2015年10月26日月曜日

背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試みのつづき

アルゼンチン経済史 (1974年)
 (ラテン・アメリカ経済選書〈2〉)
 前回からの続き。

 アルゼンチンは一八九〇年の恐慌から一八九四年に回復基調に乗る。
 日本は一八九九年に第一次恐慌にみまわれる。「第一次」とは後になって名づけられたもので、もちろんその次がある。続く一九〇〇年には第二次恐慌が起こる。
 日本政府は増税し、大蔵省・日銀はともに緊縮財政をとる。その年さらに北清事変(義和団事件)へと出兵。戦費調達のために三度目の増税をする。
 一九〇三年からアルゼンチンは繁栄の時代へと入るが、日本は一九〇四年に日露戰争、かろうじて勝ちはしたが経済は安定感を欠き、一九〇七年にはまたぞろ恐慌となる。

2015年10月25日日曜日

背中合わせのタンゴまたはアルゼンチンと日本の経済史を適当に比較する試み

 クズネッツの有名なジョーク。「世界経済は四つのパターンにわけられる。ヨーロッパとアメリカと日本とアルゼンチンだ」
 ヨーロッパとアメリカはわかるが、なぜそれに日本とアルゼンチンがくっつくのか。それは日本が途上国から先進国にのしあがり、アルゼンチンは逆に先進国から後退してしまったからだ。そうした「境目」を越えた例は、今のところこの二国しかないという。
アルゼンチン経済史 (1974年) 
(ラテン・アメリカ経済選書〈2〉)

 そういえば『日本がアルゼンチン・タンゴを踊る日』とかいう本があった。アルゼンチン政府が財政破綻したのになぞらえ、日本もそのうちそうなると脅した本だ。
 そんな風に比較される割には、アルゼンチン経済について知らないな、と思ったのでなんとなく経済史を比較しつつ、メモってみたいと思う。


ウーゴ・ディアスのハーモニカによるタンゴ

2015年10月24日土曜日

バック・トゥ・ザ・フューチャー!!未来に尻を向けてやれ


 二〇一五年十月二十一日は、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』でもって、過去からタイムマシンがやってくるはずの日だったそうだ。こういうお遊びで盛り上がるというのは、割と嫌いじゃない。

2015年10月22日木曜日

家事は「仕事」か「労働」かもしくは人間にとって人間は「神」か「狼」か

エセー 6
    モンテーニュが結婚について述べた格言はいくつかあるが、その中で検索してもあまり引っかからないのに次のようなものがある。
…………
結婚というのは、《人間は、人間にとって》、《神である》か、さもなくば《オオカミだ》という諺にぴったりと当てはまるような契約なのである。
…………

2015年10月18日日曜日

家事は「仕事」か「労働」かもしくはヘーゲルの「主人と奴隷の弁証法」と料理について

    昔々、私が詰め襟学生服を身につけていた頃、ハウスのCMで「わたし作る人、ぼく食べる人」とやってたのが問題になり、放送中止となった。
 男女差別云々と解説されたが、正直当時の私には全く理解できなかった。ガキだったからねえ。
 しかし今思うに、「男女差別」というのは当時まだそういう言葉を当てはめるしかなかった、というだけのことで、本当は瞬間的に「かちーん」ときた、というのが理由だったんじゃないかと思う。
 じゃあ、何がどこに「かちーん」ときたのか?

2015年10月15日木曜日

家事は「仕事」か「労働」かのつづき

 先日のAERAの特集だが、例によって妻と夫の認識のズレが、「ほんまかいな」といいたくなるエピソードによって例示されていた。
 たとえば、夫が三時間かけて餃子を作り、それをFacebookにあげて“いいね”をもらってご満悦。それを見て妻がムカムカ、という話。
 いやー、三時間もかかる餃子って何が入ってるんだとか興味は尽きないが(皮から作ったって普通そこまでかからんと思うが)、それに対してムカつく妻にも「ほっといたれや」と思わなくもない。

2015年10月8日木曜日

にっぽんの病い(グロ注意)

 ノーベル賞で日本人の受賞が続き、さぞかしテレビではわいていることだろうが(テレビ見てないので知らんけど)、中国人で初めて科学分野で受賞した屠呦呦氏の功績がマラリアの治療薬だと聞いて、二、三思い出したことを書きとめておきたい。

2015年10月7日水曜日

勉強しなはれ勉強しなはれ勉強しなはれ♪

 マルクスとエンゲルスとレーニンの三人がインタビューを受けた。
 質問は「妻と愛人、どちらがお望みですか?」というもの。
 まずマルクスは「妻だ」と答えた。
 エンゲルスは「愛人」
 レーニンは意外にも「両方とも」と言う。
 驚いたインタビュアーが「なぜ両方?」ときくと、レーニンは笑いながらこう答えた。
「妻には『愛人の所にいる』と言い、愛人には『妻の所にいる』と言えばいいからね」
「で、独りになってどうするんです?」
「一に勉強、二に勉強だ」 

 これ、一応ジョークらしい。元ネタは、社会主義政権下で若者が何をすべきかと問われた時、レーニンの答えが「一に勉強、二に勉強だ」というものだったことからきてるとか。なんか元ネタがわかっても、どこら辺が笑いどころなのかさっぱりわからん。

2015年10月5日月曜日

本を盗むのはノーベル賞のなせる技?

《竊書(せっしょ)は盗みとは申せん……竊書はな……読書人のわざ、盗みと申せるか》(竹内好訳)
…………
 これは以前とりあげた魯迅の孔乙己(コン・イーチー)』の一節である。繰り返しになるが、「竊書」とは本を盗むことである。ハンムラビ法典に照らすなら、即座に死刑だ。
 魯迅による当時の中国社会の描写は適確であり、少なくとも、この程度のこそ泥の存在は許されてあったようだ。もちろん現行犯で捕まればひどい目に遭うが、それでも殺されるというようなことはない。そうしたことは、代表作『阿Q正伝』を見てもわかる。少なくとも江戸時代の日本よりは寛容なようだ。
 これは論語の影響だろうか?
「季康子患盗、問於孔子、孔子対曰、苟子之不欲、雖賞之不窃(季康子が盗賊を患(うれ)いて孔子に問したところ、孔子対(こた)えて曰うには、苟(いや)しくもわたしには欲などないのだから、賞(ほ)められても盗むことはないぞ、とのことであった)」など、孔子は盗みについて、ただ財産を奪う以外の意味を沿わせて語ることが多い。

2015年10月4日日曜日

目にわ目を!歯にわハニワ!!

    「目には目を、歯には歯を」という「同害刑法talio」で知られるハンムラビ法典なのだが、その実態は同害でも何でもなかったりする。
 時々半端にかじった人が、「ハンムラビ法典というのは、そんな乱暴な法律ではなくて、目をつぶされたら相手の目をつぶす以上のことはしてはいけないと、暴力に歯止めをかける法律なのだよ。ふっふっふ」とおっしゃってくれたりするが、読んでみると全然そんな大人しいもんじゃない。

2015年9月25日金曜日

【神を乗り越えることは可能だということか編】それからエデンの東へ行ったのだった

East of Eden
「アメリカ文学なんてものはね、スタインベックとヘミングウェイだけ読んどきゃいいんです」
と、その時教授は言い捨てたのだった。
 それは大学の一般教養の「英文学」の授業でのことで、その教授の顔も名前も授業内容も憶えていないが、この忌々しげな一言だけは、はっきりと耳に残っている。英文学をこよなく愛する教授にしてみれば、本当はアメリカに「文学」が存在することなんざ認めたくもないのだが、この二人だけはどうしても無視できない、というわけだ。
 そして、それは今も似たような状況が続いている。なんせ、アメリカはトニ・モリスンが受賞して以後、もう二〇年以上ノーベル文学賞が出ていないのだ(二〇一五年現在)
 ちなみに、ヘミングウェイもスタインベックもノーベル文学賞を受けている。

2015年9月20日日曜日

【小説を映画にするのはとても大変なのだ編】それからエデンの東へ行ったのだった


 『エデンの東』を観た後、映画の『それから』を観てみたくなった。貸しビデオ屋においているか危ぶんだが、近所の図書館に置いてあった。亡き松田優作主演、ヒロインは藤谷美和子、友人役が小林薫で、あと風間杜夫イッセー尾形、今何やってんだろかの羽賀健二まで出演している。
 監督はあの森田芳光
 この人にはへんな形容詞よりも、ただ「あの」とつけておきたい。

2015年9月19日土曜日

【世襲を否定することなくその破綻を描くということ編】それからエデンの東へ行ったのだった

漱石自筆原稿 それから (複製)
…………
……彼は自ら切り開いたこの運命の斷片を頭に乘せて、父と決戰すべき準備を整へた。父の後(あと)には兄がゐた、嫂(あによめ)がゐた。是等と戰つた後には平岡がゐた。是等を切り抜けても大きな社會があつた。個人の自由と情實を毫も斟酌して呉れない器械の樣な社會があつた。……
…………

2015年9月16日水曜日

【戦争によって引き裂かれるのは敗者だけでなく勝者もだ編】それからエデンの東へ行ったのだった(以降いちいち書かないけどネタバレがあります)


 漱石の『それから』において戦争は重要な意味を持っている。
 といっても、銃弾が飛び交うわけでもなければ、従軍した兵士が思い出を語るでもない。「日露戦争」という言葉は、たった五回しか出てこない。
 しかし、この物語の中には「日露戦争」が影を落としており、その影のくっきりした輪郭をなぞることができる。
…………
 三千代の父はかつて多少の財產家と稱(とな)へらるべき田畠の所有者であつた。日露戰争の當時、人の勸めに應じて、株に手を出して全く遣(や)り損なつてから、……
…………
……廣瀬中佐は日露戰争のときに、閉塞隊に加はつて斃(たふ)れたゝめ、當時の人から偶像(アイドル)視されてとうとう軍神と迄崇められた。けれども、四五年後の今日に至つて見ると、もう軍神廣瀬中佐の名を口にするもの殆んどなくなつて仕舞つた。
…………
……けれども今は日露戰争後の商工業膨張の反動を受けて、自分の經営にかゝる事業が不景氣の極端に達してゐる……
…………
 日本は日露戦争に勝利した。
 しかし、戦争によってできた社会の亀裂について、勝者の側は鈍感であることが多い。それは、没落するものへの鈍感さとなって顕れ、社会に「格差」というねじれを生み出す。

2015年9月13日日曜日

【『エデンの東』のジェームス・ディーンはたいして反抗的ではなかったよ編】それからエデンの東へ行ったのだった

左からエリア・カザン、マーロン・ブランド、ジュリー・ハリス、ジェームス・ディーン
(『エデンの東』のセットにて)
    上掲の写真は、『エデンの東』撮影中にマーロン・ブランドが訪れた際の記念写真である。なぜマーロン・ブランドがやってきたかについては、エリア・カザンの自伝に詳しく書かれている。(ややネタバレあり

2015年9月9日水曜日

それからエデンの東へ行ったのだった

それから (1953年) (角川文庫〈第321〉)
 一昨日、九月七日月曜日、夏目漱石『それから』の復刻連載が終った。
 例によって娘に朗読させたので、これで『こころ』『三四郎』『それから』を読み終わったことになる。
 さて、娘が読んでいる最中、顔に出さないようにしていたのだが、実は私は『それから』を昔読んだはずなのに、さーっっっっっっぱり内容を忘れていたのだ。自分でもびっくり。なんとなく友人の奥さんを好きになる話だな、というのはうろでおぼえていたのだが、それ以外の展開はまったく記憶から消えていた。
 なんなんだろうねえ……まあ、おかげで漱石をもう一度味わうことができたので、よしとしてしまおう。

2015年9月3日木曜日

観光客としてあまり優秀とはいえない人間の観光旅行再び

 また今年も伊豆大島に出かけた。
 もちろんセスナである。
 あの墜落事故でびびるようなわが一族ではない。

2015年8月30日日曜日

でででででもでもデモデモデモンストレーションでもってデモクラシーでももももも

 今日八月三〇日、午前中に国会前をのぞいてきた。
 アホな法案に反対したいというのもあるが、娘の社会勉強のためでもある。

2015年8月29日土曜日

どっかで似たようなのを見かけたんだけどどこで見たのかかわからなくてもやもやするということ


 見よ、この勇姿を!岡本太郎による永遠のシンボル太陽の塔である。バックからウルトラマンのテーマ が聞こえてきそうだ。
 このとんでもなくへんてこな造形物に、なぜ我々は愛着を抱いてしまうのだろう?
 それは、この見たこともないへんてこな代物が、どこかで見たような気がするからだ。
 どこで?はるかな太古の昔に、と岡本太郎なら答えるだろう。
 岡本太郎は縄文土偶の美しさに魅せられ、それを模した作品をいくつも作っている。太陽の塔はその集大成ともいえるものだ。
 しかし、それをもって岡本太郎の作品を「縄文土偶のパクリ」という人はいないだろう。

 で、例のオリンピックのエンブレムなんだが……

2015年8月21日金曜日

ときに美しさは力であるということについて


 ヴィム・ヴェンダース監督のドキュメンタリー映画、『セバスチャン・サルガド/地球へのラブレター』を観た。
 ヴェンダースの作品も、サルガドの写真も、目にするのは久方ぶりだ。サルガドはつるつるになっていた。
 原題は“The Salt of the Earth”、「地の塩」である。
 聖書において、キリストが弟子たちに「汝らは地の塩なり」と語りかける。マタイ伝第五章十三節、いわゆる「山上の垂訓」の一節である。
「地の塩」とは、社会を正しい方向に導く存在ということだ。
 まあ、「地の塩」と言われてぱっとわかる人は日本に三割もいないだろうから、タイトル変更もやむを得なかったのだろう。

2015年8月16日日曜日

無はリズムの「無」もしくは勅使川原三郎「アブソリュート・ゼロ」

ホドラー、emition


 もう一度これを貼ってしまおう。
 今年始めころのエントリーであつかった、フェルディナント・ホドラーによる“emition"(英語だとemotion)である。
 ホドラーは人が並び、ときに踊る姿によって「生命の律動」を描き出した。それは「良きリズム」(ユーリズミックス、またはオイリュトミー)と呼ばれた。
 その下に「無」の画像を並べたのは、まるでこの絵から「無」の漢字が象形されたかのように見えるからだ。
 そして、「無」という漢字は、「舞」という漢字と同じ根源をもつ。

2015年8月6日木曜日

夏のおもひで

夏の終り


 子供の頃住んでいた家は、庭に防空壕があった。
 ただ穴を掘っただけのものではなく、コンクリートで固められたもので、「百キロ爆弾の直撃にも耐える」というしろものだった。
 叔父が「ほんなもん、ほんまに直撃しよったら、防空壕は壊れんでも中の人間はショックでみんな死んでまうわな」と笑っていた。
 形は丸く、大昔の古墳に似ていた。何か大きな動物がそこに背を見せているようでもあった。
 防空壕にはすっかり雨水が溜まっていて、樹々に囲まれて昼なお暗く、その水が干上がったことは一度もなかった。

2015年8月2日日曜日

やっぱり日本はスパイ天国だった!!アメリカの(笑)

 一昨年、以下のような一連のエントリーを書きました。

それはどこらへんで言ってることなの?




 これらのエントリーの中で、「日本がスパイ天国だとかいうのって、自称じゃん。他で言ってるの聞いたことないんだけど」と揶揄しました。
 申し訳ありません。私が間違っておりました。
 日本は確かに「スパイ天国」だったようです。
 ただし、アメリカの(笑)