2019年4月27日土曜日
2019年4月19日金曜日
2019年4月4日木曜日
2019年2月18日月曜日
子供たちを殺すものは誰か
やや過剰とも思える報道に触れて、思い出したのはドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟
2019年1月23日水曜日
2018年12月28日金曜日
2018年12月12日水曜日
ほんまでっか?ハイデッガー!【…の黒ノートはどのくらい黒いのか編】
えー、ちょっと前、ハイデガーについていろいろあれこれ書き連ねたんだけど、そこでは『黒ノート Schwarze Hefte』と呼ばれるものについてはあえて触れなかった。
理由は、やっぱ、まだちゃんと翻訳が出てなかったから。
| 現代思想 2018年2月臨時増刊号 総特集=ハイデガー ―黒ノート ・存在と時間・技術への問い― |
2018年11月24日土曜日
2018年10月2日火曜日
たまには読書の記録などを
ふと気づくと映画のことばかり書いているので、ちょっと最近読んだ本のことをメモしておこうと思う。
仕事(執筆)のために読んだものと漫画をのぞき、九月中に目を通した本を並べてみた。
仕事(執筆)のために読んだものと漫画をのぞき、九月中に目を通した本を並べてみた。
2018年9月21日金曜日
やってきたのは嵐の言葉♪俺たちのウソを見破るため♪【ららら科学の子の続きかもしれない編】
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| Researcher at the center of an epic fraud remains an enigma to those who exposed him |
2018年9月13日木曜日
なんでそんなにゾンビが愛されるのか
感想としては、「ゾンビがくるりと輪をかいた」というか、「子鹿のゾンビはかわいいな」というか、そんな感じでした。珍しく一家三人で観たんですが、家族で鑑賞するには最適の映画ですね。ぽん!(←せっかくなんでネタバレ)
2018年8月11日土曜日
2018年8月3日金曜日
子供を作るのってぜんぜん「生産」じゃないんだけどな
あまりの暑さに脳みそが茹で上がりそうな今日この頃、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
うだうだと日々を送るうちに、世間では「生産性」とやらが話題のようで。
LGBTについては以前触れたので、今回は「生産」について少々。
うだうだと日々を送るうちに、世間では「生産性」とやらが話題のようで。
LGBTについては以前触れたので、今回は「生産」について少々。
2018年7月11日水曜日
どうせわたしをだますなら?
| お年玉ぽち袋 |
初めてもらったお年玉ってどうしたか憶えていますか?
私は母親に「ママが預かっておいてあげるからね〜」と巻き上げられてしまいました。でもまあ、これはほとんどの人がそうでしょう。ちなみにウチの娘もそうですが、妻がちゃんと口座作って貯金してますな。うむ、えらいぞ。
お年玉に限らず、親ってのは子供にウソをつくもんです。というか、ウソをつかないと育ててらんない。ウソが家族を作るんですね。
「おー、よしよし」
良くないし。
「そんなとこでいじけてると、置いてっちゃうよ!」
置いてかないし。
「痛いの痛いの〜飛んでけ〜〜!」
飛んでかないし。
2018年7月10日火曜日
高学歴でもオウムにひっかかるのは全然不思議でもなんでもないということについて
オウム逃亡犯最後の一人が捕まりました。逮捕された写真を見てまず思ったのは、(あ、こいつ、なんか俺に似てる……)
昔、オウムが騒がしかった頃、新実智光を見てやっぱり(坊主だった頃の俺に似てる)と思ったものでした。大学時代、少林寺拳法部なんぞに入っていたので、学ランに坊主頭だったんです。
それから行きつけの飲み屋でも、よく「緊急対策本部長」なんて呼ばれました。上祐ですね。なんか「教祖顔」があるんなら、「信者顔」ってのもあるのかもしれません。誤認逮捕されなくて良かった。
2018年7月7日土曜日
オウム真理教の背景としての「日本」
| 尊師麻原は我が弟子にあらず― オウム・サリン事件の深層をえぐる |
とにかく、長年下駄箱の影でホコリをかぶってどす黒くしなびた幸福の木のように、オウム真理教の面々は「おかたづけ」されてしまった。
2018年6月16日土曜日
2018年6月15日金曜日
余は如何にしてスマホゾンビとなりし乎
世の中に大きな変革が起きた時、その変化が真に「大きい」かどうか測るには、その変化が起きる前の生活をリアルに思い出せるかどうか、でわかるのではないだろうか。
スマホがもたらした変革は、そうした意味でかなり「大きい」と言える。
実際、スマホというものがなかった頃、どのようにしていたのか、断片的には思い出せても、それはリアルな感触を持ったものとして立ち上がってこない。
自転車に乗れるようになった時、自分が以前どのようにして自転車に「乗れなかったか」、上手く思い出せないことに似ている。
スマホがもたらした変革は、そうした意味でかなり「大きい」と言える。
実際、スマホというものがなかった頃、どのようにしていたのか、断片的には思い出せても、それはリアルな感触を持ったものとして立ち上がってこない。
自転車に乗れるようになった時、自分が以前どのようにして自転車に「乗れなかったか」、上手く思い出せないことに似ている。
2018年6月1日金曜日
誰がなんと言おうと『菊と刀』は超絶的な名著であるということの続き
| The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture |
当時はネット環境なんかなかったので、タウンページで件の公的機関の住所と電話番号を調べた。
出かける前に、念のために確認した。
「とにかく先方に謝るってことでいいんですね?」
おじいさんは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「うるさい!!生意気なことをぬかすな!!!」
誰がなんと言おうと『菊と刀』は超絶的な名著であるということ
| 菊と刀―日本文化の型 (現代教養文庫 A 501) |
そのうち書こう、と思って書かないままになっている話がある。
あまり心地の良い話ではない。
おまけに、どう書いたらうまく人に伝えられるのかよくわからないし、実は今もわからないままだ。
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