2015年10月5日月曜日

本を盗むのはノーベル賞のなせる技?

《竊書(せっしょ)は盗みとは申せん……竊書はな……読書人のわざ、盗みと申せるか》(竹内好訳)
…………
 これは以前とりあげた魯迅の孔乙己(コン・イーチー)』の一節である。繰り返しになるが、「竊書」とは本を盗むことである。ハンムラビ法典に照らすなら、即座に死刑だ。
 魯迅による当時の中国社会の描写は適確であり、少なくとも、この程度のこそ泥の存在は許されてあったようだ。もちろん現行犯で捕まればひどい目に遭うが、それでも殺されるというようなことはない。そうしたことは、代表作『阿Q正伝』を見てもわかる。少なくとも江戸時代の日本よりは寛容なようだ。
 これは論語の影響だろうか?
「季康子患盗、問於孔子、孔子対曰、苟子之不欲、雖賞之不窃(季康子が盗賊を患(うれ)いて孔子に問したところ、孔子対(こた)えて曰うには、苟(いや)しくもわたしには欲などないのだから、賞(ほ)められても盗むことはないぞ、とのことであった)」など、孔子は盗みについて、ただ財産を奪う以外の意味を沿わせて語ることが多い。



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 ところで、またノーベル賞の季節がやってきた。
 ノーベル賞を拒否したと言えば、サルトルが有名だ。
 実は前もって「いらないよ」と手紙を出しておいたのに、それが届かず受賞後の拒絶という形になったという。

サルトルのノーベル賞辞退の背景、書簡間に合わず 新資料で判明http://www.afpbb.com/articles/-/3035638

 受賞以前の辞退と言えば、魯迅がそうだとされている。

ノーベル文学賞を魯迅は拒絶「その資格ない」…関係者が明かす

シェル・エスプマルク、
ノーベル文学賞
 選考委員であるシェル・エスプマルクが語ったそうだ。これまでほぼ伝説だったことが、補強されたと言える。

 魯迅はノーベル賞について、「苟子之不欲」であったようだ。
 ならば、「雖賞之不窃」、(ノーベル)賞といえども盗めず、である。
 何を盗むかと言えば、その作家の作品を、「ノーベル賞受賞者の作品」にラベルを張り替えてしまう、というところだろう。
 だがしかし、世界中の多くの作家が、そして作家でない人も、それを望んでいる。
 まさしく、「竊書は盗みとは申せん」というところだ。


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