2015年5月29日金曜日

真実を語ると早死にするそうなのでなるべく嘘つきになって長生きしたほうがいいのかな【ピケティを読んだらシリーズ】

 これまで私たちは貧しさと戦い、とにかく物質的な豊かさを求めてやまなかった。しかし、そうするうちに人間の美徳や共同体的価値を、うっちゃらかしてしまったんじゃないだろうか。この国のGDPって五〇〇兆円くらいあるっていうけど、社会をGDPで評価するってことは、放射能除染やオリンピック広告や電車に飛び込んだ人を運ぶ救急車をその勘定に含めることでもある。それだけじゃない。街角にとりつけられる監視カメラや、それに映ったならず者をぶち込む刑務所、天然鮎を閉め出す河口堰、自衛隊を海外にやるための船や、いつ落ちるか何のために必要なのかわからないオスプレイ、さっぱり使用されない取調室の録音機、加藤君が振り回したナイフ、オレオレ詐欺(特殊詐欺っていうんだっけ?)で使用される電話代も電車賃も振込手数料も、犯人が手に入れた金で豪遊してホステスに渡すチップも。こういったものが全て含まれてしまうのだ。
 GDPには、子供たちの健康や教育の質の高さ、遊びの楽しさは反映されない。美しい歌やすてきな結婚も。議員がきちんと議論したとしても、公務員がきちんと仕事したとしてもだ。
 愛も勇気も友情も、アンパンマンが大切にするようなすべてのものが無価値となる。
 GDPは人生を豊かにするものを全部、どっちでもいいこととしてしか評価しないのだ………

2015年5月25日月曜日

チューリングはなぜ死んだか

失われた時を求めて(8)
―ソドムとゴモラI (岩波文庫)
『失われた時を求めて』の八巻が出たので、今読んでいる最中だ。
 いよいよ渦中となり、「ソドムとゴモラ」が始まった。同性愛者であったプルーストが、自らの想うところをこれでもかと書き連ねている。
 この本の脚注に
…………
同性愛(ホモセクシュアリティ)は、ドイツ帝国刑法第一七五条(男性間の性行為を二年以下の懲役とする)の撤廃を求めたベルリン在住のハンガリー人医師カール=マリア・ケルトベニー(一八二四−八二)が一八六九年に初めて用いた当時の新語。
…………
 とある。この言葉が用いられた当初から、犯罪行為ではないと主張するための用語だったわけだ。

2015年5月22日金曜日

鬱なるものは美しい


「鬱」とは何か。
端的に言えば、「手紙に切手を貼るのに三日かかる」という状態である。
 ではその間、頭の中では何も考えていないかというとそんなことはなくて、とてつもない「量」の思考を巡らしている。超高速で回るコマが止まって見えるようなものか。自分は苦しくて仕方がないのに、それでもまったく止まろうとしないどころか、スピードがどんどん上がっていくのが「鬱病」である。終いには苦しさのあまり自殺したりする。

2015年5月16日土曜日

かつて子供に聞かせる話には血の臭いが必要だった

 娘が小学一年生のとき、何に触発されたのか「キャンプに行きたい!」と言い出した。
「きゃ、きゃ、キャンプ〜!?」と、私は驚いたときの文楽人形のような顔になった。無理もない。それまでの人生において、キャンプなどというネイチャーでアウトドアーなことなど、一度もしたことがなかったのだ。(中学の時の野外学習は除く)
 しかし、可愛い娘の願いである。父親たるもの、きいてやらねばならぬ。父親は永遠に悲壮だと萩原朔太郎が言ったのは、こういうことだったか。(はいそこ、つっこまない!)

2015年5月14日木曜日

司馬遼太郎の小説を何年も読んでいないことに気づいてふと司馬遼太郎について書いてみたくなった

Kukai the universal―Scenes from his life
英訳『空海の風景』
 司馬遼太郎ときくと、高校受験が思い出される。
 試験の問題に出題されたとかではなく、受験勉強中についつい読みふけってしまったからだ。父親の書棚にあらかた揃っていた、というのも良くなかった。『竜馬がゆく』とか、中学生が読んだらはまらないわけがない。おかげで初めての一人旅は、高知の桂浜へ龍馬の銅像を観に行ってしまった。しかし、わざわざ足を運んだ割には大した感興も覚えず、むしろ薄暗い水族館のプールに巨大なマンボウが何匹も浮かんでいたことの方が印象に残っている。マンボウは水族館で飼うと、すぐ壁にぶつかって死んでしまう、と水槽の看板に書かれていた。

2015年5月10日日曜日

「江戸」という名の「歴史の終り」もしくは杉浦日向子『百日紅』の感想として

    昨日、また娘と一緒にアニメ映画『百日紅』を観に行った。杉浦日向子が北斎を描いた漫画、『百日紅』をアニメにしたものだ。Miss Hokusaiとよくわからない副題がついているが、主人公を娘のお栄(葛飾応為)に変えた、という意味なのだろう。
 映画の感想はともかく、杉浦日向子の漫画について、ちょこっと書いてみたいと思う。(以下ネタバレなしなので、安心してお読み下さい)

2015年5月9日土曜日

健康のためなら死ねる♪つづきのつづき

 ご存知だろうか。現代の日本において、「健康」であることは「国民の責務」となっている。

2015年5月8日金曜日

健康のためなら死ねる♪のつづき

「健康」への誘惑に人間は弱い。
 それは頭のできの良し悪しに関係なく、普段は理知的である人もとんちんかんな健康法にはまっていたりする。
 それがその人個人のものならいいが、周囲に宣伝して押しつけだしたり、さらには商売にしようとなってくると、何やらきな臭いことになってくる。

2015年5月6日水曜日

健康のためなら死ねる♪のか?

「死ぬことは恐ろしい。恐ろしさのあまり死んでしまいたくなる」と、ビアスあたりが言いそうな気もするが、実際にそうノートに書き付けたのは高校時代の私である。なんつーか、高二病?
「健康のためなら死ねる」というセリフは、ネットで検索してみたらタモリが起源ってことになってたけど、これ確かもはや名も知れぬマイナーバンドの歌にそういうフレーズがあった、はず。行きつけの呑み屋のおねえさんが、エアギターしながら歌ってくれたので憶えている。やっぱテレビの伝播力ってのはすごいね。オリジナルよりタモリ。

2015年5月4日月曜日

カチカチ価値価値何の音?もしくは古本屋はなぜ嫌われる

 二年ほど前、本宅エントリーにこんな出来事を書き付けた。(お食事中の方は失礼)

…………
 昔々その昔、娘が小学二年生の頃だったと記憶しております。
 当時の娘はわがままできかん気で泣き虫で、いやまあ今でもそうなんですが、その年頃はしょっちゅう母親からカミナリを落とされていました。そして、私はそのなだめ役にまわっておりました。

 ある夕、バレエ教室からの帰りに娘が言いました。
「パパはダイヤモンドだけど、ママはうんこだね!」
 子供って、パスタパンより底が浅いなあ、と思いつつ応えました。
「じゃあ、パパよりママの方が大事ってことだね」
「え〜なんで〜、ママはうんこなんだよ」
「だってさ、人間はうんこが出なかったら死んじゃうよ。でも、ダイヤなんかなくても死なないじゃん」

…………

2015年4月29日水曜日

本を読まぬものはやがて……

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それ生まれながらの閹人(えんじん)あり、人にせられたる閹人あり、これを受け容れるものは受けいるべし(マタイ伝十九章十二節)
…………

2015年4月27日月曜日

ちさいとちいさいとちゃっこい

 娘がまだ赤ん坊だった頃、妻は毎日「ちゃっこいねえ、ちゃっこいねえ」と娘を見るごとに口にした。
「ちゃっこい」というのは、方言なのか妻の家独特の言い方なのかわからないが、私も口まねして「ちゃっこい、ちゃっこい」と言った。
「ちゃっこい」というのは、「ちいさい」というよりも良い響きがあった。
「ちいさい」は反対語として「おおきい」があり、他と比較する趣があるが、「ちゃっこい」はただ「ちゃっこい」のだ。
 それはときに「ちちゃこい」になったり、さらに「ちっちゃこい」になったりもした。

2015年4月24日金曜日

つげ義春『ゲンセンカン主人』は恐ろしい漫画であるということまたは「誰でもいいから教えて『存在してない』ってどういうことなの?」の補足として

 三年ほど前に本宅で書いたエントリーで、「誰でもいいから教えて『存在してない』ってどういうことなの?」というのがある。つげ義春の『ゲンセンカン主人』について述べたものだ。
 改めて読み返してみて、「ちっとたんねーな」と思ったので、ちょこまかと追記してみたい。

2015年4月22日水曜日

溝口健二『東京行進曲』と小津安二郎『東京の女』と戦前昭和の新聞


 先日(四月二一日)、Facebook経由でお誘いを頂き、『活弁!シネマートライブ』という催しに行ってきた。無声映画を活弁付きで見るのは初めてである。
 行ってみてわかったのは、なるほど昔の「映画」というものは、生の、「ライブ」感覚あふれるものだったんだな、ということだ。チャップリンが最後まで守ろうとしたのは、この感覚だったのだろう。代表作『街の灯』は、周りがほとんどトーキーに切り替わっていく中で作られた、サイレント・ムービーの最後の輝きと呼べるものだ。
 でもまあ、田原俊彦より江川宇礼雄の方がハンサムだけども。(その場にいた人だけわかるネタ)
 上映されたのは溝口健二『東京行進曲』と小津安二郎『東京の女』である。ビッグネーム二人の作品の中でも、映画館で見る機会の少ないものだ。客の入りは、平日の昼間なれど、ほぼ満員であった。(以下ネタバレ

2015年4月16日木曜日

自由ってなんて不自由なんだろう【エドゥアルド・ガレアーノ訃報編】

エドゥアルド・ガレアーノ、
収奪された大地―ラテンアメリカ500年
…………
本書に対するもっとも好意的な論評は、権威ある批評家からではなく、本書を発禁することで結果的に本書を賞賛することになった軍事独裁政権からなされた。
…………
ブラス・デ・オテーロが述べているように、「彼らはわたしの書いたものを人々に見せようとしないが、それはわたしがわたしの目で見たものを書くからである」
…………

 先の四月十三日にエドゥアルド・ガレアーノが亡くなった。七四歳だった。もうずっと肺がんでふせっていたのだ。
 今までこの人に触れることはなかったけれど、以前本宅で書いたエントリー『ピノチェトと愉快な仲間たち』に重なる部分を『収奪された大地』から抜き出しておこう。

2015年4月15日水曜日

詩の戦争は終わらないままだったのだろうか?


  上掲の動画は映画『ブリキの太鼓』の海辺のシーンである。
 ギュンター・グラスは高校時代に『ひらめ』を読み、大学に入ってから名画座で『ブリキの太鼓』を観て、それから原作を読んで、さらに『猫と鼠』と『犬の年』を読んで、またさらに……
 まあとにかく、いろいろと読んでいるのだった。
 そのギュンター・グラスが死んでしまった。
 八七歳と言うから若くはないのだが、直前まで元気でいたそうなので、何とも残念だ。なお、死因は明かされていない。

2015年4月13日月曜日

すべての手紙は暗号で書かれているもしくは映画『イミテーション・ゲーム』とアラン・チューリングなどについてのもろもろ

 昔々、とある村に一人の少年がいました。少年は村の外から来たお金持ちの旦那様の元で働いていました。
 ある日、隣の村へパンとお菓子を十個づつ届けるように言いつかりました。少年は隣の村へ行く途中とてもお腹がすいたので、パンとお菓子を半分食べてしまいました。そして、素知らぬフリをしてパンとお菓子を五個づつ届けました。
 次の日、少年はまた同じお使いを頼まれました。ただ今回は手紙もいっしょに届けるように言われました。少年はまた途中でお腹がすいて半分食べてしまいました。そしてまた同じように知らんぷりして届けると、手紙を読んだ先方が「半分食べたな!」と怒りだし、少年を折檻しました。
 その次の週、少年は同じくお使いに行かされました。今回も手紙付きです。少年は頭が良かったので、この間の失敗は手紙のせいだと気づいていました。きっと手紙が少年の盗み食いを見ていて言いつけたのに違いない、と。少年は手紙を石の下に隠してこっちを見られないようにしてから、ゆっくりパンとお菓子をぱくつきました。

2015年4月12日日曜日

貨幣はどれだけ集まると「財産」になるのだろうか?

ヤップ島の石貨
「貨幣」と「財産」はどのように違うのか。
「貨幣」の集合したものが「財産」とよばれるようになると、とたんに別な働きをするようになる。
 それはどのくらい集めればいいのだろう?
 とりあえず、一人では持ち運べないほどの重量であれば、それは「財産」と呼べそうだ。