中央最上段に梅原猛 |
九三歳という高齢であり、この人の著作についてあまり熱心な読者ではなかったこともあり、「惜しい人を亡くした」とかいう類の感慨はない。
でもちょっと書いておきたくなったのは、「哲学者」というもののあり方について、考えさせられるところがあったからだ。
そう、梅原猛は「哲学者」なのだ。一応。
と、ここで話を変えて、ハイデガーについて述べておきたい。
ハイデガーは自らの哲学の根源をギリシア哲学に置き、ギリシア語で思考して、ギリシアの先達の仕事を解釈している。だいたい『存在と時間』だって、ギリシア語から始まるし。
ハイデガーは自著において、何度も何度もギリシア語の文章を「翻訳」している。
だが、その「翻訳」について、どうもあまり評判がよろしくない。
このエントリーでもちょっと触れたけど、有名な「偉大なるものは全て、嵐の中に立つ…Alles Große steht im Sturm…」てのがすでに、出回った当初から「おかしい」と言われていたのだ。
去年の九月に「ハイデガー・フォーラム」というところを覗いて、いくつか研究発表を聞いたのだが、最後に登壇した京大の中畑正志という方がおっしゃるには、ハイデガーのギリシア哲学の翻訳は古典学者に全く受け容れられていないどころか、話題にのぼることすらない、という。
さて、ここで梅原猛に話を戻すと、訃報の中で取り上げられる主著は、『隠された十字架』や『神々の流竄』だろう。内容は、哲学というより古代史や仏教である。
では、これらの仕事が、古代史なり仏教研究なりの学会において業績として認められたか、といえばさにあらず。
ほとんど相手にされてないし、ひどい時はトンデモ扱いである。
そして、梅原猛は学者として非常に「政治力」のある人だった。
日文研の図書室 |
中曽根康弘のブレーンとなり、日文研(国際日本文化研究センター) を創立し、ものつくり大学とやらの初代学長にも就任している。晩年は、冒頭に貼った写真の通り、「九条の会」の呼びかけ人になったが。
ハイデガーはナチス政権下でフライブルク大学学長になった。
二人とも、右寄りの政権に親和性を有している。
なんでこんなことが起きるのだろう?
梅原猛はハイデガーに批判的だったそうだが、その思考の持つ「属性」は類似していると言える。
このように思考の「あり方」が相似することについて、個々人の人格の特殊性ではなく、その思考そのものになんらかの原因を求めなくてはならないだろう。
とはいえ、最初に断った通り、私は梅原猛の熱心な読者ではないため、問題を提起したところで残りは宿題、となってしまうのである。
一応目の届く範囲では、こうしたことを誰一人指摘していないようなので、ここにメモってみた。
とっぺんぱらりんのぷう。
梅原猛の授業 仏教と道徳 |
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