ハイデガーの インタビューが 掲載されたシュピーゲル |
自分と同年齢の人間が著名になると意識せざるをえないそうだが、果たしてハイデガーにとってはヒトラーがそうだったわけだ。
話を戻そう。一九七六年にハイデガーが死ぬと、すぐさまシュピーゲル紙にハイデガーのインタビューが掲載された。それは、一九六六年に行われたもので、「死後に発表する」という約束のもとに残された録音だった。
「シュピーゲル対談」収録 |
インタビューの主な目的は、ハイデガーの第三帝国への関与と、そのことへの態度についての釈明である。
以下、ハイデガーの発言の抜粋と、それへのツッコミ。
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……私は総長就任(註:一九三三年)以前には政治的には全く何もしませんでした。
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Carl Friedrich von Weizsäcker: ein Leben zwischen Physik und Philosophie |
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……フォン・メレンドルフ氏は私のところへやって来て、「ハイデッガーさん、今度はあなたが総長職を引き受けねばなりませんよ」と言いました。(中略)そうしないと誰かナチスのアクティヴが総長に任命される危険もあると言うのです。
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リッター (Century Books ―人と思想) |
このインタビューは、インタビュアーがあまりに礼儀正しいため、ハイデガーが一方的に言いたいことをべらべら喋ることに終始している。
ヤスパースとの決別についても、まるでそのようなことがなかったように答えている。
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……私は一九一九年以来カール・ヤスパースと親しくしていました。私はヤスパース夫妻を一九三三年の夏学期にハイデルベルクで訪問しました。カール・ヤスパースは一九三四年と一九三八年との間に彼が書いたものをすべて私に送ってくれました──「心からの挨拶とともに」と書いて。
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ハイデガーとの対決 (1981年) |
そして師のフッサールに対し、ハイデガーが大学図書館や哲学部研究室図書館への出入りを禁じたことについては、
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それは一種の中傷です。
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とのみ答えている。
しかし、現実には多くの大学でユダヤ人の施設利用が禁じられ、その措置についてハイデガーはむしろ積極的であった。当然、ユダヤ人であるフッサールを大学から締め出すことになるわけで、ハイデガーがそのことに躊躇したとか何らかの措置を講じたということは全くなかった。
そしてそれは、フッサールの生活をひどく痛めつけた。
ハンナ・アーレントはカール・ヤスパースに宛てた一九四六年七月九日付けの書簡において、
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ハイデガーを潜在的な殺人者だとみなさざるをえないのです。
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と、憤っている。
フッサールの死はハイデガーによる未必の故意、というわけだ。
一応、ハイデガーはこのインタビューにおいて、フッサールの病床を見舞わず葬儀にも参列しなかったことについてだけは、
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優柔不断ein menschliches Versagen です。
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と、少しだけ後悔したようなことを口にしている。が、このドイツ語の表現は「周囲の状況がそれを許さなかった」もしくは「出世のためには仕方なかった」という責任逃れのニュアンスがあるそうだ。
また、ハイデガーはこのインタビューで、自身はむしろユダヤ人に対しても差別なく公平に接したかのように喋くっている。
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……ヘレーネ・ヴァイスは後にスコットランドへ亡命したのですが、この人はフライブルクの大学で学位を取ることがもはやできなくなってバーゼル大学で学位を取りました。……
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ハイデガーの子どもたち |
しかし、のちにフライブルク大学教授となったマックス・ミュラーの証言によれば、
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ハイデガーは総長になったとたんに、彼のもとで博士論文の準備をはじめていたユダヤ人学生たちが学位を受け取ることを許さなかった。
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ということである。ヘレーネ・ヴァイスがわざわざバーゼルに行かざるを得なくなった原因は何か、ハイデガーはしれっとして語らない。
シュピーゲルのインタビューについてではないが、アーレントは戦後すぐになされたハイデガーへの別のインタビューの数々について、
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ばかばかしい嘘っぱち。それもはっきり病的徴候の見てとれるような嘘ばかり。
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と前出の書簡で詰っている。自己弁護の虚言癖は、ずいぶん以前からだったようだ。
それでは、ハイデガーはユダヤ人虐殺について、どのように考えていただろうか。自らが支持したナチスの犯罪について、反省くらいはしただろうか。
ハイデガーは戦後、ナチスがらみの話題は努めて避けていたが、一九四九年のブレーメン連続講演において、
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ブレーメン講演と フライブルク講演 (ハイデッガー全集) |
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と述べている。
なぜこのようなことを言ったのか、ハイデガーのおつむの中身について、いろいろと忖度することはできるが、今はやめておこう。つまんないし。
とりあえず、ハイデガーは戦後になっても、ナチス支持についてちっとも反省なんかしていなかった。
形而上学入門 〈第2部門〉 講義―1919‐44 (ハイデッガー全集) |
この本はハイデガーの「転回(ケーレkehre)」にあたるともされ、「存在の意味への問い」から「存在の真理への問い」へと思考の方向が変わったということだが、一読して感じるのは『存在と時間』よりも「暴力」に対してかなり親和的だ、ということである。
ハーバーマスはこの書について、
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テクストとコンテクスト |
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という。さらにこのことについて、ハイデガーに問題を投げかけた。
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「今日誰でも知っている何百万人もの計画的殺人が、運命的な誤謬だと、存在の歴史では理解されるのか? この殺人は、責任能力のある人が行った、実際の犯罪行為ではないのか?──そして国民全体のやましさではないのか?」
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ハイデガーは直接には答えず、レーヴァルターという男が行った「そん時はそれが正しいと思っちゃってたんだから仕方ないじゃん?」というような擁護について、「適切である」としただけだった。
ハーバーマスはそのようなハイデガーの態度にひどく失望している。
さて、ここまでしてハイデガーのダメダメぶりが明らかになっているにもかかわらず、今もハイデガーが「二十世紀最大の哲学者」であるのはなぜか。
それはひとえに、『存在と時間』という書物を否定できない、というところにある。
ハーバーマスですら、
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……『存在と時間』は、二十世紀の哲学思想に傑出した位置価を持っているのであって、ハイデガーがファシズムに関与したということによる政治的評価によって、その後五十年以上にわたって、この作品の実質的内容が信頼に足りえないという考えは、誤っている。
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と書いているくらいだ。
『存在と時間』を否定しきれないために、ハイデガーを糾弾する言説の威力が半減している、と言っても過言ではないだろう。
では、今も燦然と光かがやく『存在と時間』とは、どのような書物なのだろうか?
存在と時間(ドイツ語原書) |
次回に続きます。
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