きっかけは妻の出産予定日がやや遅れたことで、助産院から「高尾山に登りなさい」とご下命いただいたことである。まだミシュランの星なんかついてなかったし、道は暗いし手すりはないし、蛸杉は柵なんかなくてさわり放題で、道中案内の看板すらもなかった。
今じゃうっかり連休に行ったりすると、昔の原宿ホコ天なみの混みっぷりで、今年はふもとに温泉まで掘ったとのこと。どこまで客を集めるつもりなのやら。
さて、そんな高尾山の知られざる一面をここにご紹介しようと思う。
【現代語訳】呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況 |
内容はと言えば、戦前に精神病患者を自宅に監禁していた人達の実例集である。昔は「人権」なんか馬のエサと同じようなもんだったから、こういうのもごく当たり前のこととしてなされていた。しかしまあ、精神病院自体少なかったから、しかたなかった面もなくはない。国からは、わざわざ「勅令」でもって監禁をお奨めされていたりする。
そして、この本の中の「神社佛閣ニ於ケル處置・水治方及ビ溫泉場ノ療法」という章に「(一)高尾山藥王院」が載せられている。
…………
……此處ニ瀑布アリテ古來精神病者ニ靈驗アリト稱セラレ、殊ニ約五十年前ヨリ病者ノ此地ニ群集スルモノ多キヲ致セリ。……病者ノ群集スルハ夏期ニ最多ク、其數五六十名乃至七八十名ニ及ビ……
…………
大正のころは、すでに「霊験あらたか」として有名だったようだ。
治療(?)としては滝に打たれることが主で、
…………
……治療ノ目的ニテ瀧ニ浴スル際ニ、合力ナルモノアリテ灌浴者ヲ介助スルモノトス。
…………
滝のところへ連れて行って、無理矢理滝に当てて「治療」していたようだ。「合力」というのは病者を押さえつける役目の人で、地元の農民がアルバイトでやっていたそうな。
で、どのくらい霊験あらたかだったかというと……
…………
灌瀧ノ精神病ニ及ボス影響ハ稀ニ良好ナルコトアリト雖、之ヲ一般ヨリ云ヘバ不良ナリ。大正五年中參籠者ニシテ死亡セシモノ八人アリタリト云フ。
…………
ほとんど治らず、死者まで出ている。現代なら新聞沙汰になっているとこだろう。一応高尾山側は、「医師の許可を得てから来るように」と言ってはいたが、おおよそ守られていなかった、というのが実態のようだ。
こうした事例は高尾山だけでなく、各所に同様の「霊験あらたか」な寺社のたぐいが存在していて、その効果のほどもまたご同様だった。
これはこれで、修験道のもう一つの「活用法」だったのだろう。
現代でも高尾山での滝行は行われており、登山ルートによってはちらっとかいま見ることも出来る。
とはいえ、もはや人知を越えた天狗の飛び交う修験の山という趣きはない。プラットガールが笑顔で迎えてくれる行楽地だ。ソバだって美味い。
我が家は毎年年末に高尾山に登ることにしている。
今年もまた、いつものように登るとしよう。
0 件のコメント:
コメントを投稿