その新幹線で、無差別殺人事件が起きた。
犯人は無職ではあるが、「読書家」であったという。
しかし、テレビに映し出された犯人の書棚は、なんというか、印象として古本屋の百均の棚のようだった。乱雑で、しかも安っぽい。
資格試験のテキストは当たり前として、その間に文学全集の一冊が挟まっているところなど、百均の味わいをいっそう増している。
しかし、容疑者は『罪と罰』や『存在と時間』を読んでいた、ともいう。
これは『罪と罰』を超訳し、二年にわたってハイデガーについてブログを書いた私も、いずれ北千住の高架下あたりで刃物を振り回したりする、ということなのだろうか。あそこ、昼間人おらんけど。
だが、『罪と罰』をきちんと読んでいたなら、そうした犯罪に走ることなかっただろうし、『存在と時間』なんかは(一)しかないし。
ここにあげられただけのラインナップをみても、男の知的背景がさっぱり立ち上がってこない。
聖書の「創世記」をノートしていたようだが、ただ丸写ししていただけのようでもある。
それでも塩野七生くらいは一応読んでいた、のかもしれないが。
この「犯人=読書家」の報に接して、ふと曖昧なデジャヴにとらわれた。
それが何なのかすぐわからなかったが、しばらくしてようやく思い至った。
二〇一四年に、日本だけでなく海外のメディアも騒がせた、『アンネの日記 』連続破り取り事件である。図書館にある『アンネの日記』のページを、一人の男が破って回った、というものだ。
この事件について、以前三回にわたってエントリーを書いている。
本を破るということは
手前味噌になるが、ここから引用しつつ論を展げてみたい。この「アンネの日記連続破損事件」の犯人について、私は以前このように書いている。
………………
さて、本を破ったのは顔も名前もわからない男だが、一つだけ確信を持って言えることがある。
この男は本を読んでない、ということだ。
もちろん『アンネの日記』も。
………………
自分の文章を引用するのも妙な心地だが、同じ内容を繰り返すのも芸がないので、無精をきめこまさせていただく。
実際、新幹線の事件の犯人も、『罪と罰』をきちんと読んでいたなら、バカな犯行には至らなかったはずだ。
さらに、私はこう続けている。
………………
読んでもいないのに、読んだつもりになっている。
知りもしないのに、知ったつもりになっている。
わかりもしないのに、わかったつもりになっている。
人がこうして背伸びをするとき、おおよその場合、「怒り」を踏み台にする。
全世界と対峙してそこに「怒り」をぶつけるとき、すべてを凌駕した「超人」となれるような気がするからだ。
………………
その「怒り」はどこからくるのか。
それは貧しさからくる、と言ってもただお金が足らないとか、そういう話ではない。
………………
世界からの拒絶、社会からの隔絶がその根本にある。
………………
そうした場合、世界へと向けられる「怒り」は、即ち世界の「豊かさ」へと向けられる。
「豊かさ」というのは金銭ばかりじゃない。資本主義的価値観が隅々まで行き渡った現代において、金銭の豊かさをうらやむのはおおっぴらにはしづらくなっている。
なので、それ以外の豊かさ、知識が「豊か」である、人生経験が「豊か」である、精神が「豊か」である、などなどの事柄が、「怒り」の対象とされてしまう。
それは具体的に、インテリゲンチャ(知識が豊か)、老人(人生経験が豊か)などである。
そしてさらに、その矛先は弱者へと向けられる。
弱者が「豊か」だと言うわけではない。
弱者を守ろうとする考えが「豊か」だからだ。それは精神が「豊か」だということでもある。
「怒り」を抱く人たちが弱者をその標的とするとき、本当のターゲットはそれらを守ろうとする者の「豊かさ」なのだ。
………………
新幹線で殺された男性は、女性二人を守ろうとして殺害されたという。
女性という弱者を守る「豊か」な行動は、貧しい男の殺意を一層煽ったことだろう。
それから、嫌味なことを正直に書いてしまう私は、こんな予言も残している。
………………
こういうのって、ことあるごとに蒸し返されたりするんだよ。
………………
犯行の背景となった状況が、改善されることなくさらに悪化しているのだから、犯罪もより深刻なものとなる。
………………
世界が酷薄さを増し、千尋の谷に突き落とされてなお這い上がる者のみを愛するなら、やがて谷底から亡霊が這い上がってくる、ということだ。
………………
犯人を批判することはたやすい。
しかし、その犯行の背景として透けて見える、「貧しさへの不寛容」に対し、もう少し目を向けてみても良いのではないだろうか。
日本は豊かになるにつれ、貧しさに対して不寛容となり、豊かさを失うにつれ、その不寛容によって己の首を絞めている。
犯人が「新幹線」という、かつて「豊か」な夢を背負った乗り物を犯行現場に選んだことは、偶然のようには思われないのだ。
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