2018年8月11日土曜日

小津安二郎は本当にラーメンが好きだったか

    若い頃観たものを歳経てから観直すと新たな発見がある。
 それは別な色彩の感動という形をとって現れることもあるが、昔は気にならなかったものが今になってみるとどうも気になる、ということもある。親父になって了見が狭くなり、小姑のような嗅覚が身についた、というだけのことかもしれないが。

 先月、小津安二郎の映画を何本かまとめて観る機会があった。デジタル・リマスターとかで、昔のように映画に降りかかる「雨」を脳内フィルターで取り除く必要もなく、心地よい数時間を過ごすことができた。
 で、ことは「小津安二郎とラーメン」である。
秋刀魚の味』については、以前のエントリーで少し触れた。
 その他には『お茶漬の味』にラーメンを食べるシーンがあるし、『東京暮色』にも藤原釜足演じる気のいいラーメン屋の親父が登場する。
 そして、数多ある小津安二郎に関する本には、小津安二郎がグルメだったことが綴られ、そのグルメぶりを追った本も出版されている。
 そこでは、小津安二郎はラーメンのような庶民的なものも好んだし、中でもサンマーメンがお気に入りだった、とされている。『秋刀魚の味』のセリフで「チャーシューメン」の部分は、当初「サンマーメン」だったとのことだ。
 で、今になって気になったこと、というのはそんなようなことじゃない。
 引っかかったのは、小津映画に登場するラーメンの「食べ方」である。

 みなさんは、ラーメンをどのようにした食べるだろうか。
 だいたいの人は、麺をひと口ぶん箸でつまみあげると、箸にかかった分を口で受け止め、箸を外してずずっとすすると同時に麺が暴れないよう箸で抑え、そうしてたぐりながら最後まで口の中にすすりあげると、二、三度軽く咀嚼してから飲み込んでいる──のではないだろうか。そうして食べると、濃い汁の香りが鼻腔に満ち、呑み込んだとき長い麺がどさどさと胃に落ちて、舌だけでなく胃の腑でも心地良い感触が味わえる。
 ところが、小津映画に登場するラーメンの食べ方は違う。
 まず、箸で麺のかたまりをガシッと掴むと、丼メシをかっこむ要領でそれを口に押し込み、口からはみ出た部分は噛み切ってしまうのだ。なので、噛み切られた短い麺がぼたぼたと丼の中に落ちる。この、口に押し込む、噛み切る、ぼたぼた落ちる、が繰り返されるのだ。
 音にすると、通常の食べ方が「ずっ、ずずーっ、ちゅるん」だとすれば、小津映画は「ずばっ、ぶちっ、ぼたぼた」という感じである。
 最初役者の食べるときの癖なのかと思ったが、『秋刀魚の味』だけでなく『お茶漬けの味』でもそうしているし、『お茶漬け』では女優までそうして食べている。
 おまけにラーメンだけではなく、『早春』のうどんを食べるシーンでも、だいたいそういう食べ方になっている。
 とすると、これは監督である小津安二郎の指示によるとしか思えない。
 それとも、昔はみんなそうしてラーメンを食べていたのだろうか?
 それならそうしたものかとも思うが、通常のラーメンの食べ方は蕎麦の食べ方を踏襲したものだから、それほど昔と今で違ってくるとは思われない。
 では、小津映画で蕎麦はどう食しているかといえば、これがまったく登場しない。小津安二郎自身は蕎麦が大好きだったというが、自分の映画には出てこないのだ。
 もしかして、小津安二郎は蕎麦を「ずずーっ」とすすり上げる音が嫌いだったのではないだろうか。少なくとも、映画には載せたくない、と考えていたのではないか。
 小津安二郎がプライベートでどのように蕎麦をたぐっていたかは知らないが、音もなく「つつーっ」とすすり込んでいたりしたのかもしれない。
 
 とまあ、小津映画でちょっと引っかかったことを書き連ねてみた。
 別に小津映画が嫌いなわけではないが、小津安二郎を崇め奉っているわけでもないので、引っかかる部分は引っかかるということである。あと、ラーメン屋が必ず「ちゃんそば屋」と、今なら放送コードに引っかかりかねない呼称なのも引っかかるといえば引っかかる。
 今や、ちょっと美味いと評判の店があれば、とたんにぞろぞろ行列ができる御時世だが、小津安二郎が生きていたらどのように思ったことだろう。

 

 ちなみに、個人的に一番美味いと思っているのは、西荻窪駅前の「はつね」のタンメンである。
 西荻と縁が薄くなって、食べる機会が少なくなったのが残念だ。

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