今、家にオリーブの葉っぱでできた月桂冠がある。月桂樹でできてはいないけど。それを頭に載せると、ローマ人みたく何やら一発演説でもかましてみたくなる。
「それにつけても、カルタゴは滅ぶべきである!」Carthago delenda est!
大カトーが演説するたんびに、その内容に関わらずくっつけていた「下の句」だ。「イチジクって とっても甘くて美味しいね それにつけてもカルタゴ滅べ」てなもんである。
そして、三度に渡るポエニ戦争の末、カルタゴは滅んだ。あまりに徹底的に滅ぼされたもんだから、今じゃカルタゴがどんな国だったのかすら、よくわかんなくなってるくらい。
燃え盛るカルタゴの街を眺めながら、小スキピオはつぶやいた。
「いつかローマもこうなるだろう」
なんなかった。なってもおかしくなかったのに、なんなかった。
まあとにかくカルタゴを滅ぼし、その財産を丸ごといただいたローマは繁栄した。そして、その繁栄は災厄となってふりかかってきた。
災厄とは、格差の拡大である。
まず、カルタゴ人は全部奴隷にされて、奴隷が増えたことはローマのそれまでの「大家族」的な家父長pater familias支配を弱め、小単位の家族の独立を容易にした。核家族化ってわけやね。
単婚小家族は奴隷を使って商品生産(葡萄酒とかオリーブ油とか)を行ない、それは「家族」から経済単位へと変貌した。
以前の大家族で少数の奴隷を使役していた時は家族主義的な温情があったが、小家族が多数の奴隷を使役するにあたっては、奴隷を組織化して奴隷によって奴隷を監督させ、ただ合理的に支配するようになった。
それは奴隷の酷使へと繋がり、やがて叛乱が頻発することとなった。
さらに、永年の戦争(カルタゴだけじゃなく、マケドニアとかいろんなとことやってた)のおかげで、軍を形成していた中小の農民が帰れなくなり、農地が荒廃して借金のカタにとられるようなことが頻発した。
すなわち、中産階級の没落である。
代わって登場したのが、ラティフンディウムlatifundiumという大土地所有者だ。
その多くは上記の単婚小家族によって経営され、属州で穀物を安く生産してローマに運び、それまでローマの軍の中核を形成していた中小農民に壊滅的打撃を与えた。
後にプリニウスは「ラティフンディウムがイタリアを滅ぼし、まさに属州に及ばんとす」と書き記した。
上層市民は土地への投機に熱中し、地価は法外な価格となった。
そして奴隷の叛乱がシャレにならん規模になってきたのに、軍を形成する小農民が没落したまんまじゃまずい、と気づいたのが、ティベリウス・グラックスとガイウス・グラックスの兄弟である。だいたいこの混乱の原因は、両方ともラティフンディウムにあるんだから、土地の所有を制限して、余った土地をあぶれ者の没落小農民に分け与えればいい、と考えた。
後世「正しいが、早すぎた」と評価された、グラックス兄弟の改革である。
だいたい、土地所有の制限は二百年以上前にリキニウス・セクスティウス法で、「公有地は五〇〇ユゲラ(一二五ha)以上所有できない」と決められていたのだ。ちなみにこの法律、世界史なんかでは必ず習う試験頻出単語になっているが、「一度も守られたことがない」という学者もいるくらい影の薄い法律である。グラックス兄弟の改革がなければ、そのまま忘れられていたんじゃなかろうか。
とにかく、ティベリウスは護民官に当選するや、リキニウス・セクスティウス法と同じく、「所有は五〇〇ユゲラまで」とするセンプロニウス農地法を制定する。
しかしティベリウス・グラックスは、元老院から「共和国の敵」と指弾され、最期は暴徒によって殺害され、川に投げ込まれてしまう。遺志をついだ弟のガイウスもやはり元老院から敵視され、自害に追い込まれた。さらには、改革派数千人も殺戮されたという。
で、せっかくの改革がわやになってどうなったかというと、ローマ軍はめちゃめちゃ弱くなって、連戦連敗するようになる。
正直、なんでここでローマが滅ばなかったかわかんないくらい。たぶん、強力なライバルがいなかったからだろう。もしライバルがいたら、スキピオの予言はばっちり当たって、ギボンも塩野七生も儲けそこなっていたに違いない。
それを立て直したのが、ガイウス・マリウスである。
……すんません、次回に続きます。
なんかピケティとあんまり関係なくなってるけど、「歴史」の中で「格差」を考える、というのがピケティに刺激されて出てきたものなので……
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