左からエリア・カザン、マーロン・ブランド、ジュリー・ハリス、ジェームス・ディーン (『エデンの東』のセットにて) |
エリア・カザン自伝〈上〉 |
エリア・カザン自伝〈下〉 |
ディーンのヒーローはブランドだった。誰もがそれを知っていた。なぜなら、彼がマーロンのことを話すときには、聖堂のなかで何かをささやくように声をひそめるからだった。わたしはブランドに声をかけ、セットにきて、ヒーローとして崇拝される気分を味わってみないかと誘った。マーロンは本当にやってきて、非常に親切な態度でジミーに接した。ジミーは恐懼のあまり、すっかり萎縮し、恥ずかしさに身をよじるといったありさまだった。
…………
ジェームス・ディーンは撮影の合間にしょっちゅう股間を触るクセがあった。みんなそれを「英雄」マーロン・ブランドをリスペクトしてのことだと思っていたが、実は友人宅を止まり歩くうちに毛ジラミをうつされたのだった。『理由なき反抗』撮影時に監督のニコラス・レイが気づいて、薬局へ引きずっていったという話が残っている。
カザンはディーンとブランドを比較し、まったく似ても似つかない、としている。ブランドはその反社会的イメージとは逆に、ステラ・アドラーから演技指導を受け、あらゆる演技上のテクニック——メーキャップも含めて——に通じていた。
ディーンには、何もなかった。
『エデンの東』での父親役、レイモンド・マッセイはディーンの演技の稚拙さにいらだってばかりだった。「あいつが何をいったりしたりするのか、さっぱりわからん!」「ちゃんと書いてある通りに台詞を読むようにさせてくれ」
マッセイは、ディーンが甘やかされてすぐダメになってしまうだろう、と予想していた。
監督のエリア・カザンも若い頃、会社社長の父親が社内でこぼすのを耳にしていた。「あれは一人前の男にはなれん」「あれをどうしたものかな?」
そして、漱石の『それから』の主人公も、兄からこのように言い渡される。
…………
「御前は平生から能く分らない男だつた。夫(それ)でも、いつか分る時期が來るだらうと思つて今日迄交際(つきあ)つてゐた。然し今度と云ふ今度は、全く分らない人間だと、おれも諦めて仕舞つた。
…………
『エデンの東』も『それから』も、兄弟が登場する。
二つともに、世襲財産を持つ地元の名士の子である。
そして、兄は父親に忠実だが、弟のほうは今ひとつ評判が良くない。
そしてまた、どちらの弟もやや道から外れた恋愛をする。
そこに浮かび上がるのは、「父」という名の社会が引き継ぐべきだとする財産を、上手く受け止められない子どもの姿である。
『エデンの東』は当時、反抗的な若者たちによるポップ・カルチャーに回収され、ジェームス・ディーンはたちまち時代の寵児となり、二十四歳でポルシェを運転中に事故死して伝説となり、永遠の青春のシンボルとなった。
しかし今になって映画を観てみると、そこにあるのは「青春」などではなく、なんとかして父親にわかってもらおうとする若者の、ちょっと考えの足りない行動である。
それは、まったく「反抗」などではない。
ただ、どうすれば父親のお気に召すのか、よくわからないというだけだ。
それは『それから』の主人公にしても同じである。
ここに顕れているのは、「世襲」のほころびである。
すいません、まだ続きます。
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