梅干と日本刀 ―日本人の知恵と 独創の歴史 (1974年) (ノン・ブック) |
その当時の日本といえば、高度経済成長からオイルショックの時代へと移り、やっと持ち上げた頭をはたかれたような格好になっていた。
そんな時、「梅干しすごい。日の丸弁当はとってもエネルギー効率が良い料理!」だとか「日本刀すごい。名刀政宗を分析したらモリブデンが含まれていたので、それがタイガー戦車の装甲にも応用された!」とか、まあなんか読むだけでなんとなく気持ちが上向くような、そんなリポビタンDでファイト一発な内容だった。
とにかく、この本によって日本刀というものは、武士の魂というだけでなく、日本人の「オリジナリティ」の象徴だということになった。当時「日本は西洋のモノマネばかりしている」と忸怩たる気持ちを抱いていた人たちにとって、草野球の試合に突然チアリーダーの集団が現れたみたく、マンガチックに勇気付けられるものであった。
私の中の日本軍 (山本七平ライブラリー) |
ユダヤ人のフリして『日本人とユダヤ人』という本を書いてベストセラーになった山本七平という人が、自らの軍隊経験をつづったものである。
ここでは、日本刀などというものは、三人も切ると刃こぼれしたりして使い物にならない、ということが経験談を交えて書かれている。
オリジナリティがあろうが、実戦で使い物にならないんじゃしょうがない。時代劇で悪漢をズバズバ切り倒すのは、赤胴鈴之介の真空切りと同じく作りごとだったのだろうか?
日本刀と無敵魂 /td> |
…………
今度の支那事変で、日本刀はどの位切れたかと云えば、金剛兵衞盛隆で、八十幾つ斬ったのが、最高記録てあったとは、事変中に軍刀修理班の団長たりし、栗原彦三郎氏の話である。
…………
(仮名遣い等は改めました。以下同じく)
この本の刊行は昭和十八年(一九四三年)で、太平洋戦争真っ只中である。
この件、多分支那事変で『百人斬り競争があったかなかったか』という問題にも引っかかってくると思うけど、当時は「あった」と考えるのが当然だったのだろう。
すぐに使えなくなるのは出来合いの「昭和刀」であって、「古刀」であれば何人でも切れた、とのこと。
…………
二十人斬り、三十人斬り、乃至五十人斬りなどの大業物は、大抵古刀無銘物であった…
…………
他にも何やら支那兵を切るコツみたいなことが書かれてたり、時代とはいえしょーもねえなという感じ。ちなみに、軍刀をサーベルから日本刀に切り替えさせたのは、荒木貞夫だったそうな。
で、さらにこの本、こんなようなことも書かれている
…………
日本刀の科学的に世界最優秀な点は、先ず硬軟各種鋼の構成であるということである。
…………
これ、冒頭の『梅干と日本刀』にも似たことが書かれてるんだよね。
なんつーか、人間というのはあまり進歩しないんだな、と思わされる。
日本刀以外にも興味深い記述があるので、さらに後日続けてみたい。
0 件のコメント:
コメントを投稿