2016年1月15日金曜日

とりあえず『ベルサイユのばら』を読んでおけば良かったのかだろうか?

ベルサイユのばら 全5巻セット
 (集英社文庫(コミック版))
 日本の男女を比較すると、基礎教養という点において、女性の平均は男性の平均を大きく凌駕する。
 なぜかと言うと、男どもがジャンプで『北斗の拳』や『こちら葛飾区亀有公園前派出所 』を読んでいた時、女性達は『あさきゆめみし』で源氏物語に触れ、『ベルサイユのばら』でフランス革命についての知識を仕入れていたからだ。
 こうした「教養」の差が、のちにゴーマニズムなんぞにひっかかるかどうかという品性の差につながった、と考えるのはうがちすぎかもしれないけれど。

 ともあれ、かくいう私も「男の子」なので、『あさきゆめみし』も『ベルサイユのばら』も、一ページも読んだことがない。
 そんな私でも『ベルサイユのばら』については、なんとなくストーリーが耳に入ってきて、「オスカル」といえば「アンドレ」だし、「アントワネット」といえば「フェルゼン」というのはなんとなしに了解している。
 そして、それらがフィクションである、ということも。
 と・こ・ろ・が、ここに来てとんでもない秘密が暴かれた。
Marie-Antoinette's torrid affair with Swedish count revealed in decoded letters
 なんと、アントワネットとフェルセン(実際は濁らないようだ)との愛人関係は事実であり、アントワネットの子どものうちの二人、いや少なくとも一人は確実にフェルセン公のタネだというのだ。
 フェルセンが父親だと確実視されているのは、ソフィー・ベアトリスのようである。
Sophie Hélène Béatrice

 いやー、「べるばら」読者なら、「ふーん、やっぱりね」と受け止めるだろうが、こちらは驚かされてしまう。
 なんたって、並の貴族ならともかく「王家」のことである。しかもルイ十六世といえば嵌頓包茎だか勃起不全だかで、その治療はほぼ国家プロジェクトだったことも知られている。そんな王の血筋を残すことについては、周りが相当に気を配っていたと思うのだが。それこそ、寝所に監視をつけるほどに。

「事実は小説よりも奇なり」とはよく言われることだが、フィクションが先にあってそれが真実に近いとわかる、というのはどのように言えばいいのだろう。
 なお、アントワネットの子どもはマリー・テレーズ以外若くして死んでいる。ソフィーについては、一歳にもならないうちにひきつけを起こして亡くなったらしい。一人長命を得たマリー・テレーズについて、フェルセン公がなにくれとなく世話を焼いているのは、「自分の子かもしれない」と思っていたからだろうか。マリー・テレーズには子どもがなかったので、直系の血筋はそこで断たれた、ということになっている。

 さて、こちらとしてもうかうかしていられないので、巨匠萩尾望都による『王妃マルゴ』を読んでいる。パトリス・シェローのマルゴも良かったけど、こっちもなかなか。てか、やっぱわかりやすいやね。
 

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