有能な人たちが「働きたくない」と嫌がる会社の特徴。
しかしまあ、手を替え品を替え、語り口やさばき方を変え、似たようなことを何度も繰り返して書くもんだな、というような感想いだきつつ、ふむふむと薄い目で読み流していたら、なんだか突然さだまさしの『関白宣言』が脳内BGMでもって流れ出した。なんつーか、内容がよく似ている。
そんなわけで、有能な人が嫌がる会社の特徴と、『関白宣言』をちょっと較べてみよう。
……と思ったけど、なんか歌詞の引用って、ブログでやると引っかかるそうなので、ただ条件を並べておくことにする。まあ、だいたいは「ははん」と思い当たることと思う。
1.価値観を押しつける
2.間違いを許さない
3.カネで人をコントロールできると思っている
4.せっかちである。
5.統制を好む
さだまさしはこれを、ダメ男の愛情表現として歌い、大ヒットさせた。
しかし、似たようなものいいを職場にもってくると、「有能な人たちが働きたくないと逃げ出す」ような会社の特徴になったりする。
つまりは、「有能な妻に家事をしたくないと思わせる夫の特徴」もほぼこれなわけで、こういう問題は職場だけでなく、いろんなところにひそんでいるわけだ。
つまりは、「有能な妻に家事をしたくないと思わせる夫の特徴」もほぼこれなわけで、こういう問題は職場だけでなく、いろんなところにひそんでいるわけだ。
家事労働ハラスメント ―生きづらさの根にあるもの (岩波新書) |
ちょっと前に「家事ハラ」にからんで、「家事は『労働』である」というようなエントリーを書いた。
それから多少の時間がたっているが、相も変わらず家事の問題はAERAあたりで定番ネタで、「家事ハラ」は今も健在だったりする。
「仕事」と「労働」は、よくごっちゃにされているが、ハンナ・アーレントはこれらをきちんとわけて考えるようにしている。
人間の条件 (ちくま学芸文庫) |
労働laborとは、概ね誰もができる肉体的な単純作業によってなされる。それは実生活に直結していて、けっこうめんどくさいものだ。
そして、人間は「仕事」に自由を感じるが、「労働」には不自由を感じる。
アーレントはこれに「活動」actionを加え、「仕事」「労働」「活動」をまとめて「活動的生活」vita activaとし、それ以外の思索的な行為を「観照的生活」vita comtemplativaと名づけた。
しかしまあ、この辺りの考察について、身近に重要性を感じられるのは「仕事」と「労働」の区別だけなので、それ以外のことはうっちゃっておく。
「仕事」と「労働」がごっちゃになっているのは、なにも日本人だけじゃなくて、欧米でも広く見られることだ。
しかし、日本はちょっと悪質というか、「わざとやってないか、それ?」な部分がある。
ぶっちゃけ、賃金についてなんだけど、だいたいにおいてみなさん基本的に「労働はタダ」だと考えているよね。いや、考えたがっている、という方が正しいか。
でもこれ、世界中がそうだといえばそうだし、少なくとも資本主義を標榜する社会であれば、「労働なんかに金払いたくねーな」と、口には出さねどなんとなく考えている。
そんな中で日本が「悪質」なのは、資本家だけでなく労働者もそのように考える傾向があり、あまつさえそうした「労働=タダ」を「善なること」として受け容れている、てことだ。
その価値観は、『母に捧げるバラード』において、如実に語られている。
こうした人生訓はついこないだまで主流であった。そして今まだ、いろんなとこでピンピン生きているのだ。
すんません、次回に続きます。
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