2015年2月9日月曜日

【ローマは滅ぶことなく腐って落ちた編】もしも西荻窪の古本屋がピケティの『21世紀の資本』(PIKETTY,T.-Capital in the Twenty-First Century)を読んだら

 その昔、というか、今でも似たようなことはどっかで続いてんだろうけど、奴隷というものはとっても便利な「商品」だった。
 なんたって、こいつがあればとんでもなく楽が出来る。「ご家庭に一人、奴隷をどうぞ!」てなもんだ。
 それだけに、その「相場」の上がり下がりは、国家の社会状況を変えるほどの影響があった。

ロストフツェフ、
ローマ帝国社会経済史〈上〉
 ローマ帝国の膨張はハドリアヌス帝の頃に頭打ちとなり、安価(てか、ほとんどタダ)な奴隷が入ってこなくなった。
 そのため、奴隷を以前のように使い捨てにするわけにもいかず、代わりにあぶれもんのプロレタリアを安くこき使うようになった。
 半自由の身分を得ていた奴隷とあぶれもんのプロレタリアは、土着農民colonusと呼ばれる社会層を形成した。彼らは、「土地」に縛り付けられ、「土地」とともに売買された。なんつーか、M&Aみたいなもんか。会社ごと従業員を売り飛ばすみたいな。
ロストフツェフ、
ローマ帝国社会経済史〈下〉

 すると「土地」というものが別な意味合いを持つようになる。労働力とセットになった土地は、土着農民をそのまま兵隊にできるため、軍事力のよりどころとなったのだ。
 ローマ中央の軍は兵役拒否と中間市民層の没落のおかげで、とっくぼろぼろになっていた。
 拡げすぎた版図の維持は帝国の手にあまり、そのため各々の所領を有する大地主たちに、その統治の権限が移って行くことになった。
 力を持った属州の軍人は、それぞれ勝手に皇帝の候補を立て、帝位を争うようになる。「軍人皇帝時代」の到来である。
 ローマに共和制の名残はすでになく、独裁君主制ですらもなく、帝国は「封建君主制」へとその姿を変えて行く。
 それをロストフツェフは『帝国の野蛮化』と呼んだ。

古代社会経済史―
古代農業事情

 で、ここでまたヴェーバーなんだけど、古代においての「資本主義」(のようなもの)は、奴隷とともにあった。
 奴隷は財産であり、資本だった。
 しかし、奴隷は最初に「購入」しなくてはならず、また「食わせて」やる必要が出てくる。そこで、
…………
1、資本の回転
2、資本形成過程一般
の二点における緩慢化が生ずる。
…………
 さらに、奴隷資本は「価格の変動」というリスクも背負っていた。
 前述のように、それらの問題点がすべて裏目に出たため、ローマ帝国はどんどんその求心性を失い、封建的君主制の如くその姿を変えた。
…………
……古代にも中世にも本源的な、都市による農村搾取が停止する一方広範におよぶ土地・人間掠奪戦争もやんでしまったとき、資本主義的利用の可能性を持つ奴隷労働が拡大するためになくてはならない前提も消滅した。すなわち、奴隷市場への安価な人間商品の潤沢な供給と、資本主義的に開発できる新しい土地との二前提も消滅した。
…………
……その結果ついに対国家奉仕義務leiturgiaと対国家義務muneraとのあの普遍的支配が到来し、古代の〈古典的〉時代には〈自由〉と呼ばれていたもの全てが否定されるにいたるのである。そしてこの現象こそ古代国家のいわゆる〈衰退時代〉に特徴的な現象にほかならないのである。
…………
 かくして、すっかり硬直したローマ帝国、いやその半分の西ローマ帝国に、ゲルマン人がどんどこどんどん流入することになる。
 やがて彼らはローマの土地を所有し、上層部は貴族や執政官consulともなった。ローマが東西に分裂したとき、むしろ東ローマ帝国が腐った「西半分」を切り捨てたのだ、とも言えるだろう。
 四七六年、幼帝ロムルス・アウグストゥルスは庸兵隊長オドアケルによって廃位される。
 しかしそれは、皿に盛ったブドウの最後の一粒をつまんだという程度のことで、西ローマ帝国はとっくにその本質が失われていたのだ。といっても、同時期の東ローマだってほめられたもんじゃなかったけど。
…………
 資本主義の飛躍はまさに秩序〈飽和〉—秩序飽和は経済的安定性とまさに同一物であるの時代にくりかえし虚脱状態におちいるのである。
…………
 格差の拡大が富の局在とその世襲をもたらし、それが固定化されるとともに社会は硬直して自由が失われ、ついには滅亡する。
 ローマ帝国のそれは、歴史の流れではなく、社会の「現れ」として、繰り返すのではなく新たなものとして「現れる」とされるのだ。


Capital in the Twenty-First Century

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