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2016年6月10日金曜日

それを無理に歴史と呼ばなくてもいいんじゃないだろうか。

私は隣人たちから嫌われている。
みんながもう忘れてもいい時期じゃないかと思うことについて語りたがるからだ。

(ハインリヒ・ベル)

経験と歴史から学びうることは、人民も政府も歴史から学んだりしないこと、そして歴史から得た教訓を生かしたことなど全然無い、ということだ。(ヘーゲル『歴史哲学講義』)

2016年6月8日水曜日

2016年4月17日日曜日

古本屋と投資家のシュールな出会い

 まったく奇妙なことだが、投資家と呼ばれる人たちの中に古本屋に関わろうとする連中がいる。SBIホールディングスの北尾氏が老舗北尾書店の息子だとか、そういうことではない。投資家たちはよく、ただの客として古本屋に現れ、店頭の百均をあさり、棚から掘り出し物を物色してゆくのだ。その熱心ぶりは、そうと言われなければ、せどり屋の類かと思ってしまう程だ。
 古本屋と投資家の関わりは意外と古く、戦前のアメリカでもすでにブック・ロウ(マンハッタンの古書通り)をうろつく投資家たちの姿があったそうだ。

2015年11月30日月曜日

おばけは死なないから水木しげるは死なないはず

総員玉砕せよ! (講談社文庫)

 水木しげるの訃報を目にした時、思わず「げ」と声が漏れた。続いてついつい「ゲゲゲのゲ」と歌ってしまった。
 と、このように書いていても、全くその死を事実として受けとることが出来ない。いやもう、生きながら妖怪になっている人が、今更「おかくれ」になったからと言って、何を悲しむことがあろう。きっと今頃、身軽になって、そこら中を飛び回っているに違いない。

 調布と言う町に長く住んでいるので、妖怪水木しげるに出くわすことはままあった。飄々という形容詞がよく似合う態で、自転車に乗ったりコンビニで中華まんを買ったりしていた。
 きっと調布市では何らかのイベントが開かれることだろう。
 しかし、町中で喪に服すとかは願い下げにしてもらいたい。
 そうだ、以前こんなネタをブログに書いたことがあった。

2015年8月6日木曜日

夏のおもひで

夏の終り


 子供の頃住んでいた家は、庭に防空壕があった。
 ただ穴を掘っただけのものではなく、コンクリートで固められたもので、「百キロ爆弾の直撃にも耐える」というしろものだった。
 叔父が「ほんなもん、ほんまに直撃しよったら、防空壕は壊れんでも中の人間はショックでみんな死んでまうわな」と笑っていた。
 形は丸く、大昔の古墳に似ていた。何か大きな動物がそこに背を見せているようでもあった。
 防空壕にはすっかり雨水が溜まっていて、樹々に囲まれて昼なお暗く、その水が干上がったことは一度もなかった。

2015年5月16日土曜日

かつて子供に聞かせる話には血の臭いが必要だった

 娘が小学一年生のとき、何に触発されたのか「キャンプに行きたい!」と言い出した。
「きゃ、きゃ、キャンプ〜!?」と、私は驚いたときの文楽人形のような顔になった。無理もない。それまでの人生において、キャンプなどというネイチャーでアウトドアーなことなど、一度もしたことがなかったのだ。(中学の時の野外学習は除く)
 しかし、可愛い娘の願いである。父親たるもの、きいてやらねばならぬ。父親は永遠に悲壮だと萩原朔太郎が言ったのは、こういうことだったか。(はいそこ、つっこまない!)

2014年6月6日金曜日

「思ったままを書きましょう」「なんとも思わないので書けません」と誰も言わない時代もあったかも知れない

 小学校の頃、作文を書くのが苦手だった。いや、はっきりと嫌悪感を抱いていた。
 とくに読書感想文は大大大大大嫌いで、「なんで感動も何もしてないのに感想文を書かにゃならんのか」といつも不満を持っていた。
 あるときなど、先生に感想文の宿題を出されて最後の一人になるまで書かずにいた。
「しょうがないな、一枚でいいから明日までに書いてこいよ」と言われて、
「書きたくないので書きません」と答えた。
「じゃあ、成績がせっかく5なのに、4になっちゃうよ?」と脅しをかけてきたが、
「うん、じゃあそれでいいよ」とにっこり笑って承知した。
 そのくらい自分にとっては嫌〜〜〜〜なことだったのだ。それからずっと、その先生が担任のうちは、国語は4のままだった。でも「別にいいや」と思っていた。

 なんでそんなに作文が嫌いだったかというと、「自由に、思ったことを書いてみましょう!」とかいうくせに、本当に自由に思ったことを書くと怒られたからだ。
 今にして思えば、こういう「機微」を子供のうちから会得しておくことが、会社員になってから宴会で上手くやりこなせるようになったりするような、よくある人生のコツとういうものだったのだろう。そうすれば「今日は無礼講といきましょう」なんて言われても、羽目をはずして大失敗なんてことがなくなるようになるわけだ。

 さて、先日『作文の総合的研究』という本が入荷した。
 旺文社から昭和十三年に出たものを十七年に改訂した、当時の学生(中学生くらい)向けの参考書である。
 昭和十七年と言えば戦争まっただ中であるわけだが、お手本として掲載されている学生たちの作文は、まったく「自由に、思ったこと」を書いている。

2014年3月30日日曜日

番外「ららら科学の子」おまえはアホか編

 昔々その昔、黒いランドセルの金具をかちゃつかせながら、川向こうに巨大製紙工場が見える学校に通っていたときのこと。
 小学校には「どうとく」の時間があった。
 それを漢字で「道徳」と書くと知るのは、二年後のことになる。
 なんか知らん、つまんないテキストでつまんない話をきかせられ、その話についてどう思うかを「先生が決めて」、賛成する子が手を挙げておしまいとか、まあそんな感じで授業は進められていた。
 学校での思い出というものをほとんど持ってはいないのだが、「どうとく」の時間がなぜ世にもつまらないものに思えるようになったのか、というきっかけについてだけは記憶に残っている。
 それは、「どうとく」の教科書に載った短くて簡単な話で、どんな内容だったかというと、たろうくんとはなこさん、じゃんくて別な名前だったと思うが、確か男の子と女の子がそれぞれお小遣いをもらって、祭の縁日に行くという話だった。
 はなこさんじゃなかったと思う女の子は、お小遣いをちょっぴりだけ使ってほとんど貯金しました。
 たろうくんじゃなかったと思う男の子は、お小遣いをぜーんぶ使ってしまいました。
 さて、どっちがいい子でしょうか?

2013年11月30日土曜日

むかしむかしそのむかしおばあさんがこんなことを言いました(怖い話ではありません)

「ネコ殺し」という言葉をご存知だろうか。
 私は昔そのように呼ばれていたことがある。といっても家業が三味線業者だったりしたわけではない。もちろん、陰惨なペット虐待の趣味があったわけでもないし、そのような話を好んだというわけでもない。
猫の大虐殺 (岩波現代文庫)

2013年11月25日月曜日

イラン大使館のおもひでぽろぽろ

イラン核協議で歴史的合意
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTYE9AN00M20131124

 ……ということで、ひとまずはやれやれ、と。決着は玉虫色だし、イスラエルはできたてのグラタンみたいに煮えたぎってるし、まだまだ予断は許しませんが、どんぱちなしに譲り合った結果はとりあえず良しとしたいものです。一番ほっとしてるのは、今まで革命防衛隊に押さえつけられていたイランの一般国民でしょう。
 ま、こういうのはお定まりと言うか、自国の交渉が「弱腰」に見えちゃうのは万国共通なのか、アメリカ人はこの「合意」に対してぶつくさ言う人が多いようですね。

2013年11月13日水曜日

いったいわたくしという現象はなにを食べておおきくなったか

 食品偽装、というのが巷で騒がしいようだ。
 しかし、食べ物などというものは、自分で育てて口にするのでない限りは、いったい何を食っているのやら食わされているのやらよくわからん、というのが本当のところだろう。

 私と食品偽装の出会いは、五歳の頃にさかのぼる。

2013年10月30日水曜日

仲良きことは美しい……はずなんだけど

 幼い頃、無駄に広い家に住んでいた。床の間には掛け軸が下がり、欄間には千鳥が踊り、鴨居の上のそこここには何やらごりっぱな絵が掲げられていた。
    その中に、武者小路実篤の絵があった。例の「仲良きことは美しきかな」というアレである。四、五十年ほど前の日本の家には、ほとんどといっていいほど実篤の「仲良きこと」の絵が飾られていた。本物もあったかもしれないが、おおよそは印刷だった。幼い私が目にしたのもそうだろう。なぜそんなに広まっていたのか、それは永遠の謎である。そんな謎、誰も解き明かそうと思わないだろうから。
 そして、幼き日の私には、その絵がなんとも恐ろしいものに思えた。