映画『市民ケーン』に印象的なセリフがある。(以下当然ネタバレあり)
That's one of the greatest curses ever inflicted human race; Memory.
人類を悩ます最悪の呪いだよ、「記憶」ってのは。
権力の階段を駆け上りつつ反権力でもある、そんな矛盾を抱えつつ死んだ大富豪ケーンが、死ぬ間際に謎の一言を残して昇天した。
「バラのつぼみ rosebud」
それは結局取るに足らないものだったのだが、どんなに巨大な存在感を持った人間でも、その本質は取るに足らないガラクタでしかない、ということをこの映画は教えてくれる。
精神分析学者のジャック・ラカンは、人間が存在の核とするものは、まったくどうでもいい無価値で無意味で役立たずなガラクタである、とした。それは無意識の中に沈み、普段は忘れられているし、一生思い出されないままのことも多い。
ケーンもきっと、死ぬ間際まで思い出さなかったのだろう。
たとえ思い出したとしても、まったくどうでもいい無価値で無意味な「記憶」だと考えてはずだ。
このように人間の生涯は、「忘れたまま思い出せない」「思い出しても忘れてしまう」「忘れようとしても思い出せない」記憶によって、規定されている。
『市民ケーン』が半世紀以上にわたり、「批評家が選ぶ史上最高の映画」(英国映画協会が十年ごとに選ぶ)で一位の座にあったのは、当時斬新だった撮影技術でも、新聞王をモデルにした鋭い社会風刺によるでもなく、人間の「記憶」の真実について描いていたからだ。
だがしかし、この映画を選んだ人たちのほとんどは、その「真実」についてまったく無自覚であり、どうしても思い出せないものであったことだろう。それでも、図らずも露わになったという態の「存在の核を探す物語」の魅力からは、逃れ難かったというわけだ。なぜなら、高度資本主義社会を生きる人々は、「あらかじめ忘れ去られた存在であるにも関わらず、自らの忘却が禁じられている」からである。
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映画の中で、レプリカントの創造主ロジャー・タイレルは、自我に目覚めたレプリカントに「記憶」を与えれば落ち着く、と語る。この場合「記憶」とは、「偽造された思い出」である。
だが実際には、そんなものは何の足しにもならない。
逃亡するレプリカントたちは地球へと「何か」を求めて帰還し、写真を撮りため、自らの創造主に会おうと画策する。
レプリカントたちは「偽造された思い出」を与えられておらず、そこからくる不安定が彼らを過激な行動に走らせる、ように映画では描かれている。
しかし、本当に彼らを「安定」させようとするなら、必要なのは「存在の核」である。それは「忘れたまま思い出せない」「思い出しても忘れてしまう」「忘れようとしても思い出せない」ような、まったくどうでもいい無価値で無意味な役立たずのガラクタなのだ。
レプリカントは、非常に有能で優秀な生産性の高い「奴隷」である。「奴隷」には「存在の核」など必要ないし、むしろ有能で優秀で高い生産性を保つためには不要であると言える。
類似したことは高度資本主義社会を生きる現代人にも当てはまる。
有能で優秀で高い生産性を要求される現代人は、「忘れたまま思い出せない」「思い出しても忘れてしまう」「忘れようとしても思い出せない」ような、まったくどうでもいい無価値で無意味な役立たずのガラクタなど、排除の対象とされるからだ。
「あらかじめ忘れ去られた存在であるにも関わらず、自らの忘却が禁じられている」奴隷として、我々はブレードランナーよりもレプリカントの側に強く親しみを覚えてしまうのである。
最後に、逃亡レプリカントのリーダー、ロイ・バッティのつぶやきはウィリアム・ブレイクの詩から取っていという。
Fiery the angels fell. Deep thunder rolled around their shores. Burning with the fires of Orc.
これはブレイクの『アメリカ、予言としての America: A prophecy』
の一節、
Fiery the Angels rose, and as they rose deep thunder roll'd.
Around their shores. indignant burning with the fires of Orc;
のアレンジである。この詩は一七八〇年のゴードンの反乱にインスピレーションを得て書かれたそうだ。レプリカントがただの奴隷でなく、高度な知性を有していることを表している。
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そして、まったくの蛇足だが、「批評家が選ぶ史上最高の映画」は、現在『市民ケーン』ではなく小津安二郎の『東京物語』が一位になっている。これもまた、記憶と忘却の物語である。
【追記】
まさにブレードランナーの年に、レプリカントを演じたルトガー・ハウアーが亡くなったので、ここに銘記しておく。
The Rutger Hauer Starfish Association announces with infinite sadness that after a very short illness, on Friday, July 19, 2019, Rutger passed away peacefully at his Dutch home.
https://koshohirakiya.blogspot.com/2019/04/blog-post.html
合掌
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