再び『金を物に換へる時代が來た 何に換へたら良いか』から引用しよう。
…………
「だからインフレーションなんてものは所謂好景気なんてものじゃない。価格の騰貴に乗じて金持ち連中が富を奪い合う形さ。そこを良く理解して、金持ちでなくっても金をうんと借りて、金持ちみたいに振る舞うことがインフレ景気をもっともよく利用することになるのさ」
…………
いやまったくおっしゃる通り。ところがこういうざっくりしたことって、全然誰も言わないんだよね。とにかくデフレ=悪の図式で、デフレさえ何とかすればそれでいい、みたいなことになっている。
リベラルと言われるノーベル賞の学者先生がリフレに賛成してしまうのもそれで、とにかくデフレというか「流動性の罠」でもって金の流れが止まってる状態では、少々悪い影響があっても金融緩和でもって金を流してやらなきゃならん、とおっしゃる。それに続けて、その金が広く行き渡るように、政府が財政出動して福祉を充実させ、貧困を援助するようにしてやらなくちゃならない。前半だけやると、格差が拡大するばっかで学者先生たちの思惑とは逆になってしまうからね。
でも以前似たようなことをやったらスタグフレーションになっちゃって、その時に「ケインズ主義は死んだ」とか「マクロ経済学終了」とか、新自由主義のフリードマンとゆかいな仲間たちから散々に揶揄された。で、その時の反省をもとにしてできた新ケインズ主義によって、バージョンアップされた学説をもとにして、アベノミクスを始めたんだよー、とバグだらけのOSで見切り発車したパソコンメーカーみたいなことを言ってこの現状があるわけだ。
とにかく消費税増税と福祉削減がその目標としてあるなら、アベノミクスは全然リフレじゃない。
ちょっと整理しよう。
本来のリフレは経済を拡大するために金融緩和する。
ノーベル賞の学者先生がほめたたえたのは、てっきりこっちをやると思ったからで、一応釘は刺したようではあったけど先生方は広告塔みたいに扱われてしまった。うっかりインタビューを受けたらマルチ商法の宣伝に利用された経済評論家みたいなもんだね。(クルーグマンがツイッターでやりとりをバラしたのは、また広告塔にされちゃかなわんと思ったからだろう)
アベノミクスは財政を緊縮するために金融緩和した。
おまけに緩和の効果が出てくる前に緊縮(増税)したもんだから、インフレにすらならず、無理やり介入した株もドル円も元の黙阿弥になりつつある。
そのくせ、格差拡大の効果だけはしっかり上がっている。
まるっきりリフレじゃないね。リフレもどき。
で、また高橋是清に戻るけど、是清はきっちり効果が上がるまで緩和したので、がっちりインフレになった。
格差はガンガン拡大して、実質賃金はズルズル下がったけど、「失業率は改善してる!」と弁解した。同じこと今も言ってるよね。
一応、インフレになると失業率は改善するもので、ドイツのハイパーインフレの時だって「帰還兵の再就職がはかどるので良い」なんて意見もあったくらいだ。
そんなこんなで、是清がリフレを始めたのが昭和六年で、その五年後に内閣不信任が決議されて総選挙があった。
その選挙で何が起こったかというと、無産党の大躍進。
当時すでに共産党は大量摘発などで力を失ってたんだけど、代わりに無産党や社会大衆党が大量に得票した。
当時の日本の新聞はまるっきり政府の味方で、政治家にインタビューひとつするのでも、「お忙しい中特別に貴重なお話を聞かせていただいた」みたいな調子だったのにこのありさま。
逆に右派の政友会(野党だった)はボロカスに負けて、総裁の鈴木喜三郎まで落選した。この時、同じ選挙区から片山哲(戦後すぐに社会党から総理になった人)が当選している。
右翼に対してもインフレ景気(リフレ)に対しても、庶民は「ノー」と言ったわけだ。
ところが選挙の五日後、二・二六事件が起きる。
このクーデター騒動のおかげで、選挙であらわになった「民意」はパーになり、軍隊はどんどこどんどん発言力を増すことになった。ついでに高橋是清も殺された。ちょっと整理しよう。
本来のリフレは経済を拡大するために金融緩和する。
ノーベル賞の学者先生がほめたたえたのは、てっきりこっちをやると思ったからで、一応釘は刺したようではあったけど先生方は広告塔みたいに扱われてしまった。うっかりインタビューを受けたらマルチ商法の宣伝に利用された経済評論家みたいなもんだね。(クルーグマンがツイッターでやりとりをバラしたのは、また広告塔にされちゃかなわんと思ったからだろう)
アベノミクスは財政を緊縮するために金融緩和した。
おまけに緩和の効果が出てくる前に緊縮(増税)したもんだから、インフレにすらならず、無理やり介入した株もドル円も元の黙阿弥になりつつある。
そのくせ、格差拡大の効果だけはしっかり上がっている。
まるっきりリフレじゃないね。リフレもどき。
で、また高橋是清に戻るけど、是清はきっちり効果が上がるまで緩和したので、がっちりインフレになった。
格差はガンガン拡大して、実質賃金はズルズル下がったけど、「失業率は改善してる!」と弁解した。同じこと今も言ってるよね。
一応、インフレになると失業率は改善するもので、ドイツのハイパーインフレの時だって「帰還兵の再就職がはかどるので良い」なんて意見もあったくらいだ。
そんなこんなで、是清がリフレを始めたのが昭和六年で、その五年後に内閣不信任が決議されて総選挙があった。
誇り高き宰相・ 第四十六代総理大臣 父・片山哲を語る |
当時すでに共産党は大量摘発などで力を失ってたんだけど、代わりに無産党や社会大衆党が大量に得票した。
当時の日本の新聞はまるっきり政府の味方で、政治家にインタビューひとつするのでも、「お忙しい中特別に貴重なお話を聞かせていただいた」みたいな調子だったのにこのありさま。
逆に右派の政友会(野党だった)はボロカスに負けて、総裁の鈴木喜三郎まで落選した。この時、同じ選挙区から片山哲(戦後すぐに社会党から総理になった人)が当選している。
右翼に対してもインフレ景気(リフレ)に対しても、庶民は「ノー」と言ったわけだ。
ところが選挙の五日後、二・二六事件が起きる。
アベノミクスが始まってから四年くらいだっけ、今。
歴史が繰り返されないことを願いたいね。たとえ喜劇的であっても。
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