2015年2月22日日曜日

【イギリスのヒツジさんたちと資本主義編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

アダムが耕し、イヴが紡いだ時、誰が貴族だったか?
When Adam delved and Eve span, Who was then a gentleman?
 上記はワット・タイラーの乱(1381年)を指導したジョン・ボールのアジテーションとして知られている。日本でも平民社堺利彦なんかが引用していたと思う。
 ジョン・ボールは神父だったけど、アダムって農民だったのかなあ。カインとアベルの故事からして、神は牧畜こそを言祝いでいたように思えるんだが。まあ、それはそれとして、このセリフってのはやはり、当時のイギリス農民を煽動するためのものであって、彼らが感情移入しやすいように作られたものなのだろう。つまり十四世紀後半のイギリス農民は、夫が畑を耕し、妻はせっせと「羊毛」をつむいでいたことがここから透けて見える。
 この乱の背景には百年戦争(1337〜1453年)があることはよく知られている。戦費をひねり出すための人頭税などの増税が直接のきっかけなのだが、そのまた背景にエドワード三世の羊毛禁輸があったことは、あまり語られることがない。
 

2015年2月20日金曜日

【フランダースの犬からフランドルのヒツジさんたちと資本主義編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

『フランダースの犬』といえば、幼い心にトラウマを残す定番の物語だ。世界名作劇場のアニメで知っている人も多いだろう。左に掲げたのはよく知られているのではなく、ほとんど忘れられた別バージョンだが。
    なぜ『フランダースの犬』がショックかと言うと、純粋で正直で美少年で(そういう設定なのだ)絵の才能があっても、貧乏にはかなわない、という現実をまざまざと見せつけてくれるからだ。みんなビンボが悪いんや、は絶対普遍の真理なのである。

2015年2月15日日曜日

【やっぱり出てきた読まずに批判する人たち編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 今、一応ピケティブームとやらで、小さな街角の本屋ですら『21世紀の資本』が平積みになっててびっくりする。定価で六千円以上する本が一三万部とか、いやあ、日本もまだまだ捨てたもんじゃないね。よかったね、みすず書房。皮肉じゃなく、心からそう思う。

2015年2月12日木曜日

【アリストテレスもプラトンも格差で悩んでた編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

タレス
    数日前のエントリーでふれたオリーブの葉っぱで出来た冠は、今もまだ家にあって、時々ネコが中に座っている。
「オリーブ」といえば、歴史に残る最初の「投資」に関わる作物だ。
 昔々その昔、古代ギリシャにとある哲学者がいた。哲学者ってのはだいたい貧乏なものだが、その哲学者はとびきり貧乏だった。
 そのことについて、口さがないものが「哲学なんて何の役にも立たない。やつを見ろ、賢人などと呼ばれてもずっと貧乏のままじゃないか」と陰口をたたいた。
 それを伝え聞いた哲学者は、その年の冬に金をはたいてオリーブ搾油器の使用権を買い占めた。すると夏にはオリーブが大豊作になり、搾油器の使用権を握っていた哲学者は大儲けしたのだった……

2015年2月9日月曜日

【ローマは滅ぶことなく腐って落ちた編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 その昔、というか、今でも似たようなことはどっかで続いてんだろうけど、奴隷というものはとっても便利な「商品」だった。
 なんたって、こいつがあればとんでもなく楽が出来る。「ご家庭に一人、奴隷をどうぞ!」てなもんだ。
 それだけに、その「相場」の上がり下がりは、国家の社会状況を変えるほどの影響があった。

2015年2月8日日曜日

【どっこいローマは滅ばなかった編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

娯楽と癒しからみた
古代ローマ繁栄史
―パンとサーカスの時代
「パンとサーカス」といえばローマの繁栄の象徴というか、ローマ人って毎日遊んで暮らせたんだね、みたいな印象で語られることが多い。
 でもこれって、土地を失った小農家の連中がぶらぶらしてて、あぶなかしくってしゃーないんもんだから、大人しくさせるためにやってたようなもんなんだよね。
 こういう「土地からあぶれてぶらぶらしてる連中」てのを「プロレタリア」と呼ぶ。

2015年2月7日土曜日

【それなのにローマは滅ばなかった編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 今、家にオリーブの葉っぱでできた月桂冠がある。月桂樹でできてはいないけど。それを頭に載せると、ローマ人みたく何やら一発演説でもかましてみたくなる。
「それにつけても、カルタゴは滅ぶべきである!」Carthago delenda est!
大カトーが演説するたんびに、その内容に関わらずくっつけていた「下の句」だ。「イチジクって とっても甘くて美味しいね それにつけてもカルタゴ滅べ」てなもんである。
 そして、三度に渡るポエニ戦争の末、カルタゴは滅んだ。あまりに徹底的に滅ぼされたもんだから、今じゃカルタゴがどんな国だったのかすら、よくわかんなくなってるくらい。
 燃え盛るカルタゴの街を眺めながら、小スキピオはつぶやいた。
「いつかローマもこうなるだろう」

2015年2月2日月曜日

「あたくしは幸せでした。なぜかってぇと、不器用でしたから」と語った八代目桂文楽が不器用に世を去った事と次第

「あたくしは幸せでした。なぜかってぇと、不器用でしたから」
 そう語った八代目桂文楽は、当時古今亭志ん生と人気を分け合い、名人の呼び名を恣にしていた。
 どういったところが「不器用」で、それが「幸せ」に繋がったかというと、常に話を完璧に語る事を目指して精進を重ね、それが大衆に受け容れられて人気を呼んだ、ということだろう。
 つまりは、志ん生とは正反対の芸風だったのだ。
 亡くなったのは昭和四六年だから、私はまだ小学生だ。落語と言えば「笑点」くらいしか知らなかった。
 しかし後に、その死に至るいきさつを知り、心に残るところがあったので、ここに記してみようと思う。

2015年2月1日日曜日

本を焚くものは、いずれその炎で己自身をも焚くであろう(トーマス・マン)


イスラム国は図書館の本を焼いた【焚書】

 なんか盛大にやらかしてくれたようだ。
 この連中は欧米のキリスト教徒が胸に抱いているチープなムスリム像を、現実にデフォルメして描き出すことにばかり熱心なようだ。
 多くのムスリムが「そんなのは本当のムスリムではない」と言っても、その発言にしょんべんかけるようなことを次々とやらかす。
 そこに現れるのは、「かつて巨大な帝国を維持したムスリム」ではなく、西欧人の心の中で何百年にも渡ってデフォルメされてきた、チープなムスリムのイメージ、暴力的で嘘つきで淫猥で野蛮で知性が無いという、クレヨンで描きなぐられた悪役像の具現化でしかない。
 で、今回は図書館の本を焚いてくれたとか。おまけに

>これらの本は不信心で、アラーに背いている。だから焼くのだ」

 だとか。

2015年1月31日土曜日

「無」のダンスもしくは勅使川原三郎の『平均律、バッハよりⅡ』

    昨晩は踊る勅使川原三郎を見ることが出来た。
 やはり、昔とは違っている。衰えているということはもちろん無く、成長しているということでもなく、「近づいている」というのがしっくりくる。
 何に近づいているかということもなく、ただただ「近く」なっている、ということだ。

【経済の問題がどのくらい重要かというと経済学者に任せておけないくらい重要なので続き編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

Le capital au XXIème siècle

   前回の続き。
「お金持ちが納得して、たくさん税金を払ってくれる」という、KENJIの身代わりにアンパンマンがISISの人質になって「新しい顔があるからへーきだよ」と言ってる、なんてのと同じくらい幼稚でファンタスティックで場の空気を読まない質問には、一体何が含まれているのか?
 だいたい、税金なんて、喜んで払ってるのは皇室くらいじゃないかと思うんだが、なんで税金を払いたくないかというと、まず「せっかく稼いだ金がもったいない」それから「国が何に使っているのか信用できない」からだ、とみなさんのたまうだろう。
 それは金持ちに限らず、サラリーマンだってパートのおばちゃんだって街場の古本屋だって大臣だって経済学者だって同じことだ。そういや、元大臣で経済学者で企業重役の人が、住民税を逃れるために一年の半分は住所を海外に移してた、なんてな話もあったっけ。

2015年1月30日金曜日

【経済の問題がどのくらい重要かというと経済学者に任せておけないくらい重要なのだ編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 昨晩、ピケティの講演の中継をパソコンで見た。便利な時代になったもんだ。テレビいらんなー。
 ピケティが話したことはだいたい本読んだら書いてあることばっかで、パネルディスカッションもたいしてもりあがらず、遅刻してきた政治家のボクちゃんがアベノなんちゃらの宣伝しかしなかったりとか、抽選に外れてちぇーっっと思ってたけど、この程度ならわざわざ足を運ばなくて正解だったなー、と思ったりした。
 それともライブならではのサムスィングとかあったのかな?会場で本を買うとサインがもらえるとか?いっそういらんし。

2015年1月26日月曜日

【HAHAHAHA!!やっぱり問題は土地だったじゃないか!!編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら


 久しぶりに続き。
 今月ピケティが初来日ということなんだけど、講演会は大人気のようで、抽選ではずれになってしまった。
 邦訳は順調に版を重ねているようだけど、別段うちのブログのアクセス数が上がったりはしてない。まあ、いきなり「財産」について考察し出して、「土地」の「所有」とはなにか、その「世襲」とはどのような影響を社会にもたらすか、なんてことを語り出しちゃってるから、しょうがないといえばしょうがない。
 経済学だけじゃ語りきれない部分、「なんで富の偏在とその世襲が良くないのか」を書こうとして、日本の「財産」の歴史を斜めからスライスしてたらこうなってしまった。
 じゃ、ピケティが「土地」について語っているかというと、ゼロではないんだけどそれほどでもない。というか、なんかちょっとあいまいになってる。そしたら最近、そこんとこを突いた「批判」があがってきた。

Is Piketty's "Second Law of Capitalism" Fundamental?
http://aida.wss.yale.edu/smith/piketty1.pdf

A note on Piketty and diminishing returns to capital

2015年1月25日日曜日

死刑と自己責任そして安楽死さらにはカント

 その国を「他者」と呼ぶならば、レヴィナスが怒るだろうか?
 北朝鮮ですら有している「同時代性」というもの、それすらも共有しない国家において、二人の日本人が「処刑」されようとしている。一人はすでに処刑されたとの報道があったが、まだ確定的ではない。北朝鮮の拉致被害者の死については疑う日本政府が、この国についてどのような態度をもって接すべきなのか、まごついてばかりいるように見える。
 さて、今「処刑」と書いた。マスコミもそのような表現で報道している。
 しかし、これは、はっきりとした「死刑」である。
 彼らは「スパイ」として疑われており、日本にだってそういう「スパイ」を極刑にする法律が存在するのだ。

2015年1月21日水曜日

鏡が映し出すものは何か?もしくは勅使川原三郎『道化』について

朝、鏡を見ると必ずやってしまうことがある。
 それは、わざと顔を大きく歪めること。
 眼や鼻の穴や口をこれでもかと大きく拡げたり、逆にシワシワにすぼめたりする。あごを左右に揺らす、眉をくっつくほどよせる、ほおをフグのように膨らます、などなど。
 これ、外でたまたま鏡を見たときもやりたくなるので困る。

 鏡の中には、実体がそのまま写し出されているわけではない。
 左右が逆とかいうことだけではなく、そこに移されているものは遠近が圧縮されており、たとえば人体は、どこに重心があるのかわからなくなる。
 どんなに磨き込まれた鏡でも、それは同じだ。そこにあるものは、どこまでいっても虚像でしかない。だから本当にそれが自分なのかどうか、ついつい確かめたくなって顔を歪めるのだ。

2015年1月19日月曜日

Mea Culpa! Mea Culpa!

 とっくに誰かやってるんじゃないかと思うけど、ローマ教皇をネタにしたカリカチュアを拾ってみた。
 けっこうどぎついのもあるんで、また閲覧は自己責任でお願いしやす。

2015年1月18日日曜日

カバさんとワニさんの謎


ビヒモス (岩波文庫)
ビヒモス』という、ホッブズの主著でありながらなかなか邦訳が出なかった本が、この度めでたく岩波文庫で出版されたので、ちょこちょこ読んでいる。なんで今まで翻訳がなかった(大学のテキストなどで部分的にされたことはあったようだが)かというと、『リヴァイアサン』のように普遍的なテーマを含んでいないからだ。中身はイギリス王室ばんざーい、クロムウェルの野郎は地獄に堕ちやがれ、ぺっぺっぺっ、という感じ。無神論者とか反王政だとか、そういう批判をかわすのが目的で書かれたようだ。


 ところでこの、「リヴァイアサン」と「ビヒモス」という書名は、旧約聖書のヨブ記などに登場する怪物、レヴィアタンとベヘモーテ(ベヒモス)からとった、とされている。
 レヴィアタンは海の怪物、ベヘモーテは陸の怪物。そのイメージの元となった動物は、レヴィアタンはクジラとかウミヘビとかワニ、ベヘモーテはゾウかカバである。
 で、ある絵が思い出されて来るのだが……

2015年1月15日木曜日

十八歳未満に見せるための十八禁

 スウェーデン、というと、半世紀近く前は「ふりーせっくす」の国という、鼻毛の伸びたおっさんたちが憧れるドリームランドだった。
 今では税金の高い先進的な高福祉国家、という顔の方が知られている。
 がしかし、ディズニーがいつまでも夢の国であるように、スウェーデンもその「夢」を捨てたわけではなかった。
(以下、人によっては、開いた口からピロリ菌が逆流してくる恐れがあります。閲覧は自己責任でお願い致します)

2015年1月14日水曜日

二つの帝国と二つの融和

 現在、フランスにおいてムスリムの存在が大きく取り上げられている。すでに人口の七%はムスリムであるという。
 それを多いととるか少ないととるかはともかく、古代において人口の七〜八%が「異教徒」であった、超有名な「帝国」が存在する。

2015年1月12日月曜日

おとなになるってどんなこと?

 言葉が暴力になるのなら、それに暴力でお返しして何が悪いだろう?
 と考える人たちは意外と沢山いて、だいたいの場合口下手だ。そして、真面目で、正直であったりもする。そうした人たちは、言葉の代わりに暴力を使う。それを押しとどめられるのは、神様だけだ。神様はおっしゃる「復讐するは我にあり」(ロマ書 )と。俺がやるからお前はするな。仕返しなんぞ、不信心もののすることだ。
 どうやら神様というものは、信じれば信じるほど、その教えに背きたくなるらしい。ムハンマドだって多神教徒たちへの復讐をさせなかったんだけどね。

2015年1月10日土曜日

だるまさんはいつころぶ?

…………
「インフレでもリフレでもとにかく貿易上から見た日本は今世界で一番好状態にある、そうじゃ、輸出入とも膨張しているし数字的に見ても世界一じゃ」
「こんな事は初めてじゃないですか」
「うん、然(しか)し日本許(ばか)りが景気いいというよりも他国が萎縮しているんじゃな」
「この調子で果たしていいものでしょうか?」
「人類の幸福から見たら、それあ、よくないよ、然し日本人は偉いな、支那方面の輸出先が駄目になったら南洋方面に新たに販路を開拓したじゃないか」
…………

2015年1月7日水曜日

「無」のダンスもしくはフェルディナント・ホドラーとたまごサンド


 冬休み最期の日、娘が「たまごサンドを食べたい!」と言い出した。図書館でたまたま手に取った『謎のあの店』という本に載っていたのだ。
 調べてみると谷中の方にある結構有名な店のメニューで、上野の公園から歩いて十分ほどの距離にある。なので、ついでと言っちゃあ何だが、国立西洋美術館へ『フェルディナント・ホドラー展』を観に行くことにした。
 
 ホドラーという画家については、今まであまりよく知らなかった。画集などで目にしたことはあったが、だいたい「象徴派」というくくりで、自分の脳内では「セガンティーニその他」の引き出しにつっこんでそのまんまになっていた。
 しかし、今回たまたま展覧会に足を運び、己の不明を恥じることとなった。