2018年6月1日金曜日

誰がなんと言おうと『菊と刀』は超絶的な名著であるということの続き

The Chrysanthemum and the Sword: Patterns of Japanese Culture
 前回からの続き

 当時はネット環境なんかなかったので、タウンページで件の公的機関の住所と電話番号を調べた。
 出かける前に、念のために確認した。
「とにかく先方に謝るってことでいいんですね?」
 おじいさんは顔を真っ赤にして怒鳴った。
「うるさい!!生意気なことをぬかすな!!!」

The Chrysanthemum and the Sword

 で、件の公的機関に到着し、積み上がった問題の資料の脇で頭を下げた。しかし当然のことながら、細かい事情もわからない初対面の「ガキの使い」が謝っても、余計にこじれるだけだった。
 先方は「なんで責任者が来ないんだ。お前はいいから責任者連れてこい!」とおかんむりになった。
 その時初めて知ったのだが、どうやらおじいさんは大した内容でもない資料の山に、大学の予算からけっこうな金額が支払われる、と勝手に約束していたようだった。それは店の運転資金をはたいても、半分に届かないような金額だった。
 なんとかその場を収めて店に帰ると、どうやら先方から電話がかかってきたらしく、おじいさんは電話に向かってペコペコ謝っていた。
 しばらくして電話が終ると、おじいさんはこちらをギロリと睨んで口を開いた。
「君は、良くないね」
 その様子からは、本来ならば怒鳴りつけてやらなければならないが、この若造は何もわかってないようだから、ここはこちらが大人になって言って聞かせてやらねばなるまい、という風情が見て取れた。
「何が悪いか、わかってないだろう」
 わかりますか?みなさん。
 おじいさんの答えはこうだった。
「ああいう時は、君が率先して言われる前に謝りに行かなくちゃダメだ。相手がこちらに怒ってくるようじゃ失格だな」
 その後に続くおじいさんの言い分は、概略以下のようなものだった。
 とにかく、人の下で働いてる人間は、手柄は全部上の人間に差し上げるようにし、上の人間がしくじったら率先して自分が泥をかぶり、自分が全部の責任を負って、絶対に上の人間に傷がつかないようにするべきだ、と。
 ここまでは何とか、納得しないまでも言いたいことを理解することはできた。
 だが、次の一言がまったく理解不能だった。
定訳菊と刀―日本文化の型

 同じ言葉を喋っていても話が通じない、ということがある。それは、お互いの思考の「背景」がまったく別なものの時に起こる。
 相手の性格からその発言がなされているのではなく、その社会の多くの人間が共有していた「背景」が異なる場合、ほとんど会話ができなくなる。
 その時おじいさんは、まるで判決を言い渡すようにして、こんなセリフを口にした。
「君はこれまでの恩を返さなきゃいかんからな」
 恩?
 私はおじいさんから恩に着るような何かを施されたことは、一切なかった。働いている店舗は支店であり、おじいさんは支店長で私はその部下というだけのことだった。おじいさんも私も被雇用者で、給料は本店から支払われていた。
 罠にかかった獣が逃してもらったような、そんなことなどもまったくありえなかった。むしろ私の方が、おじいさんのミスをちょくちょくフォローしていた。
 仕事の内容も、基本は本店の先輩に教わり、あとは自分で学習していた。おじいさんは何一つ教えようとしなかったし、たまにこちらが質問しても「そんなこともわからないようじゃダメだね」と鼻で笑うだけで、それ以上のことは何もしなかった。
 しかしおじいさんの言い分では、私がおじいさんの下で働いているというだけで、人間としてのあれやこれやを全部投げ捨てて返すほどの「恩」が生じるようだった。
 私にはまったくわからなかった。
 みなさんはわかりますか?
菊與刀-日本文化的類型(中国語) (日本叢書)
    ルース・ベネディクトは『菊と刀』において、日本人のいう「恩」についてこのように解説する。
………………
恩とは──その用法を逐一調べると分かることだが──肩の荷、すなわち返すべき借りである。要するに、全力で果たすべき責任のことなのである。恩を施す立場にあるのは、目上の人である。
………………
 母親に対して深い愛情を抱いている息子は、「母から受けた恩は忘れない」という言い方をしてもおかしくない。………母親はこのように存在してくれているだけでもありがたい。恩は、このように世話になったことに対する返礼を暗に示している。
………………
 人はまた、先生や雇い主にも特別な恩を負っている。彼らは、世間を渡れるように世話をしてくれた恩人である。そうである以上、先方がいつか将来、何らかの事情で困って頼みごとをしてきた場合はその期待に応えなければならない。
………………
 実のところ、この件だけでなく、おじいさんの言動や行動は意味不明なことが多かった。しかしそれは、おじいさんにとって常識以前の当たり前のことのようだった。
 私はふと思いついて『菊と刀』を読み、やっとおじいさんがどのような基準で行動しているのか、理解することができた。
菊と刀 (光文社古典新訳文庫)

菊と刀について批判する人は多い。
 確かにルース・ベネディクトは日本に来たこともなければ、日本社会に触れたこともない。
 しかし、文化人類学者としての分析は、かなり正確である。
 現在の日本人には当てはまらなくとも、戦前の日本人は確かにここに分析された通りだということを、おじいさんを通して知ることができた。
 さらにこの本は、文化相対主義にのっとり、日本人を蔑むような記述はほとんどない。
 これはもう、「名著」と呼ぶしかないだろう。
 昔のままの日本人であるおじいさんの元で働いたおかげで、戦前の日本がどのような社会であり、さらには軍隊というところがそれを濃縮した空気に満ちていたことを、肌で実感することができた。
 そして、『菊と刀』が掛け値なしの名著であることもまた、確信することができたのである。
 こうしたことについて、私はもしかするとおじいさんから「恩」を受けたのかもしれない。しかし、もう亡くなって30年近くなるし、戦後の日本人である私は、さっぱりそんな気持ちになれないのだ。



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