2018年6月1日金曜日

誰がなんと言おうと『菊と刀』は超絶的な名著であるということ

菊と刀―日本文化の型 (現代教養文庫 A 501)


 そのうち書こう、と思って書かないままになっている話がある。
 あまり心地の良い話ではない。
 おまけに、どう書いたらうまく人に伝えられるのかよくわからないし、実は今もわからないままだ。

 それはまだ私が老舗の古書店で修行中だった頃のことで、その下で働いていた一人のおじいさんに関わることである。 
 おじいさんは、年齢を聞くと誰もが驚きの声を挙げるほど、年にそぐわぬ活力を持った人だった。
 仕事ぶりにもそれはよく現れていて、よく老人の美徳として語られる、老成だの枯淡だの謙虚だのとはまったく無縁であった。
 
菊と刀: 日本文化の型 (平凡社ライブラリー)
 おじいさんは大学の偉い先生が大好きで、偉い先生の言うことならなんでもきいたし、偉い先生は言わないことまで先回りして動いた。
 普段の業務の電話などは私の仕事であったが、大学の先生に電話するときだけは自分で率先してかけていた。それだけでなく、大学の先生が簡単な問い合わせを電話でしてきて、私が気を利かせたつもりで応えていると、すっ飛んできて受話器をひったくって自分で話した。しかも「うちの若造が生意気なことを申しまして」と謝罪付きである。店に出入りする大学の先生方に対して、私は簡単な発送手続きすらできない無能な若造、ということになっていた。やれやれ。
菊と刀 (光文社古典新訳文庫)
    ある日のこと。とある公的機関が解散するので、資料の引き取り手を探している、という話が舞い込んできた。「資料」とは呼んでいたが、廃棄するのが手間だという程度の内容のものである。
 面倒ばかりでまったく儲からないような話だったが、おじいさんはそれをとある大学の先生に買ってもらうことを思いつき、すっかりその件にはまり込んでしまった。
 私の方はといえば、通常の業務に専念して、その件についてはまったくノータッチだった。というか、おじいさんが一切私を関わらせないようにしていた。
 おじいさんは毎日のように公的機関側の担当者の元に足を運び、数時間は帰ってこなかった。時にそれは、閉店時間が過ぎることもあった。

菊と刀 (まんがで読破)

 話がだいたい煮詰まってきたある日、おじいさんは意気揚々と大学の先生に電話をした。
 時に笑い声を交えながら、これまでの経緯を話し、素晴らしく「良い」話をとくとくとして語った。
 だが次の瞬間、おじいさんは「え!?」と声をあげた。
 そして、急に深刻な調子で「はあ」「はあ」「そうですか」と応えて電話を切った。顔がすっかり青ざめていた。
「おかしい、おかしい」と独りごちて、店をパッと飛び出たかと思うと、30分とたたぬうちにまた舞い戻ってきて同じところへ電話をかけた。
「先ほどは、上手くお伝えできない部分があったようなので、もう一度お話を」云々と、なんとか話の糊代を探ったようだったが、結果は先ほどと同じだった。
 おじいさんは慌てた様子で手帳を繰ると、別な大学の先生にも何軒か電話をかけた。が、やはり同じことだった。
 
 おじいさんは少しの間ぼんやりしていたが、私の方をきっと振り向くと声を荒らげた。
「おい、きさま!何をしている!!さっさと行かんか!!」
 おじいさんは元軍曹で「満州を一万キロ歩いた」が自慢の人である。いきり立つと軍隊調で喚き出す。
「え、どこに行くんですか?」
 と私が問うと、「なんでそんなこともわからないんだ!」と叱責しつつ、おじいさんは件の公的機関の名を口にした。
 私は一切関わってないどころか、意識的に排除されていたので、どこにそれがあるかも知らなかった。
「早く行け!!ぐずぐずするな!!」

 意外と長くなったので、次回に続きます。



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