのまんま施行されていたとしたなら、金持ちはどんどん金持になり、貧乏人はずっと貧乏なままだっただろうな、と推測できる。
今回読み返したのは原典直訳(バビロニア語文法付き)というやつだったので、よけいその辺が生々しかったのかもしれない。
暴力に対する仕返しには抑制的であるのに対し、「財産」の毀損に対する暴力が甚だしいのは、やはり「財産」の根源にある暴力性がその因となっているのだろうか。
ともかく、万引き犯に瞬間的に殺意を抱いてしまうのは、太古の昔にはそのまま法制化されていた感情であるようだ。
ついでに、以前書いた財産と暴力に関するエントリー
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