それを多いととるか少ないととるかはともかく、古代において人口の七〜八%が「異教徒」であった、超有名な「帝国」が存在する。
B.C.二世紀頃、セレウコス朝シリアの衰亡にともない、ユダヤ人はローマ帝国の支配下に入った。
やがて百万人がパレスチナに住み、三〜四百万人が地中海沿岸のローマ帝国領に散らばった。
ローマ帝国においてのユダヤ人は、商人ではなく細工・染物等の職人であった。しかし、一部は職業軍人となったし、さらにはローマ騎士、そして地方総督監察官、法務官praetor、元老院議員となるものもあった。
キリスト教への態度とずいぶん温度差があるなー、と思わされるが、キリスト教に対しても「ローマに無断で処罰しないように」と地方に何度も布令を出したりしている。
インドは独立する際、ムスリムは分離してパキスタンを立てた。現在も両国は対立し、インド国内においても、イスラムとヒンズー双方の原理主義によるテロが相次いでいる。
もともと「ムガール」とは「モンゴル」のペルシャ訛りで、モンゴル帝国の後継を自称し、公用語はペルシャ語にヒンディー語の混ざったもの、帝室の宗教はイスラムの「神秘主義」と呼ばれるもので、いわゆる原理主義のように堅いものではなかった。
ダーラー・シコーは「イスラム教もヒンズー教も元は同じだ」との書を著し、ウパニシャッドをペルシャ語に翻訳させ、複数の妃の一人はヒンズー教徒で、その妃との間に皇太子をもうけてた。
その時代、ヒンズー教の祭にムスリムが参加したりしたし、逆にムスリムの行事にヒンズー教徒が加わることも、ごく自然に行なわれていたという。
ムガール帝国の最盛期は、ダーラー・シコーを廃した弟のアウラングゼーブによるもの、と普通はされている。
確かに戦争がへたくそで大嫌いだったダーラー・シコーに対し、アウラングゼーブは戦争で勝ちまくって帝国の版図を最大にまで拡げた。しかし、アウラングゼーブはイスラム教スンニ派の原理主義にとらわれており、ヒンズー教徒を徹底的に抑圧した。
その死後急速にムガール帝国は衰退するが、その種はアウラングゼーブによって撒かれていたものと言っていい。
別にこれらの「帝国」を肯定しようとも思わないし、古き時代への憧憬を煽ろうとも思わない。
ただ、融和主義は国を栄えさせ、排外主義は衰亡に向かわせる、ということがここに表れてる、というだけのことだ。
その教訓を生かせないのであれば、人類は自らの社会を劣化させていくばかりとなるだろう。
ちなみに、ローマ帝国においては「ユダヤ人でありつつローマ人」な人間も多く存在し、彼らは割礼によって切り取られた「皮」を、それに似せた人工の布でおおってごまかしていたそうな。ほーけー手術の逆やね。
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