Friedrich Adler - Albert Einstein. Physik und Revolution: Briefwechsel, Dokumente, Stellungnahmen |
しかし、当時アインシュタインの業績はまだまだ知られるところではなく、本来このポストはフリードリヒ・アドラー(念のため断っておくと、精神分析学者ではない)に与えられるはずだった。
アドラーは、自分とアインシュタインが候補になっているのを知ると、選考委員にこう進言した。
…………
もしわれわれの大学にアインシュタインのような人物を迎えることが可能なのだとしたら、私を指名するなどナンセンスです。
…………
アドラーはアインシュタインとかつて同じ教室で物理学を学んでおり、また同じ頃に学生結婚していた。
アドラーは優秀な物理学者であり、熱心なマッハ主義者でもあった。
認識の分析 (叢書・ウニベルシタス) |
初めて大学にポストを得たアインシュタインは、アドラーと夫婦二組でしばらく同じ家に住んでいた。
しかし二年後の一九一一年、アドラーはチューリヒを去る。
ウィーンで社会民主党の書記になったからだ。
アドラーは、当時チューリヒでレーニンやトロツキーとも付き合っており、物理学よりもマルクシズムに強く引き寄せられていた。
Karl Graf von Stürgkh |
やがて、第一次世界大戦が始まった。
そのただ中の一九一六年十月二一日、オーストリア首相カール・シュテルク伯爵が、レストランで食事中にテロに遭遇した。
犯人は「専制をなくせ!平和を!」と叫んで混雑するレストランに乱入し、首相に銃弾を撃ち込んでその生命を奪った。
撃ったのは、フリードリヒ・アドラーであった。
アインシュタインはこの旧友を弁護するため、裁判に人物証人として喚問されることを申し出たが、それは却下された。
アインシュタインの伝記などであまり詳しく触れられていないようなので、ここにメモしておく。
マッハとニーチェ 世紀転換期思想史 (講談社学術文庫) |
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