2015年8月30日日曜日

でででででもでもデモデモデモンストレーションでもってデモクラシーでももももも

 今日八月三〇日、午前中に国会前をのぞいてきた。
 アホな法案に反対したいというのもあるが、娘の社会勉強のためでもある。

 こういう「日常」には「外側」がある、ということを具体的に見せる機会はなかなかないので、小雨降るなか二人してのこのことやってきたのだ。

 国会議事堂前駅から歩いていくと、道々にたくさんの警官とたくさんの警察の車両がうろうろしていた。こんな光景を見るのは、全斗煥が来日したとき以来だなあ、と思いながら、議事堂方面へと行く。
 デモの本番は昼過ぎかららしく、まだまだこれからという雰囲気だが、すでに議事堂前には大勢の人が集まり、すみの方では小競り合いも見られた。

 議事堂前では演説が始まっており、ギター片手に歌っている人たちもいた。
 娘とブラブラ見て回るうち、はじっこまで出てきてしまった。さてどうしたもんかと思案していると、娘が「ねえねえ」とややいぶかしげに話しかけてきた。
 「デモって、デモンストレーションの略?」
 「うん、そうだよ」
 「じゃ、本番はいつなの?」
 ……そこからかい!
 すでにおわかりの方も多いだろうが、娘はデモンストレーションという単語をリハーサルのような意味でとらえていたのだ。
 もちろん、その場で正しい意味を教えた。
 まあしかし、「デモンストレーション」をそうとられてもしかたない。「試しにちょっとやってみた」というのも「デモンストレーション」になってるからねえ。そういう意味で使っているエラい人もいるし。元都知事とか。本当に作家なのか、あれ。

 ともあれ、権力というものが「試しにちょっとやってみた」ようなものではなく、リアルに存在していることが伝わったなら、それでよしとしておこう。

JAGATARA,でも デモ DEMO


 あと、蛇足で、別に書かんでもいいであろうことをただ書きたいから書いておく。
 こういうデモに参加して「行動」すると、行動しない人たちを非難したくなったりする。で、実際に非難がましいことを口にしたりする。すると、非難された人は反対側の方へと立ち位置を寄せてしまう。
 安保のころに繰り返された風景だ。だから「保守」と呼ばれる人たちは何もしない。何もしないで、何もしない&できない人たちを許容するだけで、自分たちの支持者を増やすことができるからだ。
 「行動」することは大事だけど、行動しない人たちを否定しないことも大事だな、と思う。



じゃがたら,もうがまんできない

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