「裏切り者」が書いたやつなんかは特に。
昨日のエントリーにも貼ったマーロン・ブランドの写真には、もう一つ別な意味がある。
名画というものは数々の伝説に彩られているものだが、『エデンの東』もその例外ではない。
波止場[DVD] |
もしそれが本当なら、このような写真が撮られることはなかっただろう。
だいたいカザンは、『エデンの東』の前にマーロン・ブランド主演で『波止場』という映画を撮っている。その映画は、カザンの“裏切り”の「自己弁護」ともとれるような内容を含んでいるのだ。
ハリウッドとマッカーシズム |
晩年、カザンはアカデミー特別賞(クロサワももらったやつ)を受けているが、その授与式で立って拍手した者は出席者の半分に満たなかった。受賞者は満場のスタンディング・オベーションで迎えられるのが慣例だったにも関わらず。
カザンの裏切りとは、「内通」である。
戦後すぐ、アメリカはジョセフ・マッカーシーという大酒飲みが台風の目となって、「赤狩り」の嵐が吹き荒れた。
ハリウッドには共産党員が潜入しているとされ、非米活動委員会は次々に映画界の人間を召還し、証言を強制していった。証言を拒否する者は、議会侮辱罪で有罪とされた。
米国憲法修正第一条にのっとり証言を拒否した十人は、映画界から追放された。彼らは「ハリウッド・テン」と呼ばれ、伝説となった。この中には別名義で『ローマの休日』の脚本を書いた、ダルトン・トランボも含まれている。
エリア・カザンもその委員会に召還された。実際彼は、短期間だが共産党に入党していた時期があった。
彼は委員会で証言し、十一名の名前を挙げた。
他にも「内通」したものはいたが(ラリー・パークス など)、カザンの内通と転向の衝撃は、ずっと大きなものとしてとらえられた。のちにダルトン・トランボがローレル賞の授賞式で「許しあおう」と発言して物議をかもしたが、そのトランボですらカザンについては「軽蔑を感じる」と切り捨てている。
もちろんカザンは自伝において、自らの信念によってそれを行ったと書いている。
…………
読者のみなさん、わたしはあなたがたによく思われようとしているわけではない。わたしは“落ち目”の際の自分に問いかけてことの一部を語っているにすぎない。しかし、のちに非米活動委員会に名前を明かしたことの弁解をあなた方が期待するなら、それはわたしの性格を誤解しているということだ。わたしは“恐ろしい、不道徳なこと”をしたが、それは真のわたし自身から出たことなのだ。
…………
イデオロギーに身を沿わせることで、共同体の倫理を破ることは正しい、とカザンは語っているように読める。
カザンの行動の正否については、今は問わない。
ともあれ、『エデンの東 』の成功によって、カザンは仲違いしていた何名かの友人とよりを戻すことができた。
長々とマッカーシズムについて語ってしまったのは、こうした社会の「分断」とそれに伴う「ねじれ」は、よく戦争に「勝つ」ことで起きる、ということを言いたかったからだ。
アメリカは第二次世界大戦において、完全に勝利した。マッカーシズムの「ねじれ」は、その「勝利」からもたらされたものだ。
それから(英文版) - And Then (Tuttle Classics) |
夏目漱石の『それから』も、背景に日露戦争の「勝利」がある。
それに乗ったものは裕福になり、乗り損ねたものは貧しくなる。
『それから』の主人公と友人を隔てるものはそれである。
そうした隔てのある社会は、「反乱」を異様におそれるようになる。『それから』にも、友人が幸徳秋水について述べる部分がある。(いわゆる「大逆事件」は『それから』刊行のあと)
そしてその「おそれ」は、それまでの共同体——家族であれ、映画を作る仲間であれ——引き裂く熱をもつようになる。
『それから』の主人公は、ただ己れの自然としての恋愛を貫いているつもりに見えるが、実際はぐつぐつと煮えた社会の熱から遠ざかろうとしているだけだ。
カザンの「内通」も、そのようなものだったのだろう。カザン自身はそれを「裏切り」とはとらえていなかったようだ。むしろ、裏切ったのは周囲の方だと。
すんません、まだ続きます。
レッドパージ・ハリウッド―赤狩り体制に挑んだブラックリスト映画人列伝 |
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