食を満たせ― バビロフとルィセンコの 遺伝学論争と植物遺伝資源 |
どういうものかというと、「寒いとこにずっとタネをさらしとくと寒さに強い品種になる!」という、大変な苦労を重ねて品種改良されている方からしたら「なめとんか」と言いたくなるような話だ。つまりは「獲得形質は遺伝する」というわけで、メンデルもダーウィンも知ったことかな学説である。こんなのが本当だったら、両親がすっごい勉強するとその子供は生まれながらに頭がいいわけで、個人的な経験則からして「んなわけねー」とすぐにわかるような代物だ。
がしかし、旧ソ連においては、ずっと長い間、これこそが「科学的な」真実だとされてきた。
そしてそれは「ヤロヴィ農法」という、お手軽品種改良農法を生み出して、世界各所で迷惑をかけた。日本でも下伊那でもってミチューリン運動が展開されて、「誰でも簡単手間いらず」「お金も全然かかりません」みたいに喧伝された。ええ、そんな夢みたいなことは全くなかったわけだけど、やってる方は騙すつもりだったわけでもなかったので、余計に後味の悪いことになった。
日本のルィセンコ論争 (みすずライブラリー) |
例えば、ウィキペディアの「ルイセンコ論争」
なんか、
↑「努力すれば必ず報われる」というのは、まるで共産主義にのみ都合がいいかのように書かれている。
あれ?「努力した人が報われる社会を!」とか、日本でもどっかの政党が言ってなかったっけ?もしかして、日本の自民党って、共産主義だったの?
「努力すれば必ず報われる」という言い草は、報われない人に「お前は努力が足らないんだ」と言えるわけで、共産主義ならずとも世界中の権力者にとって都合のいい「イデオロギー」だというのは、ちょっと考える頭があれば分かることだ。
こういう正直じいさんがポチを連れてるような否定しがたい価値観てのは、よく「ハングリー精神」だの「貧しい中から立身出世した」だの、そうした美しい物語に仕立て上げられる。
そして、「貧困」の問題を社会構造の観点からではなく、個人の問題にすり替えてしまう。
さらには、そうした「貧困」が社会に存在することによって、「貧困」の中から生まれてくるものによって社会が進歩する、というような幻想を振りまき出す。
こうした人たち(多くが政治家とか評論家なんだけど)は、自分たちのことを「リアリスト」だと思っている。ルイセンコ学説の支持者たちが自分の考えを「科学的だ」と信じていたのと同じように。
悪名高き優生学説でもってナチスと親和した「社会ダーウィニズム」のひそみにならうなら、こっちの「リアリスト」(まあ、大体が新自由主義ってやつを信じてる)どもは、「社会ルイセンコ主義」とでも呼んでやりたいように思う。
かくして、格差を肯定する新自由主義な人たちは、「努力」にまつわる美しい物語をばらまくことで、「貧乏な人間は助けたりしない方が、社会を進歩させるのだ」という「社会ルイセンコ主義」によって社会を崩壊に導くのだった。
結論としては、少年ジャンプが日本のイデオロギーを形成した!……ということになるのかな?どうだろう。連載終了! 少年ジャンプ黄金期の舞台裏 |
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