2015年10月28日水曜日

本当に忘れるためにはまず思い出さなくてはならないが何を思い出せばいいのかわからないということもしくは『ルック・オブ・サイレンス』について


ルック・オブ・サイレンス』を見たのはしばらく前のことだが、なかなかエントリーにできなかった。これの前編にあたる『アクト・オブ・キリング』については去年エントリーを書いていたので、やはりこれについても書かなくては、とやや義務的なものを感じていたにもかかわらず書けずにいた。(以下ネタバレあり)


 『ルック・オブ・サイレンス』は前作の『アクト・オブ・キリング』のような変化球ではなく、真正面から虐殺事件を扱ったものだ。
 クーデターのとき兄を殺された男が、殺した男達の元へ訪ねてゆく。
 男達は別に隠れ住んでいるわけではない。堂々と、大きな家に住み、豊かな生活をしている。彼らは映画監督の求めに応じて、当時の虐殺の現場に立ってその時の様子を語る。笑いながら。機嫌良く。楽しそうに。最後には記念撮影をする。歯を見せて枯れ枝のような指を二本立てながら。
 ピース。
 ここでは何もかもがあからさまで、何一つ隠されてはおらず、誰も何も忘れていないかのように思える。
 
 私は映画の中で流されるそのビデオを見て、昔どこかで同じものを見たような気がしていた。
 しかし、それが何なのか、さっぱり思い出せなかった。
 バイト先で前科自慢をしてくれた配送業のおじさんだろうか。
 呑み屋で聞かされた学生運動に青春を捧げたおっさんの熱き思い出だったろうか。
 そういえば、過去のバカをやった思い出を語る時、彼らはみんな笑顔だった。例外なく。
『ルック・オブ・サイレンス』で、笑顔で虐殺を告白する男のビデオを見て、兄を殺された男はこのように語る。
「彼は本当は後悔している。後悔を隠そうとして笑うのだ」
 それだけだろうか?
 まだ何か、忘れてはいないだろうか?

 私が昔どこかで見た、笑顔で虐殺行為を語るビデオと同じものは何なのか。このあいだ、やっと思い出すことが出来た。
 タデウシュ・カントール の『死の教室』である。


 すいません、次回に続きます。

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