2018年6月16日土曜日

「読書」が人を殺すことはあるか

    幼い頃、新幹線が大好きだった。そのスタイリッシュなデザイン、当時「世界一」とされたスピードを、子どもながら誇らしく感じていた。それは、日本の将来を、「豊かさ」を約束しているようでもあった。
 その新幹線で、無差別殺人事件が起きた。
 犯人は無職ではあるが、「読書家」であったという。

 しかし、テレビに映し出された犯人の書棚は、なんというか、印象として古本屋の百均の棚のようだった。乱雑で、しかも安っぽい。
 資格試験のテキストは当たり前として、その間に文学全集の一冊が挟まっているところなど、百均の味わいをいっそう増している。



 しかし、容疑者は『罪と罰』や『存在と時間』を読んでいた、ともいう。
 これは『罪と罰』を超訳し、二年にわたってハイデガーについてブログを書いた私も、いずれ北千住の高架下あたりで刃物を振り回したりする、ということなのだろうか。あそこ、昼間人おらんけど。


 だが、『罪と罰』をきちんと読んでいたなら、そうした犯罪に走ることなかっただろうし、『存在と時間』なんかは(一)しかないし。
 ここにあげられただけのラインナップをみても、男の知的背景がさっぱり立ち上がってこない。
 聖書の「創世記」をノートしていたようだが、ただ丸写ししていただけのようでもある。
 それでも塩野七生くらいは一応読んでいた、のかもしれないが。

 この「犯人=読書家」の報に接して、ふと曖昧なデジャヴにとらわれた。
 それが何なのかすぐわからなかったが、しばらくしてようやく思い至った。
 二〇一四年に、日本だけでなく海外のメディアも騒がせた、『アンネの日記 』連続破り取り事件である。図書館にある『アンネの日記』のページを、一人の男が破って回った、というものだ。
 この事件について、以前三回にわたってエントリーを書いている。

本を破るということは

   手前味噌になるが、ここから引用しつつ論を展げてみたい。
 この「アンネの日記連続破損事件」の犯人について、私は以前このように書いている。
………………
 さて、本を破ったのは顔も名前もわからない男だが、一つだけ確信を持って言えることがある。
 この男は本を読んでない、ということだ。
 もちろん『アンネの日記』も。

………………
 自分の文章を引用するのも妙な心地だが、同じ内容を繰り返すのも芸がないので、無精をきめこまさせていただく。
 実際、新幹線の事件の犯人も、『罪と罰』をきちんと読んでいたなら、バカな犯行には至らなかったはずだ。
 さらに、私はこう続けている。
………………
 読んでもいないのに、読んだつもりになっている。
 知りもしないのに、知ったつもりになっている。
 わかりもしないのに、わかったつもりになっている。
 人がこうして背伸びをするとき、おおよその場合、「怒り」を踏み台にする。
 全世界と対峙してそこに「怒り」をぶつけるとき、すべてを凌駕した「超人」となれるような気がするからだ。

………………
 その「怒り」はどこからくるのか。
 それは貧しさからくる、と言ってもただお金が足らないとか、そういう話ではない。
………………
 世界からの拒絶、社会からの隔絶がその根本にある。
………………
  そうした場合、世界へと向けられる「怒り」は、即ち世界の「豊かさ」へと向けられる。
「豊かさ」というのは金銭ばかりじゃない。資本主義的価値観が隅々まで行き渡った現代において、金銭の豊かさをうらやむのはおおっぴらにはしづらくなっている。
 なので、それ以外の豊かさ、知識が「豊か」である、人生経験が「豊か」である、精神が「豊か」である、などなどの事柄が、「怒り」の対象とされてしまう。
 それは具体的に、インテリゲンチャ(知識が豊か)、老人(人生経験が豊か)などである。
 そしてさらに、その矛先は弱者へと向けられる。
 弱者が「豊か」だと言うわけではない。
 弱者を守ろうとする考えが「豊か」だからだ。それは精神が「豊か」だということでもある。
「怒り」を抱く人たちが弱者をその標的とするとき、本当のターゲットはそれらを守ろうとする者の「豊かさ」なのだ。
………………
 新幹線で殺された男性は、女性二人を守ろうとして殺害されたという。
 女性という弱者を守る「豊か」な行動は、貧しい男の殺意を一層煽ったことだろう。
 それから、嫌味なことを正直に書いてしまう私は、こんな予言も残している。
………………
こういうのって、ことあるごとに蒸し返されたりするんだよ。
………………
 犯行の背景となった状況が、改善されることなくさらに悪化しているのだから、犯罪もより深刻なものとなる。
………………
世界が酷薄さを増し、千尋の谷に突き落とされてなお這い上がる者のみを愛するなら、やがて谷底から亡霊が這い上がってくる、ということだ。
………………
 犯人を批判することはたやすい。
 しかし、その犯行の背景として透けて見える、「貧しさへの不寛容」に対し、もう少し目を向けてみても良いのではないだろうか。
 日本は豊かになるにつれ、貧しさに対して不寛容となり、豊かさを失うにつれ、その不寛容によって己の首を絞めている。
 犯人が「新幹線」という、かつて「豊か」な夢を背負った乗り物を犯行現場に選んだことは、偶然のようには思われないのだ。 

 

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