ドキュメント 綾さん ―小沢昭一が敬愛する 接客のプロ (新潮文庫) |
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トルコはミニ劇場である。
観客一人、女優一人の、
しかも、あれはどうしても「観客参加演劇」で、
あの一対一の対決はまことに虚構にみちていて、
例えば、あの女優の語る身の上話などは、客に応じての何通りかが用意されてあって、
客も、適当にふだんの貴方(アナタ)と違った演技をしたりして、
あるいは、ふだんの貴方と違った真実を、この劇場の中でだけ露呈して、
だから、日常性を越えているようなところがあって、
つまり、日常とは異なる時間、空間に、客は遊戯して、
で、序幕は、静かに、何気なく、始まって、
盛り上がりは、これは必ずあって、
主導権は往々にして、力倆の勝った方がとることになって、
幕切れは、まごうことなき、断末魔で、
そのとき、おもに女優が、練磨した発声法で高らかに、韻律詩を「虚実皮膜の間」にうたいあげて、
そしてさわやかなエピローグもついて、
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これも、きりがないから止める。
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上記は『ドキュメント 綾さん―小沢昭一が敬愛する接客のプロ』からの引用である。
なんか寺山修司の香がほのかに漂うというか、70年代ってこういう言い回しが流行っていたのだろう。
内容は本物のトルコ嬢佐藤綾との対談で、接客のコツについて小沢昭一が教えを受ける、というかっこうになっている。
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佐藤○お客様をしつこいと言う前にね、そのしつこいお客さんをね、しつこくないようにするのが私たちに、あの、商売だと思うんですよね。どんな人でも持っていきようによっちゃ優しくもなり、まァね怒って帰ることもあるんだから。だからそういうことを、その、話してるのにその時に聞いてなくて、そのくせナンダカンダって言う人は、もう売れない人ですよ。
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こういう「接客術」というのは、トルコ嬢に限らず、日本で究極まで進化していたようで、某有名外タレなんかも、来日するたんびにトルコをせがんだそうだ。ソープと名を変えた今はどうなってるのか知らない。一度も行ったことがないんで。
なんとなく、ジャン=リュック・ゴダールの「すべての労働者は娼婦である」という台詞が思い出される。
小沢昭一は、同時代において顧みられなかった数々の芸能に光を当て、それを丁寧にまとめた。上記のトルコについての本もその成果の一つになっている。
時代を記録することは多くの人がなすところだが、時代の「空気」そのものを写しとることは、限られた人にのみ可能なことである。
小沢昭一はそれをしようとして、そしてそれがちゃんとできた人だった。
晩年は放送大学で講師をして、実際に自分で「門付け」芸を復元してみせ、普通の家をまわって反応を記録し、講義で流すということもしていた。
この時の講義のテキスト『芸能と社会』は、放送大学関連の教科書としては異例の高値で取引されている。
注:このエントリーは以前書いたものを少し書き足して再録したものです。
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