それから (1953年) (角川文庫〈第321〉) |
例によって娘に朗読させたので、これで『こころ』『三四郎』『それから』を読み終わったことになる。
さて、娘が読んでいる最中、顔に出さないようにしていたのだが、実は私は『それから』を昔読んだはずなのに、さーっっっっっっぱり内容を忘れていたのだ。自分でもびっくり。なんとなく友人の奥さんを好きになる話だな、というのはうろでおぼえていたのだが、それ以外の展開はまったく記憶から消えていた。
なんなんだろうねえ……まあ、おかげで漱石をもう一度味わうことができたので、よしとしてしまおう。
『それから』はわかりやすいが、語りづらい作品だ。
だいたい、主人公に感情移入できる人間はそういないだろう。金持ちのぼんぼんで、ぶらぶら遊んでるくせになんか偉そうで、しまいには友人の妻を横から奪おうとする。
ドラえもんにたとえるなら、成長したのび太からスネ夫がしずかちゃんを横取りしようとするようなものか。それがスネ夫を主人公にして書かれているのである。なんとも受け入れづらいシチュエーションだ。
しかし、だからこそ『それから』は名作なのだといえる。
たぶん、以前読んだ時ピンと来るところがなかったため、ケロリンの洗面器ほどしかない私の記憶層から流れ出てしまったのだろう。
だがそれがかえって良かったのかもしれない。今は、主人公のことがよくわかる。
つまりこれは、「格差」と「世襲」の物語なのだろう。
まず、職を失った親友と主人公の間に、「格差」は現れる。二人が友情でつながっているだけに、それはいっそう露わになる。
「世襲」とは、主人公が親と兄にぶら下がって生活していることである。
長々と語られる一家の様子によって、少なからぬ世襲財産があり、主人公は親が選んだ相手と結婚することで、その財産を殖やすことだけが期待されていることがわかる。
主人公がちょこまか「労働」するよりも、婚姻で得られる財産の方がずっと大きい、ということが察せられる。
日露戦争後の景気拡大と、それにともなう格差の拡大は、容赦なく家庭のなかに亀裂を入らせる。
これは恋愛に形を変えた、経済小説だといえる。
ピケティがベストセラーになった現代において、そのテーマはまったく古びないどころか、新たなものとして立ち上がってくる。
家庭を描くことが、その社会の根源を描くこととイコールになるとき、名作は生まれるのだろう。
で、昨日は府中の映画館のモーニング上映でたまたま『エデンの東』を観た。そこに『それから』と似たものを見出したのだが……
ここで次回に続く。
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